日光市にある開山堂の参拝レポートです。
読み方は「かいざんどう」です。輪王寺の堂宇になります。日光山を開山した勝道上人が荼毘に付された地で、仏岩と称されている地に建てられた堂宇です。石畳の続く滝尾道の入口にあります。世界遺産である日光の社寺の一部です。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
勝道上人のお墓がある「開山堂」へ
嫁と二人、秋の日光に出掛けてきました。二社一寺巡りを主とする旅行です。
僕は車を持っておりませんので、東京からの二泊三日の電車旅。
東武日光駅よりバスで移動し、一か所目は神橋、二か所目に本宮神社、三ヶ所目に四本龍寺と、ここまで三ヶ所に立ち寄りまして、次に向かったのが開山堂です。
しかしその前に、電車旅ですので僕の背中には重たいリュックがありまして、これをまず下ろしたい。
東武日光駅にもコインロッカーがありましたが、諸々の工程を考え、この日お世話になる旅館に預けることにしたんです。
僕たちは元々がっつり二社一寺を回る予定でしたので、翌日も朝から行きやすいよう、日光山内の旅館を選びました。東照宮まで徒歩5分という立地です。
ですので、荷物も旅館に預けてしまうのが何かと都合が良いわけです。
三ヶ所目に訪れた四本龍寺から旅館まで、徒歩5分ほどだったかと思います。山内の坂道を上って行きますと、目的の旅館のすぐ近くに、お堂があるのを見つけます。
こちらは「児玉堂」という堂宇でして、世界遺産の一部です。立ち入り禁止になっていますので、近くまで行くことはできません。
児玉堂は、空海(弘法大師)が修行をしていたところ、池の中から大小二つの白玉が浮かび上がり、そのうち「小の玉」を虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の本尊として、創建したお堂とのこと。
遠目からですが参拝させて頂きました。
ちなみに「大の玉」は妙見大菩薩の本尊として、中禅寺に妙見堂が創建されましたが、明治に天災により失われてしまったそうです。
日光山内は、色々なところに世界遺産が点在しているのですね。油断できません。
児玉堂を後にした僕たちは、お世話になる旅館に到着し、荷物を預けます。とっても親切なご対応をして頂きました。僕たちがこの後向かう、滝尾神社方面の道案内をしてくださったり、地図もくださったり。ありがたいです。
重たいリュックから解放され、身軽になった僕たちは、ここから山の中へ。
開山堂やその先にある滝尾神社は、そこそこの山道を歩いた先にありまして、ハイキング気分です。
だがしかし、今年の秋はですね、クマの目撃情報というのが日光も大変多く、それが唯一の不安材料でした。故に、事前に購入したクマ除け鈴をぶら下げ、さらにはクマ撃退スプレーも持参するという、用心深さを発揮です。
おそらく人もほとんどいないであろう山奥へと向かいますので、備えあれば憂い無しです。
クマを警戒しつつ、まずは開山堂を目指して歩き始めます。
ご由緒
ご本尊は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)で、室町時代の作といわれる木像が安置されています。左右には勝道上人と十人の弟子の木像が安置されています
この地には仏の姿をした岩が並んでいる岸壁があり、仏岩谷と呼ばれていました。平安時代の初期、日光を開山した勝道上人が83歳で亡くなると、この仏岩谷の地にて荼毘に付されます。
その後、勝道上人の霊を祀る堂宇として、重層宝形造りの開山堂が造営されました。江戸時代の中期に造営され、今に至ります。
お堂の裏には勝道上人の墓所があり、その奥にはかつて仏岩と呼ばれていた崖(仏の姿をした岩は、地震で崩れ消失しています)があります。
勝道上人の命日である4月2日(旧暦の3月1日)には、堂内で毎年、開山会法要が執り行われます。
境内には、将棋の駒が並ぶ観音堂や、安産にご利益があるという陰陽石もあります。
輪王寺の一部として、国の重要文化財にも登録されています。
平成11年に世界遺産登録された、日光の社寺の一部でもあります。
境内案内
児玉堂の辺りより、滝尾神社方面へと出発です。紅葉の景色を楽しみつつ歩きます。
左手が日光山内になります。大きな杉が至るところに茂っています。右手には川が流れていました。
歩き始めて10分ちょっと。左手の奥に赤いお堂が見えました。開山堂に到着です。
奥へと進みますと、正面には鳥居と小さなお堂、右に大きなお堂です。右が開山堂です。
境内は森の中にあります。小さな川も流れています。
まずは正面の鳥居のあるお堂から、参拝させて頂くことに。お堂には将棋の駒が並んでいるのが見えます。
石鳥居をくぐります。お堂に並んでいる駒は、全て「香車」であることに気付きます。手前にあった説明書きに目を通しますと、お堂は観音堂で、安産信仰のある楊柳観音(ようりゅうかんのん)がお祀りされているとのこと。
参拝させて頂きます。「香車」は戻らず前進する駒であることから、妊婦さんがこの駒を借りて自宅に祀り、無事に出産した後には、借りた駒とともに新しい駒をお供えする、という風習があるそうです。
石鳥居を出て、右手の開山堂へ。フォルムが美しいお堂です。
開山堂の正面へ。どこが正面なのか一瞬迷ったのですが、案内書きがありましたので、たぶんこちらでよいのではないかと。案内に目を通し、参拝させて頂きます。
裏手の方に回ってみます。まず観音堂の左後方に、「陰陽石」と書かれた案内がありまして、右奥に二つの石がありました。陰(女性)と陽(男性)を意味すると言われ、安産のご利益があるそうです。
陰陽石の脇にも、立派な杉です。
開山堂の後ろに玉垣が見えましたので、行ってみます。
玉垣の手前、その奥は崖でして、よく見ると下の窪んでいるところに石仏の姿が。
近づいてみますと、六体の石像と、奥にはお地蔵さんも。この場所、凄いです。
手前にあった案内書きに目を通すと、この崖が「仏岩」と呼ばれている崖でして、かつて仏の姿をした岩が並んでいたそうです。それらは残念ながら地震で崩れ、消失してしまったとのこと。しばし崖を見上げます。
石像は「梵天、帝釈天、四天王のうちの三体、不動明王」の六体です。手を合わせます。
こちらは仏岩を振り返って見える、開山堂の景色です。
人の気配はなく、とても静かです。
開山堂の裏にある玉垣へ。こちらは勝道上人のお墓でした。手を合わせます。
お隣には勝道上人のお弟子さんのお墓です。
しばし境内にて過ごさせて頂き、開山堂を後にしました。遠目に見るお堂も素敵です。
参拝を終えて
森の中にあった開山堂。
凄い場所でした。語彙が乏しくて申し訳ないのですが、「凄い」とか「ヤバい」とか、そういう言葉がまず出てきてしまう、そんな場所でした。
僕たちはその先にある滝尾神社を、この日の大きな目的地の一つだと考えておりまして、正直なところこの開山堂は、その通り道にあるお堂、くらいの認識しかなかったんです。大変失礼ながら。
しかしとんでもない。
素晴らしかったです。
児玉堂の近辺より山道に入りますと、そこからは一切誰にも出会わずに、開山堂に到着しました。歩いてきたのは車も通る舗装道路でして、2台ほど車には会いましたが、歩いている人はいませんでした。
途中、クマ出没注意の看板なども出ていましたので、じゃっかんビビりつつ、クマ除け鈴を鳴らしつつ。
そんな感じでしたので、到着した開山堂でも、一切人の気配はなく。本当にいつクマが出て来てもおかしくないような雰囲気でした。
そんな静かな境内は、全体的に素晴らしかったのですが、中でも一番奥の仏岩の辺りが、空気は張り詰めていた感じがします。
入ってはいけない場所に足を踏み入れてしまったのではないかと、そう思ってしまうような空気でした。
実際に仏岩は、古くより神聖な霊地とされているそうです。
崖は女峰山と赤薙山の溶岩でてきているとのことで、その形状も目を惹くものがありました。かつて仏のような岩が並んでいたという、その景色も是非見てみたかったです。
仏岩だけではなく、綺麗な開山堂の堂宇や、「香車」が供えられている珍しい観音堂も見ることができて大満足です。「香車」が供えられる由来なども知ることができましたし。
そして何より、この人がいなければ今の日光はなかったであろう、勝道上人のお墓に手を合わせることができてよかったです。
清とした空気の中、世界遺産を独占させて頂きました。
素晴らしい時間が過ごせました。
開山堂を後にした僕たちは、滝尾道という石畳の道に入り、次の目的地である北野神社を目指します。
御朱印
開山堂の御朱印はありません。
(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は栃木県日光市山内です。
開山堂の公式サイトはありません。輪王寺の公式サイトは以下になります。
https://www.rinnoji.or.jp/
電車&バス
「神橋」バス停より徒歩15分。
バス停より日光橋を渡り、右の坂道を上って行きます。途中Y字になっていている場所は、道なりに右手の方へ。その少し先、橋の手前を左折です。鈴屋という食堂が左に見える道です。そのまま登り坂を10分ほど上がった左手です。
駐車場
お堂の少し上に、数台駐車できるスペースがあります。
周辺のパワースポット
日光世界遺産巡り
日光の二社一寺を中心とした、世界遺産の全ての社寺については、こちらの記事でまとめてあります。
日光市の神社一覧
僕が参拝した日光市の神社一覧です。