世田谷区にある若林稲荷神社の参拝レポートです。
読み方は「わかばやしいなりじんじゃ」です。かつては福寿稲荷神社と称されていました。若林地区の鎮守で、若林鎮守三社例大祭が毎年行われています。最寄り駅は東急世田谷線の若林駅です。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
世田谷の「若林稲荷神社」へ
この日は嫁を伴い、世田谷線沿いの神社巡りに出掛けて来ました。
僕は世田谷線という路線自体おそらく乗るのが初めてでして、その辺りは普段訪れる機会が全くないエリアです。
神社巡りをしていますと、これまで全く縁のなかった場所に行けるというのが一つの楽しみだったりもします。僕はもう東京に住んで20年ほどになるのですが、東京と言っても訪れたことがない場所だらけですからね。
僕たちの場合は車を持っておりませんので、基本的には電車と徒歩での神社巡りです。自分の足で歩くと、なんとなくではありますが、その土地を実感できる気もするんです。
神社巡りが東京の色々な場所を訪れるいいきっかけになっています。色々な駅にも降り立つことができますし、それもまた楽しいです。
ちなみにですが、東京には一体いくつの駅があるんだろう?と思いその数を調べてみたところ、なんと935駅(平成29年データ)もあるみたいです。それだけある駅の中で、自分が今まで降り立ったことがある駅なんて、きっとほんの僅かなんだろうな~と。
けっこう身近なところでも、降りたことがない駅ありますからね。
今回世田谷線沿いの神社を回るきっかけになったのは、吉田松陰を祀る松陰神社です。僕はそこまで深い知識は持ち合わせていませんが、幕末という時代は好きですし、吉田松陰も好きです。そんな吉田松陰を祀った神社があるのでしたら、これは是非とも行ってみたいです。
松陰神社は世田谷線の三軒茶屋方面にあるとのことですので、さっそく行ってみることにしました。
で、いつものパターンで周辺の神社も地図などで事前に調べ、回ってみることに。
まず最初に訪れたのは、西太子堂駅が最寄の太子堂八幡神社です。緑が多く、ウサギやインコなどもいる素敵な神社でした。
そして次に向かったのが、こちらの記事で紹介する若林稲荷神社になります。
元々は太子堂八幡神社への参拝後は、再び世田谷線に乗り、二駅先の松陰神社前駅まで行く予定でした。松陰神社に向かおうと。
しかしながら周辺の地図を見ていましたところ、太子堂八幡神社からも歩いて行けそうな距離に、若林稲荷神社という名前を見つけてしまったんですよ。
見つけたからには行かずにはいられません。
地図を頼りに世田谷の住宅街をてくてくと歩き、若林稲荷神社を目指します。
太子堂八幡神社からは、5分ちょっとだったかと思います。
赤い鳥居が目に入り、若林稲荷神社に到着です。
ご由緒
ご祭神は、五穀豊穣の神様である倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と、日本人の総氏神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。
創建の具体的な年代は不明ですが、江戸時代の初期~中期と考えられています。経緯も不明です。
明治10年には、代田にあった天祖神社の別当寺(管理していたお寺)である常林寺が焼失してしまったため、天祖神社を合祀しています。これにより、ご祭神が稲荷神社の倉稲魂命と、天祖神社の天照大御神となっています。
現在の社殿は昭和59年に再建されたもので、それ以前のものは第二次大戦時の空襲により焼失しています。
かつては弁財天、大黒天、毘沙門天が合祀された末社があり、弁財天の池も境内にあったそうですが、今も残っているのは大黒天のみです。
現在の社名は若林稲荷神社ですが、かつては福寿稲荷神社と呼ばれていました。改称の経緯や時期などは不明です。
世田谷、若林の守り神として鎮座している神社です。
境内案内
若林稲荷は住宅街の中にありました。赤い鳥居と大きな木が見えます。
こちらが入口です。石段の上に社殿の姿も見えます。
一礼して鳥居をくぐり石段を上ります。
石段を上がったところには、ひときわ高く聳える木。ケヤキでしょうか。
すぐ正面が拝殿です。
左手に手水舎。
お清めをします。
手水舎の奥には立派な桜の木がありました。
拝殿へと歩を進めます。
拝殿前には神狐さんです。こちらが左の神狐さん。
こちらが右の神狐さん。どちらも少し怖いようで愛嬌もあるような、独特の表情をしています。
静かな空気の中、参拝します。
拝殿から参道を見ますと、こんな景色です。左奥に見えるのは神楽殿です。
社殿の左奥に境内社が見えましたので、行ってみます。
境内社は大黒天でした。
祠の中には大黒天さまの像も。参拝します。
境内の右奥にも鳥居と社が見えましたので、今度はそちらに行ってみます。
こちらは境内社の招魂社です。
右には招魂社と書かれた石碑も。
鳥居をくぐり、招魂社にも参拝します。
招魂社から若林稲荷の社殿を見ますと、奥に本殿の姿も見えました。
拝殿前に戻ります。拝殿を右斜め前から激写。
左斜め前からも激写。
境内の左手に社務所がありましたが、若林稲荷には御朱印がないようでしたので、特に訪問はせず。
境内でしばらくのんびりと過ごし、若林稲荷を後にしました。
参拝を終えて
一つ前に訪れた太子堂八幡神社は、平日だったにも関わらず参拝者が途切れることのない神社でした。
それに対し若林稲荷神社は、始終僕と嫁しかいないまま。参拝中も境内を散策中も、誰一人現れませんでした。
大きな神社ではありませんでしたが、静かな時間をゆっくりと過ごさせて頂きました。
若林稲荷の境内は、少しだけ高台にあります。石段を上がるとすぐ目の前には赤と白を貴重とした社殿、それを護る神狐さんが目に留まります。
神狐さんの表情が、怖いような可愛いような、僕はどちらにも感じてしまう表情をしていました。夜に来たら間違いなく怖く見えてしまいそうですけれど。
社殿の左手には大黒天が祀られているのですが、かつては弁財天と毘沙門天も祀られていたそうです。境内には弁財天の池もあったとのことで、その頃の景色も見てみたくなります。
弁財天や毘沙門天がどうしてなくなってしまったのかはわからなかったのですが、もしかしたら社殿が焼失した空襲時に、同じく失われてしまったのかもしれないですね。
現在は本殿に合祀されている天祖神社も、かつては本殿の脇に祀られていたそうです。
僕はこうして神社ブログを書き、それぞれのご由緒などをいつも調べるのですが、「社殿が空襲により焼失」という文言をかなり多く見掛けます。
どれだけ多くの神社仏閣が空襲で燃えてしまったのかと、驚かされます。
もちろん建物も寿命があるものですし、いつか新しくなっていくのが当たり前なのかもしれませんが、やっぱりできるだけ古くから残っているものを見てみたくはなりますからね。空襲のよってそれらが一瞬で失われたのかと思うと、残念です。
また、空襲という攻撃がいかに無差別だったのか、その一端を感じずにはいられません。
と、少々話が逸れてしまいましたが、空襲で焼失する前の若林稲荷神社に想いを馳せつつ、現在の境内を満喫させて頂きました。
僕と嫁だけしかいなかった若林稲荷神社。
静かな時間をプレゼントしてもらった気がします。
参拝できて良かったです。
この後僕たちは、吉田松陰を祀る松陰神社へと向かいます。
御朱印
若林稲荷神社では御朱印は扱っていません。
(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は東京都世田谷区若林2-18-1です。
若林稲荷神社の公式サイトはありません。
電車
①世田谷線 「若林駅」から徒歩5~6分。
東側(三軒茶屋方面)の出口から出て、環七の向こう側です。
②世田谷線 「西太子堂駅」から徒歩10~12分。
若林駅方面に進み、環七の手前を北上です。
駐車場
参拝者用の駐車場はありません。少し離れた場所にコインパーキングがいくつかあります。少しの時間でしたら、神社前の道路に迷惑にならないよう路駐しても大丈夫かとは思います。
周辺のパワースポット
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