川崎市の多摩区にある登戸稲荷社の参拝レポートです。
読み方は「のぼりといなりしゃ」です。正式名称は「稲荷社」ですが、登戸稲荷神社とも称されています。最寄駅は小田急線とJR南武線の登戸駅です。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
登戸の「稲荷神社」へ
うちの嫁さんは実家が稲城でして、JRの南武線沿いです。ですのでその関係で、南武線に乗車することがちょいちょいあるのですが、登戸から稲城方面へと南武線に乗りますと、発車してけっこうすぐ、窓から神社が見えるんです。
線路側からですと社殿の後ろ側が見える形でして、神社の全貌というのはあまりわからないのですが、境内には大きな木が何本か茂っているのも見えます。
僕たち夫婦は神社巡りをするようになってから、景色の中に神社を見つけると、つい反応してしまう体になっています。それは電車とか車の中からでもそうですけど、テレビとか見ていて神社がちらっと映っただけでも、やっぱり反応してしまうんです。あ、神社だ!って。
そんなんですので、登戸駅を出てすぐに見える神社は、僕も嫁も南武線に乗るたびに反応し、完全に頭に刷り込まれました。
そして自然な流れで、「今度行ってみよう」ということになるわけですが、なかなかその「今度」の機会に恵まれないまま、気が付けば数年が経過したのではないかと思います…。過ぎ去る年月の早さは怖ろしいです。
といいますのもその神社は、電車から見ていて、「駅から意外と距離がある」というのがわかってしまっておりまして、それ故にこれまで、あまり気軽には行く感じにならなかったんだと思います。
しかしこのままだとまた何年も先になってしまいます。
次回登戸から南武線に乗る際には、おもいきってその神社まで行ってみようと、そう決めてしまいます。
で、事前に調べましたところ、その神社は登戸稲荷社というお稲荷さんのようです。
地図で見ますと、思っていたよりも近そうです。これまで距離を過大に目測してしまっていたようです。登戸駅から10分ちょっとくらいで行けてしまいそうなくらい、遠くはありません。
季節は1月の中旬です。ついにその機会が訪れました。
今年はここまでそんなに寒くない冬だったのですが、この日は冷え込みも厳しい一日です。天気も曇り空でしたので、お散歩日和とはいえませんが、おもいきって足を延ばしてみることに。
登戸駅に降り立ち、そのまま南武線の線路を右手にして、西へと歩きます。
そして歩くこと10分ほど。
いつも電車から見ていた境内が、間近に現れました。
登戸稲荷社に到着です。
ご由緒
ご祭神は、五穀豊穣の神様で、穀物や食物の神様である、宇賀魂大神(うかのみたまのおおかみ)です。宇迦魂大神、倉稲魂命などとも表記され、稲荷神と同一です。
創建の年代は不明です。武田家の家臣だった吉沢兵庫という武士が、登戸の地に帰農し、邸内の鎮守としてお祀りしたのが始まりといわれています。
安土桃山時代には、多摩川の洪水により社殿が流出してしまいますが、その後再建されています。
現在の社殿は、江戸時代後期に嵐により損傷を受けた後、再建されたものとなります。
登戸稲荷社とも称され、古くからこの地の人々に厚く信仰されている神社です。
境内案内
こちらが登戸稲荷社の入口です。石鳥居の先に社殿も見えます。
鳥居の右手には、「天保十五年」と刻まれた碑と、その後ろにはご由緒書きです。
左手には手水鉢があり、そのさらに左には左官職人について書かれたものがありました。登戸には左官職人が多く、こちらの稲荷神社の社殿には、漆喰の彫刻が施されているとのこと。
一礼して鳥居をくぐります。扁額には「稲荷社」と刻まれています。
境内に入りますと、参道の左右に聳えている銀杏の木が、まず目に飛び込んできます。
左手には、石灯籠、神狐、石灯籠が、その順番で三つ並んでいます。
こちらはお狐さんを間近で。玉に乗ったお狐さんです。お顔が欠けてしまっていますね。
右手にも同じく、石灯籠、神狐、石灯籠と三つ並んでいます。
右のお狐さんには子供もいますが、親も子もどちらもお顔が欠けてしまっています。
参道を拝殿へと進みます。境内には大きな木が何本か聳えています。
木々の中でもやはり、参道の左右の銀杏が目を惹きます。ついつい見上げてしまいます。
境内の左手には、戦役記念碑などの石碑が並んでいました。中央のものは、乃木希典の書とあります。手を合わせます。
三つの石碑の左には社殿の改修記念碑があり、そのさらに左、入口の鳥居近くには句碑がありました。
参道の右手には神楽殿と授与所です。
参道の二本のほかにも、境内には銀杏が多いです。
夏の銀杏も見上げてみたくなります。
拝殿の前へと進みます。ここまで近づいて初めて、拝殿にはたくさんの彫刻が施されていることに気が付きます。
彫刻は前面だけではなく、後ろの扉や左右にも施されています。
前面には迫力のある龍です。龍が何頭もいまして、木鼻の方にまで巻きついています。これは素晴らしい。しばらく見入ってしまいます。
扉には、透かし彫の獅子が四頭。こちらも迫力があります。上には馬(違ったらすみません…)や鳳凰と思われるものも。
しばし彫刻を眺め、それから参拝させて頂きます。
拝殿の前面、左側には、獅子、馬(麒麟かもしれないです)、鳳凰(朱雀だったらすみません…)です。
同じく拝殿の前面、右側にも、獅子、馬、鳳凰の彫刻です。
拝殿を振り返りますと、こんな景色です。やはり二本の銀杏の存在感が大きい気がします。
境内を散策してみます。こちらは社殿を左斜め前から。
奥に神輿庫が見えましたので、行ってみます。
拝殿は側面の上にも彫刻が施されています。
そして拝殿と本殿を区切る仕切りのようなものでしょうか、こちらには人物と怪鳥のような彫刻です。後から調べましたところ、人物は三国志の高覧という武将のようです。
こちらは高覧の彫刻の裏側です。彫られているのはお猿さんでしょうか。
高覧の先には、左官職人による漆喰絵が描かれています。龍ではないかと思います。ガラスで保護されていました。
社殿の後ろには神輿庫が並んでいます。神輿庫の前は、参拝者用の駐車場にもなっています。
今度は境内の右手へ。こちらは社殿を右斜め前から。
右の奥には大きなクスノキがあるのも見えます。
拝殿の右側には、左側と同じく彫刻が施されています。
そして左と対となる位置の仕切りに、同じく高覧の彫刻です。
こちらは右の高覧の裏側。
高覧の後ろには、反対側と同じく漆喰絵です。こちらには狐が描かれていました。
こちらは境内右奥のクスノキです。大きくて立派です。
木々を見上げたり、社殿の彫刻をじっくり見たり、しばしのんびりと過ごしてから、境内を後にしました。
参拝を終えて
いつも電車から見ていた登戸稲荷社に、ようやく参拝することができました。
もちろんですけれど、電車からその後ろ姿を見ているだけでは、絶対にわからなかった発見がたくさんありました。
一番印象に残ったのは、やはり社殿に施された数々の彫刻です。その種類や数も多く、どこを見たらいいかわからなくなるくらい、たくさんありました。そしてその一つ一つが素晴らしかった。
僕は予備知識ゼロで訪れてしまいましたので、実際に拝殿に近づくまでは、その彫刻の存在を知りませんでした。
まず、中央に何頭もの迫力のある龍がいるのが飛び込んできます。
木鼻の方まで、まるでぐるっと龍が巻きついているかのようにも見えます。近づけば近づくほど、その迫力をひしひしと感じます。
龍の後ろには、扉に獅子、上には馬や鳳凰などが彫られていまして、そのどれも見事で、一つ一つに見入ってしまいました。
参拝後、さらにそこから拝殿の脇に回りますと、左右どちらの側面にも彫刻が施されていました。本殿へと続く仕切りというのでしょうか、そこには人物も彫られていまして、どうやら三国志の高覧という武将の彫刻のようです。
極めつけは、社殿側面の白い壁に、漆喰にて絵が描かれているんです。左右どちらにもです。漆喰絵というやつですね。
僕は神奈川の浦賀にある八雲神社にて、見事な漆喰の龍を見たことがあるのですが、登戸稲荷の漆喰絵は、またそちらとは違う感じの漆喰絵でした。神社ではなかなか出会えないものではないかと思われます。
社殿の彫刻、漆喰絵、どちらもいいものを見させて頂きました。
境内には、社殿を囲むように大きな木が何本か聳えています。中でも拝殿の前、参道の両脇に聳えていた二本の銀杏が、存在感が大きかったです。神狐さんと同じく、社殿を守るかのような位置にありましたので、余計にそう感じたのかもしれません。
社殿の右奥にあったクスノキも立派でした。
入口の鳥居の右手には、途中で切られたケヤキがあったのですが、そちらも切られる前はかなりの大木だったのではいかと思われます。
大きな木々が聳える冬の境内にて、のんびりとした時間を過ごさせて頂きました。
今度は緑が茂る季節にも、改めて訪れてみたいです。
登戸稲荷社、参拝できてよかったです。
御朱印
登戸稲荷社では、通常は御朱印は扱っていませんが、お正月のみ境内の授与所にて、頂くことができるようです。
(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は神奈川県川崎市多摩区登戸2297です。
登戸稲荷社の公式サイトはありません。
電車
小田急線/JR南武線 「登戸駅」から徒歩10分。
南武線の線路を右手に見つつ、西(中野島駅方面)へと歩きます。ガードをくぐった先になります。
駐車場
社殿の後ろに参拝者用の駐車場があります。裏手から入って停める形です。特別な日でなければ問題なく駐車できるかと思います。近くにはコインパーキングもあります。
周辺のパワースポット
川崎市の神社一覧
僕が参拝した川崎市の神社一覧です。