茅野市にある神長官守矢史料館の拝観レポートです。
読み方は「じんちょうかんもりやしりょうかん」です。諏訪大社の祭礼に関する古文書を中心に、総点数1618点の古文書が収蔵され、展示されている史料館です。御頭祭(おんとうさい)と呼ばれる鹿や猪を生贄にした神事の復元展示も行われています。
諏訪大社の起源となった場所にあり、敷地内には、信仰の起源ともいわれるミシャグジ神をお祀りした御左口神社(みしゃぐじじんじゃ)などがあります。
茅野の「神長官守矢史料館」へ
僕がこのブログで神社と寺院以外を紹介するのは初めてになります。と言っても、守矢史料館の敷地内にも神社がありますので、厳密にはその紹介でもあるのですが。
まず「神長官守矢史料館」と言うのは、一体何なのか?どんな史料館なのか?
詳しくは後述させて頂きますが、全国に一万社以上あると言われる諏訪神社の総本社、「諏訪大社」と大変関わりの深い史料館です。
諏訪大社は、諏訪湖を中心にして、南に上社と呼ばれる前宮と本宮、北に下社と呼ばれる秋宮と春宮、この四つの宮の総称です。七年に一度行われる奇祭「御柱祭」でも有名な神社です。
守矢史料館は、特に諏訪大社の上社と関わりの深い場所になります。
僕は現在東京に住んでいるのですが、出身は長野県の茅野市なんです。諏訪大社の上社前宮や、この守矢史料館のある市なんです。
ですので諏訪大社には子供の頃から馴染みが深く、初詣は毎年行っていましたし、御柱祭にも参加しています。
にも関わらず…
この神長官守矢史料館の存在を僕は今まで全く知りませんでした。
僕は数年前から嫁と神社巡りをするようになり、御朱印も頂き、このようなブログも書いています。
そして今年の5月に帰省した際に、諏訪大社の上社、前宮と本宮を時間を掛けて回り、御朱印も頂きました。その記事はこちらです。
この二つを回り実家に戻ったところ、うちの親父が守矢史料館の存在を教えてくれたんです。上社の前宮と本宮の中間くらいにあり、「諏訪大社の起源となった場所」だと。
どうせなら出掛ける前に聞きたかったですけどね。
またそこは、明治時代まで諏訪大社上社の神長官をつとめた守矢(もりや)家の敷地内とのこと。守矢家と言うのは僕も名前は聞いたことがありましたが詳しくは知らなかったので、興味が湧きます。
これは是非とも行ってみたい。
いや、行かねばいかん。
ですがその日は東京に戻らなければいかず、改めて史料館に行く時間もなかったため、泣く泣く諦めました。
そして8月。お盆に帰省した際に、今度は下社の秋宮と春宮を参拝し、その帰り道、ついに念願の「神長官守矢史料館」に立ち寄ることができました。
諏訪大社に行く際にはいつも通っていた道路沿いにあったのですが、今までその存在に全く気付きませんでした。
小さな駐車場に車を停め、史料館へと向かいます。
守矢史料館とは?
諏訪大社のご祭神は、大国主命の御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)ですが、本来のご祭神は諏訪地方の土着の神々であるという説もあります。
土着の神として、諏訪地方が起源ではないかと言う説もある「ミシャグジ神」と言う神様がいます。ミシャグジ信仰として東日本の広域に渡って分布し、古くは縄文時代からその信仰があったのではないかとも考えられています。
民族学者の柳田國男はこれを、大和民族に対する先住民の信仰としています。
このミシャグジ神を祀る祭政を司っていた者が洩矢神(もりやしん)と呼ばれています。一方で、ミシャグジ神と洩矢神は同一とする見方もあるようです。
ミシャグジ神は、諏訪大社の現在のご祭神である建御名方神と習合され、同一視されるようになったと言う説もあれば、建御名方神が侵入し洩矢神がそれに敗れたと言う説もあります。
そして洩矢神の子孫が、明治時代まで諏訪大社を神長官として護ってきた「守矢家」なんです。神長官は諏訪大社上社の神職の長です。様々な説はありますが、遥か昔から洩矢神としてミシャグジ神の祭政を司り、その後も神長官として代々諏訪大社を護ってきた家です。また、諏訪大社の神体山は、守屋山と言う山になります。
現在も、諏訪大社上社の前宮と本宮の中間には守矢家があり、その敷地内にあるのが「神長官守矢史料館」です。
諏訪大社の祭礼に関する古文書を中心に、総点数1618点の古文書が収蔵され、その一部(武田信玄の書状など)が展示されています。
また、御頭祭(おんとうさい)と呼ばれる鹿や猪を生贄にした神事の復元展示も行われています。
史料館は平成3年に開館し、茅野市出身の建築史家、藤森照信(ふじもりてるのぶ)氏によるもので、独特な外観を持つ建物です。史料館の近くには、同氏の「空飛ぶ泥舟」と言う茶室を見ることもできます。
守矢家の敷地内には、ミシャグジ神信仰の中枢とされる御左口神社(みしゃぐじじんじゃ)や、諏訪氏の墓所などもあります。
遥か昔より諏訪地方と関わりが深く、諏訪大社とも密接な関係である、ミシャグジ神と守矢家。
神長官守矢史料館は、その歴史や信仰に触れることができる場所です。
史料館の見学とミシャグジ神社への参拝
諏訪大社上社の前宮と本宮の中間に、神長官守矢史料館はあります。小さいですけれど看板も出ています。
駐車場はありますが、7台ほど停まると満車です。この細い道の先に史料館があるようです。
車を停め、史料館を目指します。途中に立派な松があり、その先に門が見えます。
松の辺りで脇に鳥居が見えましたので、道を逸れて行ってみますと、鳥居には藤森神社と書かれていました。参拝します。
再び門に向かいます。門の手前には「神長官守矢史料館」と書かれた石碑です。
塀には「神長官 守矢」とあります。現在も守矢家のご子孫はここにお住まいなんですね。
門の手前、左手には古く雰囲気のある建物。行ってみます。
神長守矢家の祈祷殿と書かれています。
かなり古い建物のように見えます。少し近づき難いような雰囲気もありました。
門の前まで戻り、一礼して門をくぐるとこんな景色です。のどかな風景が広がっています。
左手が、どうやら守矢家のご自宅のようです。
真っ直ぐ進むと景色が開けます。生憎の曇り空ではありますが、のどかで気持ち良いです。右手には史料館、真っ直ぐ行った先には社があるのが見えます。
こちらが史料館です。独特な造りになっていて、御柱のような四本の柱が入口に突き刺さっています。これはイチイの木とのこと。
史料館は後ほどじっくり見ることにして、直進して社に向かってみます。
こちらが、ミシャグジ神が祀られている御左口神社(みしゃぐじじんじゃ)です。僕の親父が諏訪大社の起源と言っていたのは、この御左口神社のことだと思います。後ろには大きな木が茂り、特別な場所を思わせる空気が漂っています。
御左口神社の前から来た道を振り返ると、こんな景色です。
御左口神社へ近付いてみます。社がとても古いものに見えます。周囲には四本の御柱も立てられていますね。
祠にはお賽銭だけでなく、木の実も置かれていました。
参拝します。静かな時間が流れて行きます。
社の左手には、神社を囲う林である社叢(しゃそう)の説明書き。「みしゃぐじ」とここまで書いてきましたが、こちらの説明には「みさく」と書かれていますね。後ろには諏訪大社の御神紋である梶の木です。樹齢1000年と400年の2本です。
社の左隣りにも小さな祠。四方を御柱に囲まれています。参拝します。
祠の脇には大きな栗の木です。
右側にも小さな祠が二つ並んでいます。それぞれ御柱が立てられています。
社の後ろの大きな木はカヤの木です。
立派なカヤの木です。この御左口神社を囲む社叢は、茅野市の天然記念物に指定されています。
その後ろものどかな景色が広がっていました。
右の二つの祠にも参拝します。
さらに祠の右手には看板があり、先に何かあるようなので行ってみます。
田舎道を進みます。
その先には墓石が並んでいる一帯が。ここはこの地方を治めていた諏訪氏のお墓とのこと。なんだか異空間にいるような錯覚に陥ります。
お墓を抜けると、坂の先に何やら不思議なものが。
こちらが、守矢史料館を設計した藤森照信氏による「空飛ぶ泥舟」と言う茶室です。奥のものと合わせて二つ見ることができます。
空飛ぶ泥舟を見て、来た道を戻ります。そしていよいよ史料館へ。
こちらが守矢史料館の正面です。入館料は大人100円、高校生70円、小中学生50円です。入ります。
入るとすぐ、正面に兎やら鹿の首やら猪の首やら…なかなかインパクトのあるものが目に飛び込んできます。
右手には守矢家についての説明と、動物を生贄にする「御頭祭」の説明です。動物の首などの展示は、御頭祭の復元とのこと。
手前から、兎の串刺し、猪の頭皮、鹿の脳みそ、兎と鹿の肉が並んでいます。
こちらが生の兎と鹿の肉、鹿の脳みそです。
こちらは「耳裂鹿」です。生贄の鹿の中には、必ず耳が大きく裂けた鹿がいると言う、諏訪大社七不思議の一つです。この鹿も右耳が大きく裂けています。
耳裂鹿の先には魚やお酒。こちらが普通に見えてしまいますね。
これが一番インパクトがありました。15頭の鹿の首と、10頭の猪の首です。こんな数の剥製が並んでるのを見たのは、僕はこれが初めてです。しかも、どの顔も笑ってるように見えるんですよね。
神事で使われた刀や弓なども展示されています。
御頭祭復元展示の先が、古文書の展示になっています。そこからは撮影禁止でしたので、入口だけ。
中から史料館の入口の方を見ますと、こんな感じです。
やはり首がすごいので、何度も見てしまいます。
しばし館内でのんびり過ごし、守矢史料館を後にしました。
見学を終えて
諏訪大社の上社、前宮と本宮の間に、こんな場所があったとは…。
僕は史料館のある茅野市で生まれ育ち、諏訪大社に何度となく訪れているにも関わらず、その存在を今まで全く知りませんでした。
たまたま帰省した際に父親から教えてもらい、訪れることができたのですが、それがなかったらずっと知らずにいたかもしれません。うちの親父は茅野生まれの茅野人ですので、やっぱり地元の人は知ってるものなんだな~と。
また、小学校の頃に家族で「守屋山」と言う山に登山した覚えがなんとなくあるのですが、それが諏訪大社上社の神体山だと言うことも、最近ようやく知りました。
ずっと地元にいても、知らないことってたくさんありますね。
そんな初めて訪れた神長官守矢史料館ですが、なかなか凄いところでした。史料館だけではなく、敷地内には見どころがたくさんあり、そのどれも惹きつけられるものばかりです。
その中でも僕が特に印象に残ったものは二つ。
一つは、史料館の中にあった、鹿や猪の頭が並ぶ御頭祭の復元展示。
もう一つは、敷地内にある、ミシャグジ神を祀る御左口神社(みしゃぐじじんじゃ)。
この二つはなかなか強烈でした。
御頭祭の復元の方は、見た目のインパクトですね。鹿と猪の頭が綺麗に壁に並んでるんです。数えてみたところ、鹿が15頭、猪が10頭でした。剥製になったこれだけの数の首を見るのも初めてですし、そのどれも笑っているように見えて、頭に焼きついてしまう光景です。すぐ隣りには串刺しになった兎や、耳が裂けた鹿もいます。
この復元展示により、館内はなんとも言えない独特の空気になっています。
御頭祭は、現在は剥製の鹿や猪の頭を使い行われるそうですが、かつてはその度に生贄として動物が捧げられていたんですね。
壁一面に剥製が並ぶ光景は、人によっては怖いものに感じるかもしれません。僕は怖いと言うよりは、なんだか現実離れしたものを見ている感覚になりました。忘れることなく記憶に残るものになりそうです。
守矢史料館は、その館内だけではなく、周辺にも凄いものがあるんです。
諏訪大社の起源とも言われる、ミシャグジ神を祀る御左口神社。
この神社は高台にあるのですが、周囲をのどかな田舎の風景に囲まれています。社の周りには大きな木が茂り、四方には御柱。社の左右にも小さな祠が三つあり、それぞれ御柱で囲まれています。この一角は、神域のような近付き難さもなくはないのですが、どちらかと言うとのどかな田舎の風景に溶け込んでいる感じがします。自然の一部分、と言えば良いのでしょうか、僕はそんな印象を受けました。
ミシャグジ神と諏訪大社との繋がりは様々な説があるようですが、ここが信仰の始まりの地かもしれないと思うと、それだけで不思議な気持ちになりました。
参拝できて良かったです。
この他にも、諏訪氏のお墓は異空間のような場所でしたし、少し歩いた先にあった「空飛ぶ泥舟」も見れて良かったです。
入口にあった祈祷殿も古く雰囲気のある建物でした。
一つだけ悔いが残るのは、敷地内に「神長官裏古墳」と言うのがあったようなのですが、見ないまま帰ってしまいました…。
こんな古墳みたいです。
(画像出典:ja.wikipedia.org)
敷地内のどこにあるのかもわからなかったので、悔しいのでまた見つけに行こうと思います。
詰めが甘かったです。
とはいえ、貴重な御頭祭の展示も見れましたし、ミシャグジ神を祀る神社にも参拝できました。
のどかな田舎の景色が広がる中にありますので、時間もゆっくりと流れている気がしましたし、とても居心地の良い場所でした。のんびりとした時間を過ごすことができました。
神長官守矢史料館とミシャグジ神社。訪れることができてよかったです。
この後僕たちは、諏訪大社の境外末社であり、前宮と深い関わりのある葛井神社へと向かいます。
御朱印
守矢史料館、ミシャグジ神社には御朱印はありません。
(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
営業時間とアクセス
住所は長野県茅野市宮川389-1です。
定休日と営業時間
神長官守矢史料館の公式サイトはありませんが、茅野市の公式サイトに休館日などの案内が出ていますので、必ずご確認ください。
https://www.city.chino.lg.jp/soshiki/bunkazai/1639.html
定休日は毎週月曜日と祝日の翌日です。年末年始は12/29~1/3まで休館です。
開館時間は午前9時~午後4時30分です。
大人100円、高校生70円、小中学生50円(記事更新時)で入館できます。
電車
JR「茅野駅」からタクシーで6~9分。
徒歩でも行けない距離ではありませんが、40分くらい掛かると思いますので、あまりお勧めはできません。
駐車場
諏訪ICからは5分ほどです。7台ほど停められる駐車場があります。
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