新宿区にある西向天神社の参拝レポートです。
読み方は「にしむきてんじんしゃ」です。社名は社殿が西を向いていることに由来しています。旧東大久保村の鎮守で、大久保天満宮とも称されていました。東都七天神の一社です。境内には東大久保富士と呼ばれる富士塚もあります。最寄り駅は東新宿駅です。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
東新宿の「西向天神社」へ
こちらの西向天神社、社名は西向、最寄駅は東新宿、境内には東大久保富士。西なのか東なのか、アホな僕にとっては、色々と混乱する要素がある神社です。
新宿には、西新宿に成子天神社という天神様がありまして、そちらには成子富士と呼ばれる大きな富士塚があります。
それに対し、同じ新宿で東にも「東大久保富士」という富士塚があると、以前よりその存在だけは耳にしたことがありました。
いつか行きたいな~とは思っていたのですが、なかなか西向天神社のある東新宿のエリアまで足を延ばす機会がありません。
僕は新宿という街には何度となく来たことがありますし、何年か働いていたこともあります。しかし東新宿というのはこれまで縁遠く、馴染みもほとんどない場所でした。
唯一、東新宿でも明治通りの北の方に、新宿JAMとか紅布というライブハウスがありまして(JAMは2017年に閉店)、そちらへは若い頃にけっこう足を運んだことがあるのですが、その辺りだけです。限定的です。
西向天神社のある辺りなどは、一度も訪れたことがありません。
新宿って言っても広いですからね。
そんなエリアに、この度いよいよ足を踏み入れることに。
この日は嫁と二人で午後からバルト9で映画を観る予定を立てていましたので、午前中に新宿の神社巡りをしようということになったんです。で、今まで行ったことのない東新宿エリアを攻めてみようと。
バルト9は最寄が新宿三丁目駅なので、そこから副都心線を使いますと、東新宿はたった一駅、お隣なんです。
じゅうぶん徒歩で行ける距離でもあるのですが、7月の下旬という暑さ的なこともあり、できるだけ電車を使えるところは使おうと。
そして事前に東新宿エリアの神社を色々と調べますと、まずは東新宿駅の近くに二社。一つは抜弁天と呼ばれる厳島神社で、もう一つがこちらの記事で紹介する、西向天神社です。
東新宿にてこの二ヶ所に参拝したら、大江戸線でもう一つ先にある若松河田駅に移動し、周辺に点在する神社も回る予定です。
初めての東新宿駅に降り立ち、まずは抜弁天を目指します。どうやら抜弁天の社務は西向天神社が兼務しているようでして、抜弁天の御朱印も西向天神で頂けるようでしたので、回る順番は先に抜弁天、続いて西向天神社にしました。
御朱印は参拝の証という頭がありますので、参拝前に御朱印を頂いてしまうことに抵抗があるんです。
東新宿駅からですと西向天神社の方が近くにありまして、僕たちは抜弁天に向かう途中で、西向天神の鳥居を先に発見してしまいます。鳥居や石段を横目に見つつも、いったんは素通りして抜弁天へ。
そして無事に抜弁天の参拝を終え、再び来た道を戻り、今度こそ西向天神社へと参拝に向かいます。
ご由緒
ご祭神は、学問の神様として知られている菅原道真公(すがわらのみちざねこう)です。
創建は鎌倉時代前期の安貞2年です。詳しい経緯などは不明ですが、明恵(みょうえ)という華厳宗の僧によって創建されたといわれています。
西向天神社という社名は、社殿が京都の方角である西を向いていることに由来しています。
かつては大久保天満宮とも呼ばれていて、古くから東大久保村の鎮守でした。
戦国時代には兵火により全焼してしまいましたが、再興されます。
その後も一度は荒廃してしまいますが、三代将軍家光が鷹狩りでに訪れた際に、荒廃した境内を見て、修復のために金の棗(なつめ)の茶入れを置いていき、再興を促したとされています。そのことにより、一時は「棗の天神」とも呼ばれていたそうです。
境内には、東大久保富士と呼ばれる富士塚があります。
また、東都七天神の一つにも数えられている神社で、古くからこの地に鎮座しています。
境内案内
抜弁天の方から歩いて来ますと、左手に見える丘のような場所が、西向天神社の境内です。大きな木が聳えているのも見えます。
こちらが西向天神社の正面入口です。
参道の左右には大きな木が何本も。
一礼して鳥居をくぐります。石段の奥には社殿の姿も見えます。
鳥居のすぐ先に狛犬さんです。こちらが左の狛犬さん。
こちらが右の狛犬さん。子供が可愛いです。
一歩一歩、石段を上ります。
石段の上に二つ目の鳥居です。そのすぐ目の前が拝殿です。
鳥居の左手には手水舎。
一礼して鳥居をくぐり、まずはお清めのため手水舎へ。手水舎の上にご由緒が掛けられていました。
お清めをします。
拝殿の正面へ。両脇には巨大なクスノキが聳えています。これは凄い迫力です。
どちらの大楠もでかいです。これは見惚れてしまいます。
そして、それぞれのクスノキの前には狛犬さんです。こちらが左の狛犬さん。特徴のある顔立ちです。
こちらが右の狛犬さん。笑っているように見えて、ついついこちらも笑顔になってしまいます。
こちら、左の狛犬さん越しの大楠。
楠は見上げるとさらにその大きさを実感します。
拝殿の前へと進みます。落ち着いた色合いの拝殿です。
蝉の声を聞きながら、参拝します。扉には天神さまの神紋である梅紋が刻まれていました。
拝殿を振り返りますと、こんな景色です。
境内を散策してみます。こちらは拝殿に向かい右後方、百度石の奥に神楽殿があり、その脇にも大きなクスノキがあるのが見えます。
西向天神社は境内がけっこう広そうです。まずは左手から散策してみることに。
こちらは社殿を左斜め前から。
社殿の左手には不動明王の石像がありました。手を合わせます。
不動明王の後方、紅葉林と書かれた看板の脇に、よく見ると三猿の庚申塔があるのも見えます。
そのさらに左手にも大きな木があり、奥にはブランコがありました。木はスダジイの木です。
スダジイの奥には藤圭子さんの歌碑がありました。「新宿の女」の歌碑です。
境内のさらに左手、ブランコの先の方に行ってみます。
奥には建物が一つあり、かつて西向天神社の別当でもあった寺院、大聖院でした。参拝します。
大聖院の先には二本の大きな木が聳えています。手前がヒノキで奥がムクノキでした。
さらに奥には下へと続く石段があり、そちらからでも出入りできるようです。
ムクノキの脇に「紅皿塚は、駐車場の中にあります」という案内がありましたので、奥に見えた駐車場に行ってみます。
こちらが駐車場の奥にあった紅皿塚です。太田道灌の山吹の里伝説に登場する、紅皿という少女のお墓とのこと。説明書きがありました。手を合わせます。
再び西向天神の境内に戻ります。こちらは境内の左手エリアから中央を見た景色です。
手水舎の手前には下へと続く石段があり、こちらは「山吹坂」という名称がついています。先ほど見た紅皿の碑に因んでそう呼ばれるようになったそうです。
今度は境内の右手エリアを散策してみます。神楽殿の脇にある大楠がひときわ目を惹きます。
神楽殿と大楠に近付いてみたかったのですが、立ち入り禁止のようでしたので、遠くから眺めます。
右手にも道が続いていて、少し上へと登る石段も見えます。
こちらは拝殿を右斜め前から。やっぱりクスノキがでかいです。手前には石碑もありました。
社殿の右手に社務所があり、こちらは社殿と社務所の間です。奥に祠があるのが見えましたので、手を合わせます。
右手エリアを散策する前に、社務所にて御朱印を頂きました。
御朱印を待つ間、目の前にずっと青いトンボが飛んでいました。
無事御朱印を頂き、境内右手へ行ってみます。
石段を上がると、その突き当たりには神輿庫がありました。
そこから左に折れた先にも鳥居があり、境内にはそちらからも出入りできます。
神輿庫の右手は公園になっています。天神山児童遊園という公園です。
公園内には石碑がいくつか建てられていました。
公園の奥に富士塚を発見。東大久保富士と呼ばれる富士塚です。
富士塚を下から見てみたくなりまして、境内に沿って下る石段がありましたので、下りてみます。
こちらが東大久保富士の下からの絵になります。上から見るより大きいです。
再び境内に戻ります。こちらは右手から見た境内中央です。
最後にもう一度大きなクスノキを眺め、西向天神社を後にしました。
参拝を終えて
西向天神社は、見どころが盛りだくさんの神社でして、思った以上に長居をしてしまいました。
まず、最初に僕は西向天神社という社名の読み方がわからなかったのですが、そのまま「にしむき」と読むとのこと。これは社殿が西を向いていることに由来しているそうですが、確かに地図と照らし合わせると、社殿はがっつり西を向いています。
神社の社殿や鳥居というのは南向きが多く、ついで東向きが多いそうです。西向きはごく稀で、北向きはさらにほとんどないそうです。
そういったことから、社殿が西向きという稀な形が故に、そのまま社名になったんですね。
今まで社殿や鳥居の方角などあまり気にしたことがなかったので、今後は少し気に掛けてみようと思います。
境内は広く、印象に残るものもたくさんあったのですが、全体としては大きな木がたくさん聳えていた印象が強いです。特に拝殿前と神楽殿の脇の楠は素晴らしかったです。
それ以外にも、スダジイやヒノキやムクノキなど、様々な大木が聳えていました。
僕は神社巡りをするようになり、ようやく最近少しずつ木の名前や種類を認識できるようになってはきましたが、まだクスノキとイチョウくらいしかわかりません。
西向天神社の境内では、大木にそれぞれ名前が掛けられていましたので、木の種類を学ぶこともできました。
境内には狛犬さんも二対。入口の石段脇と、拝殿の前に一対です。
拝殿前の狛犬さんは、まるで拝殿を守るかのように聳えている、大きな楠の前にそれぞれいます。どちらの狛犬さんも笑っているようなお顔をしていて、思わず和んでしまいました。素敵な笑顔でした。
境内の左手にはもう一つ建物があり、最初は何の建物か全くわからなかったのですが、大聖院というお寺でした。西向天神社の別当(神社を管理していた役割)だったお寺とのことです。境内が繋がっていたので、てっきり西向天神社の境内社かと思ってしまったのですが、元別当のお寺さんでした。
大聖院の脇に「紅皿の碑は駐車場内にあります」との案内が出ていたので、それが何なのか気になって大聖院の駐車場まで行ってみたところ、そこは紅皿という名の少女のお墓でした。
太田道灌に纏わる伝説に登場する少女で、急な雨で雨具を求めた太田道灌に対して、山吹の花を差し出したと言われています。貧しく蓑すら差し出せなかった少女の行為は古歌を踏まえたものとのことで、それに気付かなかった道灌は、その後自分を恥じ、歌道に精進するようになったそうです。
そんな紅皿さんのお墓が、この場所にあるんですね。
西向天神社を訪れた際には、ぜひ大聖院の駐車場の方にも回ってみてください。
境内の右手には、一段高くなったところに公園があり、その奥に富士塚があります。
東大久保富士と呼ばれる富士塚があるのは事前に知っていたのですが、富士塚見当たらないな~と思って探していたんです。そしたら右手の一番奥に、とてもひっそりとした感じでありました。
上から見ると富士塚の大きがわからなかったのですが、いったん下に降りて見上げてみると、けっこう大きな塚であることがわかります。
左手エリアと同じく、右手エリアにもたくさんの大きな木がありました。
旧社殿の一部を使用したという神輿庫もあり、西向天神社は本当に見どころが色々です。
他にも、藤圭子さんの歌碑、不動明王の石像、奥には三猿の石像などもありました。
時間を掛けて散策させて頂きました。
社務所では、西向天神社の御朱印と、直前に訪れた抜弁天(厳島神社)の御朱印も無事に頂くことができました。
いい参拝ができました。
西向天神社を後にした僕たちは、東新宿から一つお隣の駅、若松河田駅へと向かい、そこから出世稲荷神社を目指します。
御朱印
こちらが西向天神社の御朱印です。
御朱印の受付時間
御朱印と御守りを頂ける時間は、9時から17時までです。
また、上記の他に、近くにある抜弁天(厳島神社)の御朱印もこちらで頂くことができます。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は東京都新宿区新宿6-21-1です。
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西向天神社の公式サイトはありません。
電車
大江戸線 「東新宿駅」から徒歩5分。
A3出口から出て、新宿イーストサイドスクエアを突っ切り真っ直ぐです。
駐車場
公園側の鳥居脇(境内の南東側)に神輿庫があり、その前に数台でしたら駐車できます。近くにコインパーキングもいくつかあります。
周辺のパワースポット
新宿区の神社一覧