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於岩稲荷田宮神社(新宿区/四谷三丁目)の御朱印と見どころ

四谷にある於岩稲荷田宮神社の紹介

新宿区の左門町にある於岩稲荷田宮神社の参拝レポートです。

読み方は「おいわいなりたみやじんじゃ」です。四谷怪談でも知られているお岩さんをお祀りしている神社で、かつてお岩さんの暮らした田宮家の跡地に鎮座しています。最寄駅は丸ノ内線の四谷三丁目駅になります。

序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。

お岩さんを祀る「於岩稲荷田宮神社」へ

僕は先月、四谷三丁目まで嫁とともに出掛けまして、こちらの於岩稲荷田宮神社に参拝したつもりだったんです。しかしなんと、実際に訪れたのは神社ではなく、陽運寺という寺院でした。陽運寺は於岩稲荷田宮神社のすぐ近くにありまして、同じくお岩さんに縁のあるお寺で、於岩稲荷と書かれた幟が立てられていたので、完全にそちらが目的地だと思い込んでしまったんです。

よくよく考えれば、寺院と神社で明らかに違う点や、普通は気付くてあろうポイントもたくさんあったのですが、アホな僕も嫁も全くそのような思考が働かず、気付いたのは帰宅してからです。

しかも、於岩稲荷田宮神社と陽運寺は、少しずれてはいますが、道路を挟んでほぼ向かい側にありまして、気付かない方がおかしいだろう、という位置なんですよ。

なんとも情けない。

自分のアホさを呪いました。

とはいえ間違えて参拝した陽運寺の方も素敵なお寺でしたので、そういう意味では間違えてよかったんですけどね。

ただ、於岩稲荷田宮神社への参拝が果たせなかったのは、やはり悔しい。

そんなわけで、前回の失敗から約一か月後の8月中旬、リベンジを果たすため、再び四谷三丁目へと出掛けることにしました。

天気は晴れでしたが、気温の予報は最高36度。おもいっきり猛暑日です。さらにはコロナで場所によってはマスクを着用せねばいかんという、なかなかに過酷な条件下。

油断するとほんとに熱中症で死にかねないので、水筒を準備したり、凍らせたアクエリアスや塩タブレットを準備したり、対策を万全にしてから出発します。

僕も嫁ももうそんなに若くはありませんし、くれぐれも無理をしないことを大前提とした、神社巡りです。

朝のうちに家を出て、電車を乗り継ぎ10時過ぎには四谷三丁目駅に到着。

地上に出て、猛暑の中を歩き始めて5分ほど。

於岩稲荷田宮神社に到着です。

 

ご由緒

ご祭神は、豊受比売大神(とようけびめのおおかみ)と、田宮於岩命(たみやおいわのみこと)です。

豊受比売大神は、食物や穀物を司る女神で、稲荷神、倉稲魂命(宇迦之御魂命)とも同一視されています。田宮於岩命は、この地にお屋敷を構えていた田宮家の初代、又坐衛門の娘で、四谷怪談でも知られている、お岩さんです。

創建の具体的な年代は不明ですが、江戸時代の前期、幕府に仕えていた田宮家の邸内社として祀られていた社が始まりとなっています。初代田宮又兵衛の娘であるお岩が篤く信仰し、養子になった夫の伊右衛門とともに家勢を再興したため、没後には「お岩稲荷」として次第に人々に信仰されるようになりました。評判とともに田宮家でも祠を作り、お岩稲荷として崇敬するようになったそうです。

お岩が亡くなってから約200年後、江戸時代後期には、歌舞伎狂言である「東海道四谷怪談」が上演され、さらに多くの信仰を集めることとなりますが、「東海道四谷怪談」は架空の物語で、実際のお岩は夫婦円満で仲睦まじかったそうです。

長らく於岩稲荷、大巌稲荷、左門町稲荷、四谷稲荷など様々に称されていましたが、明治になり現在の於岩稲荷田宮神社に改称されています。

明治12年には火災により社殿が消失してしまい、「東海道四谷怪談」を演じていた初代市川左團次の要望により、芝居小屋に近かった現在の中央区新川に遷座し、現在も鎮座しています。

その後、昭和になり田宮家や氏子の意向により、かつて鎮座していた左門町の地にも神社が再建され、現在に至ります。

 

境内案内

四谷三丁目駅からは徒歩5分ほど。路地を進んで行きますと、右手に於岩稲荷田宮神社の鳥居が姿を現します。その先、左手に見える緑の場所が、先日訪れた陽運寺になります。

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こちらが鳥居の正面です。境内は緑が多い印象を受けます。鳥居の右手には「通称 お岩さま」と書かれた幟も立っています。

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左手にはご由緒書きです。右の古い方のものは、もう字が消えかけていて読めませんでした。左のものに目を通します。

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奉納された玉垣には、歌舞伎関係と思われるお名前が多く見られます。

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一礼して石鳥居をくぐり、境内へ。

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赤と白の幟旗がはためく先に、社殿です。

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鳥居のすぐ先、右手にあるこちらのねじれている木が、存在感が大きかったです。何の木なのかはわからなかったですけれど…。

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左手はこんな感じです。ちょっとした日本庭園のような感じにもなっていて、手入れも行き届いています。

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左手の小路の先に、緑の多い素敵な手水舎です。

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お清めをします。手水舎には龍の姿も。

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再び拝殿の正面に戻り、進みます。

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拝殿前には左右にお狐さん。こちらが左の神狐さんです。足元には鞠です。

於岩稲荷田宮神社の狐

 

こちらが右の神狐さん。鍵を持っています。

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社殿は茶色と白を基調とした落ち着いた雰囲気の建物です。昭和に再建されたものとのことですが、かなり古い建物のようにも見えます。

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夏の陽射しの中、参拝させて頂きます。

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参拝後、拝殿の扉に、ただ今ご朱印ができないとの貼り紙を発見。残念ですが仕方ないです。

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お賽銭箱の左手には、御祈祷願札という、願いを書いてお賽銭箱に入れておくと、神主さまがご祈祷してくださるという紙も。さらには、よかったらお持ち帰りくださいと書かれた、何冊かの古本もありました。

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反対側の右手には、神主さんが一枚一枚書いてくださったと思われる、「お言葉」が書かれたものもありました。お持ち帰りくださいと書かれていましたので、僕も嫁も一枚ずつ頂きます。

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『四谷怪談360年目の真実』という本の紹介も貼られています。

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境内を歩いてみます。手水舎の脇に境内社の祠が二つありましたので、参拝させて頂きます。

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社殿左手の奥が社務所です。

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こちらは社殿を左斜め前から。拝殿幕は、人間国宝の講談師である、一龍斎貞水という方の書によるもののようです。

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拝殿の正面から振り返り、鳥居を見ますとこんな景色です。しばし境内にて過ごさせて頂き、於岩稲荷田宮神社を後にしました。

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参拝を終えて

お岩さんゆかりの於岩稲荷田宮神社に、ようやく参拝することができました。

こちらと同じく「於岩稲荷」を掲げている、僕たちが先月訪れた陽運寺は、戦後に創建されたお寺でして、お岩さんと直接関係がある場所ではないようです。明治に於岩稲荷田宮神社が現在の中央区に遷座した後、町の人々が代わりに祀った祠があった場所に建てられたお寺のようです。

ですので本家のお岩稲荷さんは、こちらの於岩稲荷田宮神社になるようですね。

於岩稲荷田宮神社は、明治に遷座して以来、現在も中央区の新川に遷座していますが、どうやら陽運寺が於岩稲荷を謳うようになってから、田宮家の意向で再びかつての地に神社が再建された、という流れがあるようです。陽運寺はお岩さんに肖ったような感じもあるのかもですね。そしてそれによる田宮家と陽運寺の色々もあるのかもしれないです。

境内の雰囲気も、陽運寺と於岩稲荷田宮神社では全然違いました。そもそも神社と寺院ですのでそこからして違いますけれど、陽運寺の方は全体的にお洒落な空間が造られていて、於岩稲荷田宮神社の方が、ひっそり静かに、といった感じです。

現在の於岩稲荷田宮神社は、かつて田宮家の住居のあった跡地に鎮座しています。ということは、かつてはこの場所にお岩さんがいたんだな~と。

お岩さんといえば、僕はまず四谷怪談の怖い顔が浮かんできてしまうのですが、あれは全て完全な作り話だそうです。それもびっくりですけれど…笑。於岩稲荷田宮神社や陽運寺を訪れることがなければ、僕もそのことを知らないままでしたからね。

実際のお岩さんは夫婦円満で、さらに田宮家を立て直したとのことで、それで彼女の死後も「於岩稲荷」の評判が高かったそうです。で、そんなお岩さんに目をつけた劇作家の鶴屋南北が、お岩さんの名前だけを拝借して、全く別の物語を作りだし、歌舞伎として演じたところ、それが大衆に広まった、という経緯があるようです。

なんだかそれを聞くと、お岩さんが気の毒に思えてしまいます。夫婦円満だったのに、死後に全く違う怨霊キャラとして認知されちゃってるってことですからね。

僕もこうして参拝することがなかったら、お岩さんに対して間違った知識を持ったままでした。ちゃんと誤解を解くことができてよかったです。

参拝もしっかりさせて頂き、暑い中ではありましたが、静かで緑の多い境内にてのんびりもさせて頂きました。

鳥居のすぐ後ろのねじれた木も目を惹きましたし、社殿の雰囲気も素敵でした。

お賽銭箱の脇には、神主さんの「お言葉」が置かれていまして、そちらもありがたく頂戴しました。

残念ながら御朱印は頂けませんでしたが、これも「また来なさいよ」というご縁だと思い、どこかでもう一度足を運べたらと思います。

於岩稲荷田宮神社、参拝できてよかったです。今度はぜひ、中央区にある本社にも行ってみたいです。

この後僕たちは、地図にて近くに見つけた「金丸稲荷神社」へと向かいます。

 

追記

このときの参拝から一年近く後の、2021年5月。

再び於岩稲荷田宮神社を訪れることが叶いまして、御朱印も無事に頂くことができました。

実はこの半年前にも一度、近くに用事があったその足で立ち寄りましたが、宮司さんがまたしてもご不在だったんです。そんな経緯がありましたので、三度目となる今回は、事前に電話で所在を確認し、参拝させて頂きました。

御朱印を待っている間、素敵な言葉が書かれた紙を頂き、夫婦で読ませて頂きました。

御朱印ができあがり、受け取る際にも少しお話をさせて頂きました。ご高齢な宮司さんで、最初はちょっと怖い人なのかな?と思いきや、とっても優しくて、ありがたいお言葉も頂きました。こういうのは嬉しくなります。

頂いた御朱印も素敵なものでした。

来てよかった。

いい参拝ができました。

 

御朱印

こちらが於岩稲荷田宮神社の御朱印です。

於岩稲荷田宮神社の御朱印

 

御朱印の受付時間

御朱印を頂けるのは、社務所に宮司さんがいらっしゃるときのみになります。

ご不在のことも多いようですので、どうしても頂きたい方は、事前の電話確認をお勧めします。電話番号は「03-3357-2886」です。

また、開門時間が6時半~19時となっていますので、ご注意ください。

(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)

 

アクセス

住所は東京都新宿区左門町17です。

於岩稲荷田宮神社の公式サイトはありません。

開門時間は6時半~19時(要確認)です。

 

電車

丸ノ内線 「四谷三丁目駅」から徒歩5分。

3番出口より地上に出て、左に進み、目の前の大きな交差点を左折します。そのまましばらくまっすぐ進み、ローソンの先の路地を左折。突き当りを右折しますと、少し先の左手です。

JR総武線 「信濃町駅」から徒歩8分。

改札から外に出て、目の前の大きな通りを右に進みます。そのまましばらく直進し、「左門前」交差点を右折して路地に入り、最初の路地を左折すると、まず右手に陽運寺があり、その先の左手です。

 

駐車場

参拝者用の駐車場はありません。四谷三丁目駅周辺にいくつかコインパーキングがあります。

 

周辺のパワースポット

 

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