諏訪市にある墨縄神社の参拝レポートです。
読み方は「すみなわじんじゃ」です。大工やとび職の神様が祀られているといわれています。諏訪大社上社本宮の東参道側駐車場の上に鎮座している神社で、近くには大きな「五本杉」や、弘法大師の手つき石と言われている「神力手石」があります。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
諏訪大社本宮近くの「墨縄神社」へ
僕は東京在住ですが、地元が諏訪大社の前宮がある茅野市でして、子供の頃から諏訪大社には初詣などで何度となく参拝しています。だいたい初詣は本宮に行っていました。
本宮には大きな駐車場が二ヶ所あります。北参道側と東参道側です。
僕は初詣のときにはだいたい東参道側の駐車場を利用するのですが、駐車場の奥は山になっていて、急な斜面になっています。
そんな山の上に神社があるのを知ったのは、昨年のこと。
長年に渡り何度となく東参道の駐車場を利用していて、初めて気付きました。
駐車場から何気なく斜面の上を見上げたところ、社殿のような建物の一部が見えたんです。ちらっとですけれど。
そのときは時間がなく見に行くことができなかったのですが、帰宅後に調べたところ、どうやら「墨縄神社」というのがそこにはあるらしいんです。
茅野市民である両親にも聞いてみたのですが、詳しいことはわからず。
とにかく、次回諏訪大社を訪れた際には、墨縄神社にも行ってみようと。
そして今年の4月。法事で帰省する機会がありまして、ここぞとばかりに嫁を伴い諏訪大社まで足を延ばしました。
さらには墨縄神社の他にもう一ヶ所、本宮の近くに「北斗神社」という気になる神社がありましたので、そちらにも立ち寄ってみます。
まずは本宮に参拝し、その次に墨縄神社に行こうとしたのですが、どうやって行ったらよいかわからず…。駐車場の上にありますので、左右のどちらからか回って登れば辿り着けそうではあるのですが、駐車場の中からは入口らしきものが見当たらなかったんです。
ですのでとりあえず先に北斗神社に行ってしまうことにします。
途中、若宮八幡社という諏訪大社の境外社にも立ち寄り、その後は200段の石段を登り、北斗神社に参拝しました。
北斗神社については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
恐怖の石段から無事に帰還した僕たちは、続いて墨縄神社を目指します。
肝心の道のりですが、大社と北斗神社の間に山の方へと続く道がありまして、どうやらそこから墨縄神社には行けるっぽいです。入口は「神宮寺下り仁王門跡」という場所でして、どうやら昔はそこに仁王門があったようです。
山への道のりはちょっとしたハイキングコースのようになっています。
人の気配もなく、のどかな空気の中、墨縄神社目指して歩きます。
ご由緒
ご祭神は不明です。詳細はわかりませんでしたが、大工やとび職の神様が祀られていると言われています。
創建の年代や経緯なども残念ながらわかりませんでした。
社名にある「墨縄」とは、木材などに線を引くために使われる糸で、大工さんなどが使う道具です。とても重要な大工道具とのことですので、それが社名に使われていることからも、大工さんやとび職の方からの信仰が厚いことが窺えます。
推測でしかありませんが、諏訪大社の造営に関わる宮大工さんやとび職の方々、御柱の木材に関わる方々などが、無事に作業を終えることができるよう、創建された神社なのかもしれません。
詳しいことがわかり次第、追記させて頂こうと思います。
境内案内
本宮と北斗神社の間に、山の方へと続いている道があります。桜が綺麗に咲いています。
地図がありました。どうやらこの道を行けば墨縄神社に行けそうです。
先ほどの地図によりますと、昔はこの辺りに仁王門があったみたいですね。
ハイキングコースのような道を登ります。
左手に庚申塔と燈籠がありました。この辺りでは庚申塔をよく目にします。
少し登りますと、右手が休憩場所になっていて、その奥に墨縄神社と思われる社殿が見えます。どうやら裏から回っているようです。
左手には小さな祠や石碑も。手を合わせます。
振り返るとこんな感じです。意外と高いところまで登っていることに気付かされます。
上まで登ってきますと煙が見えました。何か燃やしているようです。
階段を登り切りますと開けた場所に出て、目の前には大きな杉が並んでいました。
杉の大きさに圧倒されます。「五本杉」と呼ばれている杉で、実際には四本しかなかったのですが、一本は落雷により焼けてしまったそうです。
五本杉を少し遠めで。脇ではおじさん達が何かを燃やしていました。
こちらは五本杉の前にあった心字池。
墨縄神社のある方向へ進みます。
その先には、弘法大師の手つき石と言われている「神力手石」。
少し下ると鳥居が見えてきました。
坂を下り、正面に回ります。こちらが墨縄神社の入口です。
鳥居には大きな榊も。一礼してくぐります。
鳥居の先、すぐ目の前が拝殿です。
四隅には御柱が建てられています。
拝殿へと進みます。建物はだいぶ古くからあるもののように見えます。
参拝します。
奥に見えるのが本殿でしょうか。少し変わった造りの社殿です。
社殿に向かい左手、崖の下は諏訪大社の駐車場です。
奥にもしっかりと御柱が建てられています。
社殿を少し斜めからも撮影。シンプルですが独特の雰囲気がある建物です。
無事に参拝を終え、墨縄神社を後にします。
この後は、坂を下る途中にある法華寺というお寺にも立ち寄り、帰路に就きました。こちらは法華寺の入口で咲いていた桜です。
参拝を終えて
本宮の駐車場のすぐ上にありながら、初めて訪れた墨縄神社。
神社の上にあった五本杉や神力手石、それらも含めた神宮寺跡という場所があることも初めて知りました。本宮のお隣にこんな素敵な場所があったんですね。
僕たちは「神宮寺下り仁王門跡」という場所からぐるっと回って墨縄神社に行ったわけですが、なんと本宮の東鳥居の前に山の方に上っていく道がありまして、そこから行くとすぐでした。
こちらが本宮の東鳥居です。ここを左の坂の上の方に登っていくとすぐだったんです。
帰り道にそちらを通り、気付きました。
とは言えぐるっと回りましたので、そのおかげで五本杉など見ることもできましたので、むしろ遠回りしてよかったです。
遠回りで辿り着いた墨縄神社は、大きくもなく質素な神社ではありましたが、厳かな空気が漂っていました。かなり古いもののように見える社殿が、山の中にひっそりと建っています。社殿の造りも少し変わっているかと思います。
周囲にはしっかりと四本の御柱も建てられていました。
社殿の脇から山の下を見下ろすと、いつもの諏訪大社の駐車場が見えました。僕の停めた車も。
本宮の東参道から山の方にかけては、かつて神宮寺というお寺があり、仁王門や五重塔など様々な建物があったようです。神宮寺は諏訪大社を管理する別当寺でした。
しかし明治の神仏分離令によりそのほとんどが取り壊されてしまったそうです。
明治維新前の地図がこちらです。
現在、墨縄神社のある辺りには観音堂もあったようですし、その上、五本杉の辺りに五重塔があったみたいですね。
もし明治の神仏分離がなかったら…きっと諏訪大社の景色は今とはかなり違っていたものになっていたんだと思います。今となってはもう見ることはできませんが、明治以前の景色も見てみたくなります。
今では神宮寺に関するほとんどの建物を見ることはできませんが、法華寺というお寺は現在も残っていて、出入りも自由にできます。僕たちも最後に立ち寄りました。
法華寺はかつて織田信長が滞在したこともあり、ここで明智光秀をボコボコにして、本能寺の原因を作ったとも言われてる場所だそうです。僕もその逸話は知っていましたが、その場所がここだったとは。初めて知りました。
地元と言っても本当に知らないことだらけでお恥ずかしい限りです。
僕はたまたまこのようなブログを書いていますので、記事にするにあたり色々と調べて知ることが多いのですが、これがなかったらおそらく一生知らないままのことがたくさんあるんだろうな~と。
40歳を過ぎて改めて、知ること、勉強することの楽しさを実感している気もします。
今回は諏訪大社本宮周辺の神社をいくつか巡ってみたのですが、諏訪大社についても、もっともっと知りたくなりました。
せっかく地元が諏訪ですので、大社に関係した神社や場所など、いつか全て回ってみたいですね。
この日は、本宮に隣接する大国主命社から、若宮八幡社、北斗神社、墨縄神社、そして法華寺と、今まで訪れたことがない場所をいくつも回ることができました。
どれも良い参拝ができました。
御朱印
墨縄神社では御朱印は扱っていません。
(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は長野県諏訪市中洲神宮寺856(付近)です。
墨縄神社の公式サイトはありません。諏訪大社の公式サイトはこちらです。
http://suwataisha.or.jp/
電車
JR「茅野駅」からタクシーで10~12分。
茅野駅、上諏訪駅、上社前宮からバスも出ていますが、本数がかなり少ないようですので、タクシーに乗ることをお勧めします。最寄駅である茅野駅の西口からタクシーに乗れば、10分ほどで到着します。徒歩ですとかなり遠いので、厳しいかと思います。
本宮の東参道の鳥居から徒歩で2~3分ほどになりますので、本宮に参拝した足で訪れるのがお勧めです。
駐車場
墨縄神社の駐車場はありませんが、諏訪大社本宮の東参道の駐車場から徒歩で2~3分です。
周辺のパワースポット
諏訪市の神社一覧
僕が参拝した諏訪市の神社一覧です。