下諏訪町にある諏訪大社・下社春宮の参拝レポートです。
読み方は「すわたいしゃ・しもしゃはるみや」です。
諏訪大社は、長野県の諏訪湖周辺にある四つの神社の総称です。諏訪湖の南側にある二つが上社、北側にある二つが下社で、上社には前宮と本宮が、下社には秋宮と春宮があります。
春宮は旧中仙道沿いに鎮座していて、最寄り駅は下諏訪駅になります。神楽殿や珍しい造りの幣拝殿は国の重要文化財に指定されています。西に流れるは砥川(とがわ)の先には、万治の石仏があります。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
諏訪大社の下社「春宮」へ
諏訪大社は僕が生まれ育った諏訪地方の大きな神社でして、子供の頃から馴染みのある場所です。
とはいえ神社に興味を持ってからは、じっくりと参拝したこともありませんし、御朱印を頂いたこともありませんでした。
こんなブログを書いておりますし、帰省した際に諏訪大社を四つじっくり回ってみようとは思っていたのですが、なかなか時間が作れず。
ようやく今年の5月に、上社の前宮と本宮に参拝することができ、初めて御朱印も頂きました。
実家のある茅野市は上社の地域なので、家からも車ですぐなんです。
それに対し、下社の方は少し離れた場所にあり、訪れた記憶もありません。子供の頃とか何度か行ってるっぽいのですが、もう時が経ち過ぎていて全く覚えてないんですよ。
季節は夏真っ盛りの8月、お盆より少し前。
帰省に合わせて、今度はそんな下社の秋宮と春宮に、嫁を伴い行ってみることにしました。
まずは秋宮に参拝。見どころもたくさんあって、かなりのんびりと散策させて頂きました。上社とはまた違った造りになっていて、同じ諏訪大社の一つではありますが、新鮮で興味深いものだらけでした。
続いて向かったのが春宮です。
秋宮、春宮って、名前がもうなんだか素敵ですよね。他にこんな名前が付いた神社はないのではないでしょうか?どうせなら夏宮と冬宮もあればいいのに、なんて考えてしまったり。普通の発想で申し訳ないですけど。
前宮って名前も他では聞いたことないかもですね。
秋宮と春宮は近くにあります。少々時間は掛かりますが、徒歩でも行ける距離です。上社の前宮と本宮も近くにあったので、それと同じくらいの距離ですね。実家で両親の車を借りて出掛けてきましたので、もちろん僕たちは徒歩ではなく車での移動ですが。
秋宮を出て、春宮を目指します。途中左手には諏訪湖がちらちらとその姿を現しているのが視界に入ります。
下社は二つとも諏訪湖に近い場所にあるんです。それに対し上社は、諏訪湖からはやや離れた場所です。
秋宮からは車で5分掛からないくらいだったでしょうか。
春宮に到着です。
諏訪大社のご由緒
諏訪大社は、諏訪湖を中心にして、上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮の四ヶ所にある神社で、全国に一万社以上あるといわれる諏訪神社の総本社です。
ご祭神は、大国主命の御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)です。
本来のご祭神は、諏訪地方の土着の神々であるという説もあります。
諏訪大社の創建年代は不明ですが、日本最古の神社の一つと言われています。武甕槌命との相撲に敗れた建御名方命が諏訪の地に逃れ、以後は他の土地へ出ないことを誓ったのが起源とされています。
文献に最初に登場したのは飛鳥時代の初期で、平安時代には建御名方富命神社、須波社と称され、信濃国の一宮とされていました。古くから軍神として崇められ、坂上田村麻呂も戦勝祈願を行ったそうです。
鎌倉時代になると、源頼朝により厚く庇護され、神馬も奉納されています。この頃に武士から軍神として信仰されたことのより、全国に諏訪信仰が広まったと考えられています。諏訪社と表記されるようになったのもこの時代です。
戦国時代には武田信玄による諏訪侵攻により武田領となり、信玄により厚く崇敬されました。信玄は戦の時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に、諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられています。
安土桃山時代には、織田・徳川連合軍による武田領侵攻の際に、下社が放火されると言う戦災にも見舞われています。
明治4年には諏訪神社が正式名称となり、昭和23年に現在の諏訪大社の号が用いられるようになりました。
天下の奇祭と言われる、七年に一度の御柱祭でも有名な神社です。
四ヶ所にある宮のそれぞれの社殿は、四隅に御柱が立てられ、社殿の多くも重要文化財に指定されています。
大変歴史の古い神社で、諏訪信仰の総本社として、厚く信仰されている神社です。
春宮のご由緒
下社春宮のご祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)です。また、建御名方神の兄である八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ)が合祀されています。
上社の本宮と前宮が、本社と摂社と言う関係なのに対して、下社の秋宮と春宮は同格とされています。また、狩猟民族的な性格を有している上社に対し、下社は農耕民族的な性格を有しているといわれています。
春宮の御神木は杉の木、秋宮の御神木は一位の木です。
旧中仙道沿いに鎮座していて、下社最初の遷座地とされています。
ご祭神が祀られているのは毎年2月~7月で、8月~翌1月は秋宮に遷座します。
鳥居へと続く参道の途中には、下社では最古の建造物で、室町時代に造られた「下馬橋」と呼ばれる太鼓橋があり、身分に関わらず馬から降りて渡らなければいけない橋でした。現在も遷座祭で神輿のみが渡る橋です。
重要文化財に指定されている神楽殿は、江戸時代中期の天和の造営です。
同じく重要文化財の幣拝殿は、江戸時代中期、安永の時代のもので、幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで左右に片拝殿が並んでいる、珍しい造りとなっています。
神楽殿や幣拝殿の配置や構造は秋宮と全く同じで、古くは春宮と秋宮の間で、建築の技が競われていたそうです。
春宮の西には砥川(とがわ)と言う清流が流れ、どんな大水にも流れなかったと「浮島」があります。その先には春宮の大鳥居を造る際に鑿をを入れたところ血を流したと言われる「万治の石仏(まんじのせきぶつ)」があり、これは岡本太郎も絶賛したと言われる石仏です。万治の石仏と、春宮の御影石の大鳥居は同じ人物による作だと言われています。
同じ下社の秋宮と並び、多くの参拝者が訪れる神社です。
境内案内
駐車場に車を停め、春宮の鳥居へ。鳥居の向こう側には神楽殿が見えます。
鳥居の手前、左手に手水舎です。下社は手水舎がどちらも鳥居の外にあります。
お清めをします。水が冷たくて気持ちいいです。
鳥居に向かい右手、手水舎の反対側に石段がありましたので上ってみたのですが、特に何もありませんでした。建物は社務所のようです。
こちらが春宮への入口となる大鳥居です。万治の石仏と作者が同じと言われている、御影石の大鳥居です。
一礼して鳥居をくぐります。夏の緑が青空に映えています。
参道を進みます。少し上り坂になっていますが、両脇には深い緑が茂り、心地良い参道です。
参道の左手には、信州の銘酒の酒樽が並んでいます。お酒飲みたい。
こちらは左の狛犬さん。ちょうど酒樽の前にいます。
こちらが右の狛犬さん。どちらも古いもののように見えます。
参道を進みますと、正面に神楽殿が見えてきます。境内の造りは秋宮と似ていますね。
大きな木も茂っていて、ついつい見上げてしまいます。
神楽殿へと進みます。大きな縄が目を惹きますね。
神楽殿の左手にも、古い建物があるのが見えました。
神楽殿の右手に「結びの杉」と言う大きな杉の木です。先は二又に分かれていますが根元で一つになっていることから、「縁結びの杉」とも呼ばれ、パワースポットにもなっているようです。
こちらが「結びの杉」の先です。確かに二又に分かれています。
神楽殿の正面に立ちます。社殿も素敵ですが、やっぱり縄の存在感ハンパないですね。
神楽殿を左回りで、幣拝殿へと歩を進めます。
左手に、筒粥神事と言う作物の豊凶を占う神事が行われる筒粥殿です。
左奥の突き当たりに「春宮二」の御柱。
春宮二の御柱の左手に、末社である子安社です。
幣拝殿の左奥には、「春宮三」の御柱が見えます。
こちらは春宮二の御柱側から振り返った神楽殿です。
幣拝殿に向かいます。秋宮と同じ造りですね。
左斜め前から近付きます。独特な造りの社殿で、彫刻の凄さが目を惹きます。
こちらが春宮、幣拝殿の正面になります。
左手前には、左右片拝殿の説明書き。幣拝殿の左右に延びている建物が片拝殿になります。
蝉の声を聞きながら、参拝します。彫刻が素敵です。
中にも彫刻が施されているのが見えます。
右手前には幣拝殿の説明書き。
幣拝殿を右斜め前からも撮影。独特で魅力的な社殿です。
右の片拝殿の先に、「春宮一」の御柱です。四本のうちで一番太い柱になります。
奥には「春宮四」の御柱も見えます。幣拝殿と、その後ろにあるはずの宝殿、御神木を囲むように、四本の御柱が立っています。
春宮一の御柱の右手に、摂社と末社です。左が摂社の若宮社、右が末社の上諏訪社です。参拝します。
幣拝殿を引きの絵で右斜め前からも。見れば見るほど魅力的です。
右手にあった上諏訪社の脇に石段があり、上に何かありましたので行ってみます。
これは御神紋の梶の木ではないかと思われます。
石段の上から幣拝殿の方を見ますと、こんな景色です。
同じ場所から入口の方を見ますと、こんな景色です。特徴的な石灯篭が並んでいるのも見えます。
こちらは、神楽殿の前辺りから入口の方を見た景色。
入口の大鳥居をくぐった先、右手にあたる場所に社務所があります。こちらで御朱印を頂きました。
境内の左側から神楽殿、幣拝殿を見るとこんな感じです。
こちらは参道の左手にあった古い建物。何に使われる建物かはわかりませんでした。
その脇には大木が聳えています。
大きな木が何本も茂っている境内は、それだけで神秘的な感じがしてしまいますね。
一通り境内を散策しましたので、近くにある「万治の石仏」に行ってみることに。境内の左手から行けるようです。
万治の石仏へと続く道の入口には、門のように大きな石灯篭。
近くに川の音を聞きながら、歩きます。途中小さな祠があったのですが、四方にはちゃんと御柱が立てられていました。
川の向こうに見えるのが浮島です。どんな大水にも流れなかったと言う、下社七不思議の一つと言われている場所です。
浮島に上陸。黒い鳥居がありましたので、くぐります。鳥居の脇にあった石碑には「浮島社」と書かれていました。
鳥居の先にあった浮島社に参拝します。こちらも四方に御柱が立っていますね。
浮島から赤い橋を渡り、万治の石仏方面へ。
右手に川の流れる、とても気持ち良い道を歩きます。
こちらが右手に流れる砥川(とがわ)です。諏訪大社の四つの宮は、それぞれすぐ近くに川が流れています。
少し歩いた先に、万治の石仏の伝説が書かれています。春宮の大鳥居に石材を使おうと鑿を入れたところ、血を流したそうです。
綺麗な稲の苗の向こうに、万治の石仏が見えました。かなり独特な容姿をした石仏ですね。
石仏へと向かいます。一度見たら忘れない、不思議な形をした石仏ですね。
こちらが万治の石仏の正面です。参拝の仕方が先ほど書かれていたのですが、一礼し「よろずおさまりますように」と念じた後、時計回りで石仏の周りを三周。正面に戻り「よろずおさめました」と唱え一礼。僕たちもその手順でお参りします。よろずおさまりますように。
しばし万治の石仏を眺めた後、来た道を戻ります。先ほどは浮島経由で来てしましましたが、浮島を通らずに来ると、岡本太郎の書による「万治の石仏」の碑です。岡本太郎は万治の石仏を絶賛したそうです。
先ほど浮島社に参拝した時には気付かなかったのですが、浮島の先端には大きな石灯篭のようなものがあり、その四方にも御柱が立っていました。川辺で遊んでいる人達もけっこう見掛けました。
すれ違った女子高生が二人、気付けば川に入って遊んでいました。田舎ならではの光景ですね。
春宮に戻り、一礼して大鳥居から境外へ。
少し先、車道の真ん中に古い橋がありましたので、そちらにも行ってみます。
こちらが下社最古の建造物で、「下馬橋」と呼ばれる橋です。神輿のみが渡る橋とのこと。しばし橋を眺め、駐車場に戻り、春宮を後にしました。
参拝を終えて
諏訪大社の四つの宮のうち、最後に訪れた下社の春宮。
とても素敵な神社でした。
境内の造りは秋宮と似ているのですが、全体的な広さは秋宮に比べると小さく、山の中にある感じで、静かな印象を受けました。
そんな静かな空気の中、参道の真ん中に建てられた神楽殿。掛けられた縄の存在感は大きかったのですが、社殿自体は秋宮よりもかなり落ち着いた雰囲気の社殿で、静かに建っている感じです。
続いて、その奥にあった幣拝殿。こちらは秋宮と同じ造りで、まずはその独特な造りに惹かれてしまいます。そしてそこに施された、たくさんの見事な彫刻たち。幣拝殿と奥にある森とを合わせて見た景色は、ずっと見ていられそうな景色です。
四方に立つ御柱も、まるで結界を作っているように見えました。
そんなに広い境内ではないのですが、大きな木が茂る緑に癒され、蝉の声を聞き、のんびりと過ごさせて頂きました。静かな時間が流れる場所でした。
いったん境内を出た先に「万治の石仏」があるのですが、そこまでの道のりがとても気持ち良かったです。
砥川と言う清流が流れ、水の音が心地良く耳に入ってきます。川遊びをしている人の姿も多く見掛け、気持ち良さそうだったので、僕たちも川に入ろうかどうか少し迷ったくらいです。結局後のことを考え、川には入らなかったんですけどね。
そして目的の「万治の石仏」が、とても良かったです。なんとも言えない不思議な形をした石仏で、周りを苗の緑に囲まれている姿は、異世界のもののように見えてしまいました。春宮から石仏までは歩いて5~7分ほどですので、是非足を延ばしてみてください。
この春宮で、僕たちは諏訪大社の四つの宮の御朱印を頂いたことになります。
上社の前宮と本宮、下社の秋宮と春宮。四つの宮の御朱印を全部頂くと、最後に訪れた神社で記念品を頂くことができます。
こちらです。
そば落雁と、しおりです。
このようなものを頂けると思っていなかったので、嬉しかったですね。そば落雁は帰宅後に美味しく頂きました。四つ回った甲斐がありました。
生まれも育ちも諏訪地方でありながら、こんなふに四つの宮をちゃんと回ったのは僕は今回が初めてです。そのどれも素晴らしく、魅力的な場所でした。諏訪大社って凄いなって、改めてそう感じました。
春宮からの帰り道、駐車場から車を出してすぐの交差点にも、春宮へと続く鳥居があります。こちら、車の助手席から嫁が撮った鳥居の写真です。
結ばれている縄が、諏訪大社の御神紋である梶の形になっていました。
そして僕は全く気付かなかったのですが、この御神紋について嫁が発見。
下の画像、左が下社の御神紋で、右が上社の御神紋です。
なんだか間違い探しみたいですけれど、微妙に違うんですよね。
下の足(?)の部分が上社は4本、下社が5本なんです。僕はこれ、初めて知りました。きっとまだまだ知らないことが色々あるんだろうな~と思います。諏訪大社について、もっともっと知りたくなりました。
是非また実家に帰省した際には、参拝してみようと思います。
諏訪大社の四社巡り、とても良かったです。
この後僕たちは、諏訪大社と関わりの深い場所、神長官守矢史料館へと向かいます。
御朱印
こちらが諏訪大社・下社春宮の御朱印です。
御朱印の受付時間
御朱印と御守りを頂ける時間は、9時から16時までです。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は長野県諏訪郡下諏訪町193です。
諏訪大社の公式サイトはこちらです。
http://suwataisha.or.jp/
電車
JR「下諏訪駅」から徒歩15~20分。タクシーで5~7分。
下諏訪駅から春宮→秋宮→下諏訪駅と回る循環バスと言うのも出ています。徒歩ですと駅から上り坂を15~20分ですので、それなりに距離はあります。
駐車場
入口の鳥居の前、右手に駐車場があります。かなりの台数は停められますので、特別な日でない限りは問題なく駐車できるはずです。
周辺のパワースポット
諏訪大社四社参り
諏訪大社は四つの宮の総称で、下社春宮もその一つです。諏訪大社の四社巡りについて、こちらの記事で詳しく紹介しています。