知覧特攻平和会館は、鹿児島県の南九州市知覧町郡にある資料館です。大東亜戦争末期に特攻に出撃した特攻隊員の遺品や、関係資料などが展示されています。
写真、遺書などの遺品は約4500点、遺影は1036柱にも及びます。海から引き上げられた零戦や、疾風などの実機、隼のレプリカ、隊員たちが暮らした三角兵舎(復元)など、関係資料も様々です。周辺は覧平和公園として整備されています。
日本人でしたら一度は訪れるべき資料館です。
こちらの記事では、そんな知覧特攻平和会館についてご紹介させて頂きます。
知覧特攻平和会館へ
靖国神社をはじめ、英霊をお祀りしている神社は護国神社として各地に鎮座しています。
僕はいつか全国の護国神社に参拝したいと思っておりまして、少しずつですが足を運んでおります。
同じく、英霊にゆかりのある資料館なども、できるだけ訪れておきたいと思っています。これまで靖国神社の宝物館である遊就館には何度か訪れていますし、広島の平和記念資料館も二度訪れました。しかしながらまだまだ死ぬまでに一度は行っておきたい場所がいくつかあります。
その一つが、こちらの記事で紹介します、知覧の特攻平和会館です。
知覧は鹿児島県の南西部に位置し、大東亜戦争の末期に、陸軍の特攻基地が置かれた町です。知覧飛行場からは多くの若者が特攻に飛び立って行きました。
平和会館には、そんな特攻隊員たちの遺品や遺書が展示されているんです。
日本人として、いつかここは訪れねばと、僕はずっと想い続けていました。
そして今年の5月、ついにその機会を得ることに。
元々は、天孫降臨の地である高千穂峰に登りたいと思っていて、その登山も兼ねた鹿児島旅行を計画しました。高千穂峰の周辺には、霧島神宮をはじめとした魅力的な神社もありますので、神社巡りもがっつりと組み込みます。
さらには鹿児島に行くのなら、ずっと行きたかった知覧にもどうにか行けないものかと。
知覧の場所を調べましたところ、霧島からはだいぶ離れはするのですが、おそらくこの機会を逃してしまうと、もっと先になってしまいます。ですので半ば強引に、知覧も日程に追加しました。
霧島と知覧の中間地点には、鹿児島市街や桜島などありますので、そうなるとそっちも寄ってみたくなるもの。
結果的に、5泊6日というなかなかボリュームのある鹿児島旅行になりました。
知覧にはその4日目に向かうことに。
最初の3日間を霧島で過ごし、4日目はまず姶良市の、日本一の大楠がある蒲生八幡神社へと足を延ばします。僕は巨木が好きなので、そちらの誘惑にも我慢ができず、日程に組み込んでしまいました。
で、蒲生八幡神社からは一度鹿児島空港へと戻ります。レンタカーを返却するためです。
前半の3泊4日はレンタカーでがっつり回ったのですが、残りの2泊3日は公共交通機関を利用する旅にしたんです。後半は昼酒でもしながらのんびり回ってみようかと。
ですので空港で車を返却し、そこからまずはバスで鹿児島中央駅へ。で、鹿児島中央駅から電車とタクシーで向かいます。駅からはバスでも行けるのですが、本数が少なくちょうどいい時間帯のものがなかったので、電車&タクシーにしました。
のんびり電車に揺られるのも悪くなかったですし、最寄りの喜入駅にはタクシーも何台か停まっていまして、困ることもありませんでした。喜入駅からは約30分、運ちゃんとのお話も楽しかったです。
とはいえやっぱり遠くはありました。結果、特攻平和会館には、間違いなく車で行った方が行きやすいですね。
時間はお昼を過ぎていまして、けっこうな腹ペコでしたので、到着してまずは腹ごしらえ。特攻会館の周辺にはいくつか食堂があります。知覧茶屋という、特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんの曾孫さんが営んでいる食堂があり、そちらに入ろうとしたところ、まさかの定休日でした。ですので、そのすぐ近くの別の食堂へ。
ランチ終了間際で揚げ物ができないとのことだったので、生姜焼き定食を頂きました。美味しかったです。お酒はちょいとお預けにします。
空腹も満たされましたので、いざ特攻平和会館へ。
ずっと来たかった場所です。ようやく想いが叶います。
周辺と館内の案内
特攻平和会館の館内は、一部を除き撮影禁止です。主な展示である特攻隊員の遺書や遺品などは一切撮影できません。
一部の撮影可能エリアと、会館の周辺を紹介させて頂きます。
まず、食堂や駐車場から会館へと向かいますと、目に入るのは大きな急須です。知覧はお茶の名産地でもあります。
茶屋や桜の並ぶ通りを進みます。
その先には噴水がありまして、そちらを左に折れると、前方に特攻平和会館です。
会館の方に向かわず、噴水を真っ直ぐ進んだ先には、一式戦闘機「隼」の展示。
こちらの隼は、2007年公開の石原慎太郎さん製作総指揮の映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』で、撮影に使われたものになります。
近くには「母の像」。
会館方面には、特攻勇士の像とT-3初等練習機です。
こちらが特攻勇士の像。「とこしえに」と刻まれています。
こちらがT-3初等練習機。
噴水の方まで戻り、特攻平和会館へ。
左手にはいくつかの碑が並んでいます。
こちらの碑には「特攻の母」と呼ばれていた、食堂の女将である鳥濵トメさんと、特攻隊員たちの写真があり、下には石原慎太郎氏の言葉。
高倉健さん主演の映画『ホタル』の碑も。
その向こうには鶴田正義さんという方の特攻歌碑です。「帰るなき機をあやつりて征きしはや 開聞よ 母よ さらば さらばと」。
反対側には平和の鐘。一度鐘かせて頂きました。
こちらが知覧特攻平和会館の入口です。中へと入りますが、館内は撮影禁止です。
一部のみ撮影可能エリアがありました。エンジントラブルで不時着水し、海底に沈んでいた零戦です。昭和55年に引き揚げられたものになります。
館内を3時間ほど掛けて拝観させて頂き、外へ。特攻隊員たちが起居していた三角兵舎の復元があるようですので、行ってみます。
三角兵舎には、零戦が展示されている会館の脇を進んで行きます。途中には「平和の母」像。
こちらが三角兵舎になります。その名のとおり三角の建物です。
入口には小さな平和観音像。三角兵舎は中にも入ることができます。
隊員たちはこういう場所で過ごしていたんですね。日の丸への寄せ書きや、遺書や手紙も兵舎の中で書いたそうです。
反対側も同じように布団が並んでいます。
一度会館の入口の方まで戻ります。その少し右手に知覧町護国神社がありますので、特攻勇士の像の脇から向かいます。
参道脇にはたくさんの石灯籠。
一礼して鳥居をくぐり、社殿へと進みます。
途中には招魂塚や各戦役の慰霊碑も。
拝殿の前へ。社殿は鉄筋コンクリート造りで、屋根は朱塗りです。
拝殿前には狛犬さんです。こちらは左の狛犬さん。子供もいます。
こちらは右の狛犬さん。
参拝させて頂きます。奥には石段が見え、その上が本殿のようです。
護国神社の右手が、知覧特攻平和観音堂です。見学に訪れていた学生の集合場所になっていましたので、そちらが捌けてから行ってみることに。
観音堂への入口は、T-3初等練習機の脇です。参道は左右に石灯籠、上には藤棚です。
こちらは特攻隊の歌が書かれた歌碑。
特攻隊生存者により奉納された石灯籠も。
こちらは知覧教育隊の記念碑。
木々の前には、「航空兵の霊に捧ぐ」と刻まれた歌碑も。
本堂へと進みます。
こちらが手水です。
本堂の手前には香炉も。このちょうど左に護国神社があり、本堂の左手には三角兵舎があります。
参拝させて頂き、知覧特攻平和会館を後にしました。
拝観を終えて
いつか行きたいとずっと願っていた場所に、ようやく足を運ぶことができました。
行ってよかった。心からそう思いました。
僕はもう、館内に入る前の時点で、戦闘機や碑を見ていましたらこみ上げてくるものがありまして、鳥濱トメさんと隊員たちの写真のある碑では、泣きそうにもなってしまいました。
この場所からたくさんの若者が飛び立って行ったんだと思うと、なんともいえない気持ちになってしまって。
入る前からそんな状態ですので、入ってしまったらもう大変。
受付から進むとまず遺品室がありまして、特攻で戦死された1,036名の隊員の遺影や、遺書などが展示されています。
遺影の写真は、皆さんとってもいい顔をしています。そして複数人で写っている写真は、どれも皆さん笑顔でして、それがとっても印象に残りました。
遺書には、泣き言も、恨みつらみも書いていません。どれも家族や恋人を心配させないようにと、そんな心遣いが読み取れるものばかりで。
視聴覚室では語り部の方の講話も拝聴することができまして、そのお話も胸が詰まるものでした。中でも、薩摩半島の南端に少し富士山にも似た開聞岳という山があるのですが、出撃して「開聞岳が見えるうちはまだ未練が残っているものの、見えなくなると覚悟が決まった」というお話は、忘れられません。
外にも「帰るなき機をあやつりて征きしはや 開聞よ 母よ さらば さらばと」と刻まれた石碑があり、僕もまるで自分が出撃し、同じ心境になったかのような想像もしてしまいました。
特攻になんて誰も行きたくなかったはずです。死にたくなんてなかったはずです。
迷いもあったでしょうし、その恐怖や苦悩は計り知れません。
それでも彼らは、お国のために行きました。
お国のためというのは、すなわち大切な人を守るため、大切な故郷を守るため、だと思います。
敗戦となれば侵略を受けることとなり、大切な人や大切な故郷が蹂躙されるかもしれない。自分の命がそれを防ぐために役立つのならと、そんな想いもきっとあったはずです。
彼らは、日本の未来のため、日本人の未来のために、その命を賭してくださいました。
本当は、大切な人たちと、まだまだ生きたかったに決まってます。でも、行ったんです。
知覧特攻平和会館は、そんな特攻隊員たちの想いが詰まった場所なんです。
彼らに頭を下げずにはいられません。
そして、彼らが命を懸けて守ろうとしてくれたこの国を、僕たちも同じように未来に繋いでいかないといけないんだと、改めてそう思いました。じゃないと彼らに申し訳が立たない。
僕は今回の鹿児島旅行から戻ってからですが、特攻隊の映画を3本見ました。石碑にもあった石原慎太郎さん製作総指揮の『俺は、君のためにこそ死ににいく』、同じく石碑にあった高倉健さん主演の『ホタル』、もう一つは最近のやつで『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』の三本です。どれも知覧で見た遺影や遺書と重なってしまって…。どの映画にも「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんがモデルとなった人物が登場していましたので、次に知覧に行った際には、ぜひ曾孫さんが営んでいる食堂にも行ってみたくなりました。今回は定休日で入れなかったので。
また、僕は百田尚樹さん好きでして、『永遠の0』は小説でも映画でも見ているのですが、そちらももう一度見たくなりました。
護国神社と観音堂にも参拝できてよかったです。
隊員たちが生活していた三角兵舎の復元もリアルでして、彼らの生活を垣間見ることもできました。
今回、知覧特攻平和会館に行けてよかったと思う一方、時間が全然足りないとも感じてしまいました。もっと時間を掛けて、一人一人の遺影を見たかったです。遺書を読みたかったです。
ぜひまたもう一度、知覧に行こうと思います。
この後は鹿児島中央駅まで戻り、天文館のホテルにチェックイン。夕食には事前に決めていた「豚とろ」というラーメン屋さんに入ったのですが、めちゃめちゃ美味しかったです。ペロっとたいらげてしまいました。
翌日は、朝イチで桜島へと向かいます。
アクセス
住所は鹿児島県南九州市知覧町郡17881です。
知覧特攻平和会館の公式サイトはこちらです。
https://www.chiran-tokkou.jp/
駐車場
500台駐車できる大きな駐車場があります。
鹿児島空港からは約1時間10分。鹿児島中央駅からは約45分です。
電車&タクシー
最寄り駅はJR指宿枕崎線「喜入駅」です。駅からはタクシーで30分ほど。駅にはタクシーが何台か停まっています。
バス
鹿児島中央駅から直通のバスが出ています。ただし本数がそこまで多くないため、要チェックです。
知覧特攻平和会館の公式サイト内、アクセスのページに詳細が出ていますので、そちらを参照してください。
https://www.chiran-tokkou.jp/access_centralstation.html
JR指宿枕崎線の「喜入駅」と「平川駅」からもバスが出ていますが、そちらはかなり本数が少ないです。
実際に行ってみての感想ですが、あまりアクセスがよろしくない場所にあるため、一番行きやすいのは車だと思います。
周辺の神社など