日光市にある日光東照宮奥宮の参拝レポートです。
読み方は「にっこうとうしょうぐうおくみや」です。奥宮ではなく「奥社(おくしゃ)」とも称されます。東照宮のご祭神である徳川家康公の御墓所で、眠り猫から207段の石段を上がった先にあります。世界遺産登録されている日光の社寺の一部です。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
徳川家康の墓所「日光東照宮奥宮」へ
東照宮に参拝した方は、おそらく奥宮にもそのまま足を運ばれる方がほどんどではないかと思います。ただ、207段という長い石段を上がらねば辿り着けませんので、足腰に自信のない方には厳しいかもしれません。
僕たち夫婦も7年前に東照宮を訪れ、長い石段を上り奥宮に参拝したことを、よ~く覚えています。当時は参拝者もそんなに多くなく、厳かな雰囲気が漂っていたことも記憶しています。
その後に、徳川埋蔵金が奥宮の地下にあるのでは?という都市伝説を耳にしまして、ぜひともまた訪れたいと思っていました。僕は都市伝説大好きなので。
このたび日光には、二泊三日という余裕を持ったスケジュールで、嫁と二人やって来ました。世界遺産である日光の社寺をゆっくり回る計画です。初日の宿泊も日光山内の旅館にしてしまいました。
で、一日目、二日目と順調に世界遺産を満喫し、その締めとなったのが奥宮です。
僕たちが訪れたのはコロナ禍の11月でして、前日に訪れた滝尾神社やその周辺、大猷院、そしてこの日の朝いちで訪れた二荒山神社も、タイミングが良かったのか、ほぼ人のいない境内という、贅沢な時間を頂いておりました。
しかしながら東照宮に関しては、やはり別です。
朝から多くの人が参拝している様子が見てとれまして、僕たちが訪れたお昼前も、まだまだ多くの参拝者で賑わっていました。特に小中学生の社会科見学が凄かったです。
混雑した境内を目の当たりにした瞬間は、じゃっかん心が折れそうになりましたが、折れている場合ではありません。せっかく、かの日光東照宮にやって来たのですから、貪欲にその魅力を味わわねば、と。
そんな心意気で、できるだけ境内の隅々まで観察しつつ、御本社まで参拝を果たします。
前回訪れたときよりも明らかに人は多かったですけれど、そんなことには関係なく、明らかに境内の細部まで楽しめるようになった自分がいました。これだけ神社巡りを続けていますので、じょじょにその楽しみ方を心得てきたのかもしれません。とか言いつつも、色々と見逃したりはしてますけれど。
御本社の参拝を終え、拝殿に向かって右手の奥には、有名な「眠り猫」がいまして、そちらが奥宮への入口になっています。
家康公の御墓所に手を合わすことができるというのは、大変貴重でありがたいことですし、日光の地に来たからこそ、できることです。
しっかりと参拝したいと思います。
眠り猫、207段の石段、そして奥宮へと向かいます。
ご由緒
東照宮のご祭神である、徳川家康公の御墓所になります。
創建は江戸時代初期の元和3年です。元和2年に家康公が亡くなられ、久能山に納められてから一年後、日光の地に遷され東照社としてお祀りされました。「遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして八州の鎮守となろう」との家康公の遺言に従った遷座です。
元和8年には宝塔が完成し、二代将軍秀忠も参拝しています。
三代将軍家光の時代には、寛永の大造替が始められ、現在の東照宮が造営されますが、元々あったものが現在の奥宮になります。
宝塔をはじめ、唐門、石玉垣、拝殿、銅神庫、銅鳥居、石柵など、全て国の重要文化財に指定されています。
長らく神聖な場所として、一般の立ち入りはできず非公開でしたが、昭和40年の東照宮350年式年大祭を機に、公開されるようになりました。
眠り猫から207段の石段を上がった先にあります。
平成11年に世界遺産登録された、日光の社寺の一部です。
境内案内
東照宮の拝殿に向かって右手、祈祷殿の奥に、奥宮への入口があります。
そしてこの入口の潜門に彫られているのが、有名な「眠り猫」です。手前ではなく奥に見える方です。
眠り猫は、江戸時代初期の伝説的な彫刻職人である、左甚五郎(ひだりじんごろう)の作によるものと伝えられています。諸説あるようですが、うたた寝をしているようでいて、いつでも飛び掛かれる姿勢であることから、家康公を御守りしているともいわれています。
眠り猫の門をくぐり振り返りますと、反対側には二羽の雀です。猫がいても雀は安心していられる、平和な世を願ったものであるといわれています。
潜門をくぐってすぐ、目の前にあるのが坂下門です。鶴や牡丹の精巧な彫刻が施されています。
一礼して坂下門をくぐり、ここから207段の石段です。
最初の石段を上がった先は、しばらく平坦な道が続きます。大きな杉が茂る参道は、歩いていて気持ちがいいです。
前方に再び石段が見えてきます。どうやらそこからいっきに上って行く感じです。
左手には東照宮の社殿群も。こちらからの景色も素敵です。
石段を一歩一歩上がります。
しんどくなってきた頃に、家康公の遺訓です。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。」
遺訓から先、石段もあと少しです。上には鳥居も見えます。
こちらが5代将軍綱吉により寄進された銅鳥居です。
一礼して鳥居をくぐります。扁額の「東照大権現」は、陽明門と同じく後水尾天皇の筆によるものです。
鳥居の先、参道は右に折れ、数段の石段です。その両脇には狛犬さん。徳川家康公の遺臣である、松平右衛門大夫正綱と秋元但馬守泰朝により、寄進された狛犬さんとのこと。こちらが右の狛犬さん。
狛犬さんの脇に、銅神庫です。すみません、写真近すぎて下手くそですけど。かつてはここに家康公の甲冑や刀剣などが収められていて、宝蔵とも呼ばれていたそうです。それらの品々は現在、宝物館に移されています。
こちらが左の狛犬さん。
石段の先に見えるのが、奥宮の拝殿になります。
拝殿の正面へ。黒を基調として金の装飾が施された、独特の美しさがある拝殿です。
参拝させて頂きます。かつては将軍にしか昇殿参拝は許されていなかったそうです。
拝殿から右手が参拝順路になっていましたので、そちらに進みます。拝殿を右斜め前から。美しいです。
拝殿の真後ろに、鋳抜門(いぬきもん)とも呼ばれる唐門と、その向こうに宝塔が見えます。桟橋のようになっていて、唐門の近くまで行けるようですので、行ってみます。
鋳抜門は、扉以外の部分を鋳型で制作したことから、そう呼ばれるようになったそうです。門の手前には立派な狛犬さん。そして左右には、蜃(しん)という伝説の生き物の姿。蜃は蜃気楼を作り出すとも言われています。
振り返ると拝殿の背面も見れます。扉が開いています。
鋳抜門の先、石段を上がると宝塔です。
宝塔の前には、花瓶、香炉、燭台の三具足があり、鶴と亀と獅子がいます。
宝塔は創建当初は木造で、その後に石造になり、さらにその後に現在の唐銅製へと造り替えられたそうです。
宝塔はぐるっと一周回ることができます。こちらは後ろ側から。この下に家康公が眠られていると思うと、なんだか不思議な気持ちになります。
宝塔を左手に見つつ、そのまま再び拝殿方面に進んで行きますと、樹齢600年の「叶杉(かなえすぎ)」があります。ほこらに向かって願い事を唱えると叶うといわれている杉で、パワースポットとしても知られています。
こちらは鋳抜門を後ろからと、三具足や鶴、亀、獅子も反対側から。
宝塔をぐるっと回ると、そのまま拝殿前へと戻る形で参道が続いています。
こちらは振り返って見た鋳抜門。行きとは反対側からです。
拝殿の脇に、おみくじと御朱印があります。御朱印はセルフサービスで、両替はしておりませんとの案内も出ています。小銭を入れ、一枚頂きます。
その先に授与所です。拝殿に向かってだと左手にあたる場所です。こちらには奥宮限定の叶杉守や、叶鈴守が置かれています。
奥宮を後にし、再び長い石段を下ります。
無事石段を下り、坂下門と眠り猫をくぐり、再び東照宮の拝殿や三猿の前を通り、境内を後にします。
参拝を終えて
奥宮への参拝を終えたことで、世界遺産である「日光の社寺」を、ひととおり回ることができました。
強行スケジュールを組めば、おそらく一日でも全て回ることは可能かと思うのですが、やはりじっくり見て回るのでしたら、最低でも一泊はした方が確実ですね。
最後の締めとなった奥宮は、混雑こそしていましたが、やはり独特の空気感がある場所でした。
かつては入れなかった場所だと思うと、そこに立ち入れるということだけでも、ありがたいことです。
まず眠り猫から入り、その先の坂下門からして、彫刻が綺麗で美しいです。で、振り返った場所には眠り猫の裏の雀。前回はこの雀の存在を知らず、完全に素通りしていたかと思いますので、このたびしっかりと見ることができました。
207段の石段は、多少体力は使いますが、大きな杉が聳える中の石段ですので、気持ちよく歩けます。小学生の団体が次から次へと追い越して行く中、のんびりと上らせて頂きました。
石段を上がった先、拝殿の建物も、ぱっと見の派手さというのはありませんが、重厚な美しさがありました。
拝殿の後ろにある鋳抜門も目を惹くものがありました。左右の狛犬さんとともに、両脇の蜃(しん)もかっこいいんです。僕はもしかしたら以前の参拝時は、蜃には気付いていないのではないかと。
そして、なんといっても宝塔です。
宝塔の下にあの家康公が安置されているんだと思うと、なんともいえないテンションになってきます。
しかし創建から誰も掘り出したことがないので、本当に家康公がそこに眠っているのかどうかは、誰にもわからないみたいです。きっと永遠の謎ですね。
さらにもう一つ、この場所には徳川埋蔵金が埋まっているという、そんな都市伝説もあるんです。
「かごめかごめ」という童謡が、埋蔵金の在りかを示す歌ではないかという説がありまして、その暗号を読み解くと、家康公のお墓の下にたどり着くんです。長くなってしまうので詳細は省きますが、「鶴と亀が滑った」「後ろの正面だぁれ」だけを取り上げても、まさに宝塔の前には鶴と亀がいて、その後ろには家康公ですからね。
ちなみに「かごめかごめ」は松尾芭蕉が全国を回って広めたという説もあり、松尾芭蕉の正体が実は服部半蔵だったのではないか、という都市伝説もあります。
世界遺産を掘り返すことはできませんので、これもまた永遠の謎ではありますが、地質学上の調査では、99.9%の確率で土や石以外の物が埋められているそうです。
こういうの考えると、僕はどうしてもワクワクしてしまうんです。
そんなふうに奥宮を見て回るのも、また違った楽しみがあると思います。
家康公や埋蔵金にまで根が繋がっているかもしれない、叶杉にもしっかり参拝させて頂きました。
ぜひ今度は人の少ない奥宮にも参拝してみたいと、そんな我儘な欲求を抱いてはしまいましたが、もしかしたら家康公は、賑やかな方が好きかもしれませんね。なんて思ってしまったり。
東照宮奥宮、参拝できてよかったです。
この後僕たちは、東照宮の表参道右手にある、宝物館へ。
こちらでは、家康公が着用したという南蛮胴具足や刀剣など、貴重な御神宝を拝見させて頂きました。
そして宝物館の向かい側に、御本社の修理の際にご祭神を一時的にお遷しする、御仮殿(おかりでん)がありました。
御仮殿には現在お祀りされている神様はいらっしゃいませんが、江戸時代に建てられた社殿も見れましたし、雰囲気もある場所でしたし、立ち寄れてよかったです。東照宮の喧騒が嘘のように、誰もいませんでしたし。
御仮殿を後にした僕たちは、とりあえずお昼ご飯をして、近くの神社をあと少し、巡ってみることにしました。
続いて向かったのは、青龍神社です。
御朱印
こちらが東照宮奥宮の御朱印です。
拝殿の左手にて、書置きのものが置かれています。両替は受け付けていない旨が書かれていますので、小銭を忘れずに。御朱印代は500円(著者参拝時)でした。
この他、東照宮で頂ける奥宮以外の御朱印は、東照宮の記事内でご紹介しています。
御朱印の受付時間
御朱印を頂ける時間は、季節によって異なりますが、9時から16時まででしたら、どの季節でも頂けるかと思います。詳しいお時間は、日光東照宮の公式サイト にてご確認ください。また、拝観の受付は30分前になりますので、ご注意ください。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は栃木県日光市山内2301です。
開門時間は4月~10月が9時~17時、11月~3月が16時~16時ですが、変更等ある場合がございますので、公式サイトでご確認ください。
また、東照宮は拝観料が必要です。拝観料は大人1300円、小中学生450円ですが、変更になる場合もありますので、詳細は公式サイトにてご確認ください。奥宮も込みの拝観料です。宝物館とのセット券もあります。
日光東照宮の公式サイトはこちらです。
https://www.toshogu.jp/
電車&バス
「表参道」バス停より徒歩3分で東照宮で、奥宮は境内の眠り猫から徒歩8~10分です。
眠り猫からは207段の石段を上がります。
東照宮までのアクセスは以下になります。
バスは東武日光駅の「世界遺産めぐり(2B)」乗り場より乗車します。日中でしたら1時間に3~4本出ています。Suika、PASMOなど利用できます。
一部期間で「表参道」まで入れない場合がありますので、その際には「西参道」バス停で下車し、徒歩12分ほどになります。「湯本温泉行き(2A)」「中禅寺温泉・奥細尾行き(2C)」と利用し、「西参道」バス停に向かうことも可能です。
JR「日光駅」からも「日光東照宮」行きのバスで行くことが可能ですが、そちらは本数が少ないので、すぐ近くの東武日光駅まで歩いて移動し、そこからバスの方が確実です。
駅から徒歩でも行けない距離ではありませんが、神橋まで35~40分ほど掛かるかと思われます。
「神橋」バス停からですと徒歩10分ほどです。その場合はバス停より日光橋を渡り、信号の先、左に見える石段の先になります。
駐車場
参拝者用の駐車場があります。神橋の公式サイトに、近隣も含めた駐車場案内がありますので、ご確認ください。
周辺のパワースポット
日光世界遺産巡り
日光の二社一寺を中心とした、世界遺産の全ての社寺については、こちらの記事でまとめてあります。
日光市の神社一覧
僕が参拝した日光市の神社一覧です。