日光市にある日光東照宮の参拝レポートです。
読み方は「にっこうとうしょうぐう」です。正式名称は東照宮のみになりますが、他の東照宮と区別するため、日光東照宮と称されています。徳川家康をご祭神とする神社で、世界遺産の中心となる二社一寺のうちの一社です。陽明門、本殿、拝殿など8棟の建造物が国宝に指定されています。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
徳川家康をお祀りする「日光東照宮」へ
日光東照宮には、このたび二度目の参拝になります。7年前にも嫁と訪れていまして、それ以来です。
正確には僕が小さい頃、両親に連れられ家族旅行で訪れているので、記憶はありませんが三度目ですけれど。
このたびは秋の日光に、嫁と二人で旅行に出掛けて参りまして、東照宮にはその二日目に訪れました。
日光の世界遺産の中心となっているのは、東照宮、二荒山神社、輪王寺の二社一寺です。このうち僕たち夫婦はこれまで東照宮にしか参拝したことがなかったので、今回はがっつりじっくり世界遺産を堪能してやろうと、そんな計画でやって来ました。
初日はまず、山奥にある滝尾神社方面を歩き、午後は輪王寺と大猷院へ。
輪王寺こそそれなりに参拝者の姿がありましたが、それ以外はほとんど人の姿もなく、世界遺産を僕と嫁で独占するという、なんとも贅沢な時間を頂きました。
そして日光山内にある旅館に宿泊し、翌日は二荒山神社と東照宮へ。
当初は朝イチで東照宮、その後に二荒山神社という予定だったのですが、東照宮の入口に着きましたところ、物凄い数の小学生、中学生を目の当たりにしてしまい、混雑は必至と判断し、予定を変更して先に二荒山神社に参拝しました。
順番変更は嫁の提案だったのですが、これが功を奏しまして、朝の二荒山神社はほぼ人の姿もなく、またもや世界遺産を独占させて頂くという、贅沢な参拝をさせて頂きました。
そして二荒山神社を後にした僕たちは、そろそろ東照宮も空いているのではないかと期待しつつ、向かったのですが…。
そこには相変わらず、多くの小中学生で賑わう、朝と変わらぬ景色。
僕たちが訪れたのはコロナ禍だったので、修学旅行も中止になっているのでは?と疑問に思ったのですが、どうやら後から知ることろによりますと、修学旅行が中止になった県内の小中学生などが、その代わりにという形で、社会科見学で東照宮に訪れるパターンが増えていたみたいです。
本当はできるだけ空いている状態で、境内をじっくりと歩いてみたいところではありますが、東照宮といえば日光の代名詞のような観光スポットですし、混雑しているのは仕方ありません。
そう気持ちを切り替え、いざ東照宮の参拝へ。
ご由緒
ご祭神は、江戸幕府の初代将軍である徳川家康公(とくがわいえやすこう)です。神格化され朝廷より東照大権現(とうしょうだいごんげん)の神号を勅許されています。
創建は江戸時代初期の元和3年、二代将軍秀忠の時代です。家康公は元和2年に駿府城にて75歳の生涯を閉じ、久能山に葬られ、翌元和3年に日光にて改葬されます。家康公の「遺体は久能山に納め、一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして八州の鎮守となろう」という遺言に従った形です。
東照社として鎮座し、現在の東照宮と称されるようになったのは、30年ほど後の正保の時代です。
三代将軍家光により、寛永の大造替が始められ、現在のおもな社殿群はその際に造営されたものになります。
境内にある陽明門は、おびただしい数の極彩色彫刻で覆われていて、一日中見ていても飽きないということから「日暮らしの門」とも称されています。
神厩舎の三猿や回廊の眠り猫など、動物の彫刻も多く見られ、それらは平和の象徴と考えられています。
また、本殿と陽明門、その前の鳥居を結んだ上空には、北極星が来るように造られているなど、陰陽道にも強い影響を受けています。
陽明門、本殿、拝殿など8棟の建造物が国宝に指定されていて、その他34棟が重要文化財に指定されています。
表参道の石鳥居は、黒田長政により寄進されたもので、9mもの高さがある日本最大の石鳥居です。
境内にある薬師堂(本地堂)は、天井画の龍と音の共鳴による「鳴き龍」でも知られています。薬師堂はその帰属について輪王寺と係争中でもあります。
眠り猫から207段の石段を上がった先には、家康公の御墓所である奥宮があります。
平成11年に世界遺産登録された、日光の社寺の一部で、その中心を成す二社一寺の一社です。
境内案内
東照宮の表参道は、広々とした参道です。この右手が輪王寺です。
参道を真っ直ぐ進みますと、右に東照宮と刻まれた、葵紋の社号碑です。この社号碑は大正13年に建立されたもので、渋沢栄一の揮毫によります。奥には鳥居があり、脇には大きな木も聳えているのが見えます。
鳥居の前に立ちます。高さ9mの石鳥居は、日本最大とのことで、大きいです。戦国大名で、筑前国福岡藩初代藩主の、黒田長政により寄進された鳥居です。
一礼して鳥居をくぐります。扁額には「東照大権現」。
鳥居の先は少し開けていて、前方の石段の上に表門です。石段の下、左手にある拝観受付所にてチケットを買い求め、表門より入る形になります。
境内には小中学生の姿がたくさんです。右手奥には、御守りなどの授与を行っている、表番所があります。
左手に五重塔です。戦国大名で、若狭国小浜藩の初代藩主だった酒井忠勝により奉納された塔で、江戸時代後期に一度火災に遭いますが、その後すぐに再建されています。五重塔を間近に見るには拝観料が必要です。
しばし五重塔を見上げて過ごします。美しい、という言葉が自然に出てきてしまう、そんな五重塔です。
拝観料を納め、塔を一周してみます。一層目には十二支の彫刻が三つずつ四面に彫られています。こちらの塔の心柱は地盤から10cmほど浮いた状態になっている、当時の免震技術で建てられたものとのとで、その心柱を見ることもできます。
五重塔を堪能してから、拝観受付所にて東照宮の拝観券を購入し、表門へと続く石段を上がります。門の手前に聳える杉もでかいです。
ここから先が拝観券が必要になります。この表門は仁王像が護っているので、仁王門とも呼ばれています。獏(バク)やその上の牡丹など、よく見ると精巧な彫刻が施されています。
仁王像は高さ4mと大きなものになります。右が「阿」で左が「吽」の阿吽になっています。
仁王門を抜けますと、そこは人、人、人。思った以上の混雑です。
仁王門の後ろ側は、金色の唐獅子が護っていました。こちらも右が「阿」で左が「吽」の阿吽です。
右手に見える建物は下神庫です。この先に中神庫、上神庫と並ぶ三神庫で、中には「百物揃千人武者行列」という神輿渡御祭奉仕者1200人分の、裝束、道具、祭器具が収蔵されているそうです。
こちらが正面の先、中神庫です。手前には石灯籠も並んでいます。
参道は左に折れて続いています。
三神庫の反対、参道の左手にも石灯籠が並んでいます。
右手、中神庫の先に見えるのが上神庫です。
左手、石灯籠の先には、徳川家光が手植えしたという、樹齢370年の高野槙(こうやまき)。
高野槙の先が、有名な三猿のいる神厩舎(しんきゅうしゃ)です。神厩舎はご神馬をつなぐ厩(うまや)で、猿が馬を守るとされていることから、猿の彫刻があるそうです。
神厩舎の猿の彫刻は全部で八面あり、左から順番に人間の一生が風刺されています。「見ざる言わざる聞かざる」は二番目(画像上の中央)です。
三猿を振り返ると、上神庫がありまして、上には二頭の像が彫られています。この二頭の像は、狩野探幽による下絵によるもので、まだ実際の象を目にする前に描かれたため、「想像の象」と呼ばれているそうです。
上神庫に向かって左前方が陽明門です。参道は右に折れている形です。
二の鳥居は唐銅鳥居です。しっかり葵紋が刻まれています。ここは、二の鳥居、その先の陽明門、唐門、拝殿、本殿が南北に一直線に並んでいて、その真上に北極星が位置する、すごいパワースポットなんだと。人の多さもすごいですけど。
そして二の鳥居前のこちらの石畳。二の鳥居に向かって、左後方の石畳の始まりから、右に三角の石畳を三枚、前にひし形を二枚進んだ場所(ひし形の二枚目)。ここは陽明門が二の鳥居にぴったりと収まって見える場所で、北極星からのパワーの通り道なんだそうです。
二の鳥居の手前、左手に御水舎です。水盤は、戦国大名で肥前佐賀藩藩主だった、鍋島勝茂により奉納されたものです。屋根の四隅のうち一か所のみ、敢えて欠けた形のまま、未完成にしてある御水舎です。
御水舎には「飛龍」の彫刻です。羽のある龍です。
一礼して二の鳥居をくぐります。石段の先が陽明門で、手前の両脇には大きな杉と、左に鼓楼、右に鐘楼です。右下に見える二つの灯籠は、伊達政宗がポルトガルから鉄を運ばせ造らせ奉納した、南蛮鉄灯籠です。
石段の下、左手には、経典を収納する蔵である輪蔵です。その右上に見えるのが、太鼓が収納されている鼓楼です。
石段の下、右手は上神庫の正面になります。写真は切れてしまっていますが、左上に見えるのが、銅鐘が収納されている鐘楼です。
石段を上がります。少し遠目からでも、陽明門の美しさには目を奪われてしまいます。両手前に見える赤いものは、華道家の假屋崎省吾さんの作品です。
石段の上から振り返りますと、こんな景色です。
石段上の両脇、見過ごしてしまいそうな場所に、尾を立てた狛犬さんです。「飛び越えの獅子」と呼ばれる狛犬さんで、石の柵を支える役目を担っているといわれています。
狛犬さんの後ろ、左右にはオランダから奉納された銅灯籠です。徳川家光に献上されたものになります。こちらは左手の廻転灯籠で、葵の紋が上下逆であることから、「逆紋の廻り灯籠」とも呼ばれています。この奥には釣灯籠、反対の右手には蓮灯籠(工事中で見られず)の、全部で三基あります。
正面の陽明門に向かおうかと思ったのですが、大変混雑している様子でしたので、先に左手にある本地堂へ行ってみます。こちらへ進むと回廊の彫刻や、煌びやかな鼓楼も近くで見られます。
本地堂は薬師瑠璃光如来像が祀られていて、薬師堂とも称されています。中は撮影禁止ですので、カメラをしまって上がります。「鳴竜」の天井画でも知られていて、竜の頭の下で拍子木を鳴らすと、天井と床とが共鳴し、竜の鳴き声を聞くことができます。
竜の鳴き声を聞かせて頂き、鳴龍の御朱印も頂き、本地堂を出ます。こちらはお堂を左斜め前から。本地堂は東照宮の境内では一番大きな建物で、昭和43年に再建されたものだそうです。この手前には大きな杉も聳えていました。
来た道を戻り、再び陽明門の前へ。陽明門は508体もの彫刻が施されていて、一日中見ていても飽きないことから「日暮らしの門」とも称されているそうです。確かにこれは見どころが多すぎて、どこを見たらいいかわからなくなるくらい、凄いです。
門の入口には、左右に随身像です。こちらが右大臣。よく見るとこの中や柱にも、びっしりと彫刻が。柱に施されているのは、グリ紋という文様です。
右大臣から右手は回廊へと続いていて、こちらにもたくさんの彫刻です。じゃれ合っているようにも見える、二頭の獅子の姿も。
さらに右手の回廊にも、彫刻がびっしりです。花や鳥や動物など、無数です。
右下から陽明門を見上げます。何度も同じことを書いてしまいますが、ほんとにどこを見たらいいかわからないくらい、豪華絢爛なんですよ。
こちらは左大臣です。こちらも中まで彫刻が施されています。左右の髄神像の家紋が、明智光秀のものでは?という説もあるみたいです。
左手も右と同じく回廊へと続いていて、精巧な彫刻が。
左の回廊にも、無数の彫刻です。この先に見える建物は、先ほど参拝させて頂いた、鳴き竜のいる本地堂(薬師堂)です。
左下からも見上げます。人物の彫刻もあります。彼らは中国の歴史上に存在した賢人たちといわれ、それぞれの彫刻が意味を持っているそうです。
一礼して陽明門をくぐります。扁額には東照大権現。陽明門は右側通行です。
陽明門の先には拝殿で、その前には立派な唐門です。唐門の左右には透塀(すきべい)が延びています。
そしてこちらは、振り返った陽明門です。背面も表と同じく、ハンパない煌びやかさです。
背面を守るのは金色の狛犬さんです。国宝である滋賀の大宝神社の狛犬を模して、大正時代に造られた狛犬さんとのこと。こちらは左側です。中の彫刻も綺麗です。
こちらが右の狛犬さん。左と対で阿吽になっています。こちらの左の柱のみ、刻まれたグリ紋が逆さになっています。「魔除の逆柱」と呼ばれるもので、魔除けのためとも言われていますし、建物は完成した瞬間から崩壊が始まると考えられ、あえて未完成の部分を残した、ともいわれています。
後ろからもしばし陽明門を眺めて過ごします。ただただ、凄い。
こちらは後ろから見た陽明門の左手。回廊は背面にもしっかり彫刻が施されています。
背面の左下から見上げた陽明門は、こんな感じです。どこから見ても美しい。
こちらは右下から。まさに日暮らしの門です。いくら見ても見足りない。
唐門へと進みます。江戸時代には高い身分の幕臣や大名だけが、この門を通ることができたそうです。唐門には611もの彫刻が施されています。屋根の上には中央に恙(つづが)と呼ばれる唐獅子、左右に龍が載っているのも見えます。
唐門の前へ。左右の柱には黒い昇龍と降龍。上には、中国神話の君主で聖人といわれた舜帝に拝謁する様子が彫られています。
境内を散策。唐門に向かって左手に神輿舎があり、中には三基の神輿が納められています。中央は徳川家康公、右が豊臣秀吉公、左は源頼朝卿の神輿です。天井には外からでははっきりとは見えませんが、「日本一美人の天女」といわれる天女舞楽の図が描かれています。
陽明門の背面に向かって左手に、祈祷の受付所と御朱印の授与所があります。
唐門に向かって右手、神輿舎の反対側の位置に、神楽殿です。
唐門右手の透塀の前には、二代将軍秀忠の5女である和子(東福門院)により奉納された「一本灯籠」です。
一本灯籠の右手に、結婚式などのご祈祷が行われる、祈祷殿です。
祈祷殿の前あたりから透塀や拝殿を見ますと、こんな景色です。綺麗です。
透塀の右奥より、靴を脱いで拝殿に上がることができます。ここから先は撮影禁止です。御本社は、拝殿、石の間、本殿の三つの間で構成されています。混雑はしていましたが、しっかり参拝させて頂きました。
参拝を終え、御朱印を頂き、続いては家康公の墓所である奥宮へ。奥宮は祈祷殿の奥にある、眠り猫の先になります。
参拝を終えて
まず一番の感想は「人の多さにびっくりした」です。
前日から回った他の社寺では、ほとんど人のいない世界遺産を満喫させて頂いていたので、そのギャップで余計にそう感じてしまったのかもしれません。
7年前に訪れたときは、こんなには混雑していなかったと思うのですが、こればかりは仕方ないですね。かの有名な東照宮ですからね。
人は多かったですけれど、もちろん境内の建築物や彫刻など、素晴らしいものをたくさん見ることができました。できる限り貪欲に、この目に焼き付けてきました。
しかしながら見どころが多すぎて、しっかり見れていないものだったり、明らかに見逃しているものがあることに、東京に戻ってから気付くという、もうどうしようもない事態を招くことにも。
もっとしっかり事前に予習してから行くべきでした。
そんな典型的な「後悔先に立たず」はありつつも、世界遺産を堪能することは、それなりできたのではないかと。
最初の鳥居から最後の御本社まで、どの建物もそれぞれ違った魅力が満載でして、素晴らしかったです。もう全部が見どころですね。
やはりインパクトで言ったら、陽明門の煌びやかさと存在感はスバ抜けていましたけれど。
陽明門は正直、どこを見たらいいのかわからないくらい、どこもかしこも豪華絢爛で、だんだんわけがわからなくなってくるレベルです。「平成の大修理」と呼ばれた大規模な修復工事を数年前に終えたばかりなので、その美しさがより際立っていたのかもしれません。細部にまでわたり彫刻が施されていて、隅々まで全部見たかと言われたら、おそらく見逃しているものも多々あるはず。
僕のこのたび一番の後悔も、陽明門です。
なんと陽明門の天井には、狩野探幽作の昇り龍と降り龍が描かれていまして、僕はそれに全く気付かず…。上を見るという意識すらありませんでした。天井画の存在は帰宅後に知りましたので、見るためにはもう一度、日光旅行を計画せねばなりません。
今度から常に天井を見る癖をつけようと、嫁と誓いました。
天井の龍こそ見逃しはしましたが、天下の陽明門を直に眺めることができて、大満足です。一日見ていても飽きることがない「日暮らしの門」という呼称に、誰もが納得してしまうであろう、素晴らしい門でした。
回廊や唐門の彫刻、上神庫の想像の象、神厩舎の三猿をはじめとした猿、御水舎の飛龍、五重塔の干支など、どれもこれも魅力的で、挙げ出したらきりがないです。
拝殿の中も凄かったです。
表門脇の杉や、境内の高野槙など、巨木が聳える中に建造物がある絵も、また素敵でした。
鼓楼と鐘楼も大きくて迫力がありました。
本地堂(薬師堂)では、龍の鳴き声を聞かせて頂きましたし、嫁が所望していた鳴き龍の鈴も手に入れることができました。また、龍の描かれた御朱印帳がかっこよくて、思わず購入してしまいました。
最初は人の多さに負けそうになった東照宮ですが、実際に歩いてみれば、おもいっきり満喫させて頂いた気がします。
この記事を書くにあたり、東照宮に関するあれこれに少しは詳しくなれたので、次回訪れた際には、さらに楽しめるんじゃないかとも思います。
夜には二の鳥居、陽明門、本殿が北極星と一直線になるとのことなので、その景色もいつか見てみたいです。
陽明門の天井画をはじめ、いくつか見逃しているものもありますし、ぜひまた足を運べればと。
日光東照宮、参拝できてよかったです。
続いては、眠り猫の先にある家康公の御墓所、奥宮へと向かいます。
御朱印
日光東照宮ではいくつかの御朱印を頂くことができます。全て書置きのものになります。
まず、こちらが東照宮の御朱印です。
陽明門をくぐった先の右手にある授与所にて頂くことができます。
こちらが本地堂(薬師堂)の鳴龍の御朱印です。
本地堂の中にて頂くことができます。
こちらが本地堂(薬師堂)の、薬師如来と金字で書かれた限定御朱印になります。
鳴龍の御朱印と同じく、本地堂の中にて頂くことができます。頂ける期間は輪王寺の公式サイトにてご確認ください。
この他、東照宮奥宮の御朱印もありますが、そちらは奥宮の記事内でご紹介しています。
御朱印の受付時間
御朱印を頂ける時間は、季節によって異なりますが、9時から16時まででしたら、どの季節でも頂けるかと思います。詳しいお時間は、日光東照宮の公式サイトにてご確認ください。また、拝観の受付は30分前になりますので、ご注意ください。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は栃木県日光市山内2301です。
開門時間は4月~10月が9時~17時、11月~3月が16時~16時ですが、変更等ある場合がございますので、公式サイトでご確認ください。
また、東照宮は拝観料が必要です。拝観料は大人1300円、小中学生450円ですが、変更になる場合もありますので、詳細は公式サイトにてご確認ください。宝物館とのセット券もあります。
日光東照宮の公式サイトはこちらです。
https://www.toshogu.jp/
電車&バス
「表参道」バス停より徒歩3分。
バスは東武日光駅の「世界遺産めぐり(2B)」乗り場より乗車します。日中でしたら1時間に3~4本出ています。Suika、PASMOなど利用できます。
一部期間で「表参道」まで入れない場合がありますので、その際には「西参道」バス停で下車し、徒歩12分ほどになります。「湯本温泉行き(2A)」「中禅寺温泉・奥細尾行き(2C)」と利用し、「西参道」バス停に向かうことも可能です。
JR「日光駅」からも「日光東照宮」行きのバスで行くことが可能ですが、そちらは本数が少ないので、すぐ近くの東武日光駅まで歩いて移動し、そこからバスの方が確実です。
駅から徒歩でも行けない距離ではありませんが、神橋まで35~40分ほど掛かるかと思われます。
「神橋」バス停からですと徒歩10分ほどです。その場合はバス停より日光橋を渡り、信号の先、左に見える石段の先になります。
駐車場
参拝者用の駐車場があります。神橋の公式サイトに、近隣も含めた駐車場案内がありますので、ご確認ください。
周辺のパワースポット
日光世界遺産巡り
日光の二社一寺を中心とした、世界遺産の全ての社寺については、こちらの記事でまとめてあります。
日光市の神社一覧
僕が参拝した日光市の神社一覧です。