世田谷区の若林にある松陰神社の参拝レポートです。
読み方は「しょういんじんじゃ」です。幕末の思想家である吉田松陰をお祀りしている神社で、境内には松下村塾を模した建物や、吉田松陰の墓碑。伊藤博文、木戸孝正などが寄進した26基の燈籠があります。最寄り駅は東急世田谷線の松陰神社前駅です。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
世田谷の「松蔭神社」へ
吉田松陰といえば、幕末の重要人物として必ず名前が挙がる人物で、討幕論を唱えた長州藩出身の思想家です。私塾である「松下村塾」を開き、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋など明治維新に関わる多くの人材を育てた人物です。最後は安政の大獄により投獄され、30歳という若さで獄中で刑死したことでも知られています。
吉田松陰はNHKの大河ドラマでもよく登場しているみたいです。僕は大河ドラマを見る習慣がなく残念ながら見ていないのですが、最近では2015年の『花燃ゆ』で伊勢谷友介さんが、2013年『八重の桜』では小栗旬さんが、2010年『龍馬伝』では生瀬勝久さんが、それぞれ松陰を演じています。
僕も幕末という時代は大好きでして、子供の頃から伝記なども読んだりしていました。小学校の自由研究で新撰組についてまとめたこともあります。
ですのでもちろん、吉田松陰も好きです。深い知識を持ち合わせるほどではありませんが、彼の生涯だったり松下村塾の様子だったり、そういうことを考えると心踊るものがあります。
そしてなんと、吉田松陰をご祭神として祀っている「松陰神社」なる神社があったんです。
松陰の出身地である山口県の萩市と、東京の世田谷の二ヶ所に。
僕は東京在住ですので、山口まではなかなか気軽には行けません。しかし世田谷の方でしたら、いつでも行こうと思えば行けてしまいますし、是非とも行ってみたいです。
元々は嫁が松陰神社の御朱印画像をどこからか見つけてきまして、僕はその存在を知りました。吉田松陰の月命日である27日に参拝すると、お姿の入った御朱印が頂けるとか。
そんな情報を仕入れましたので、せっかくなので参拝するなら27日にと決め、GW直前の4月27日に嫁と二人で訪れることにしました。
さらにはその足で周辺の神社巡りも決行します。松陰神社は東急世田谷線沿いにありましたので、同路線沿いの神社をいくつかピックアップします。
朝からの神社巡りでまず最初に訪れたのは、三軒茶屋にも近い「太子堂八幡神社」です。参拝を終え、続いては地図にて見つけた「若林稲荷神社」へ徒歩にて向かいます。
そして三ヶ所目が松陰神社です。若林稲荷からはおおよそ一駅分くらいの距離があったのですが、世田谷線は駅と駅の距離がそこまで離れていないので、じゅうぶん歩けてしまいます。
てくてくと住宅街を歩き、環七を渡り若林駅を通過し、10分ほどでしょうか。
ひときわ緑が茂っている場所があり、そちらが松陰神社でした。
無事到着です。
ご由緒
ご祭神は、幕末の思想家・教育者である吉田松陰が神格化された吉田寅次郎藤原矩方命(よしだとらじろうふじわらののりかたのみこと)です。吉田松蔭は、明治維新に関わる多くの人物を、松下村塾にて育成したことでも知られています。
創建は明治15年です。松陰は江戸時代後期の安政の時代に、井伊直弼による安政の大獄により30歳で刑死しています。その4年後に、門下生であった高杉晋作や伊藤博文らによって、小塚原の寺院にあった松陰のお墓が、現在の地に改葬されました。そして明治15年になり、門下生だった人々によりお墓のそばに社が築かれ、御霊が祀られました。
現在の社殿は昭和2~3年に掛けて造営されたものになります。
境内には松下村塾を模した建物や、伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などが寄進した26基の燈籠もあります。
また、境内墓域には松陰や彼に学んだ人物たちの墓碑があります。この墓域は幕末に徳川勢により一度は破壊されたのですが、明治になって木戸孝允により修復されました。墓域の鳥居は木戸孝允が寄進したものです。隣接地には桂太郎のお墓もあります。
近くには豪徳寺というお寺があり、そちらには安政の大獄で松陰を刑死させた井伊直弼のお墓があります。
明治維新に大きな影響を与えた吉田松陰が神格化され、近年では学問の神様としても崇敬を集め、多くの参拝者が訪れる神社です。
境内案内
松蔭神社の入口は、交差点の一角にあります。
入口の綺麗に咲いているつつじの脇に、かつて一之鳥居に掛けられていた扁額がありました。地震で落下してしまったそうです。
参道の正面に立ちます。鳥居が黒ですね。
黒い鳥居がかっこいいです。後ろの緑も綺麗です。
鳥居の脇にはご由緒。
一礼して鳥居をくぐります。五瓜に卍というのが吉田家の家紋のようです。
参道は広々としていて気持ちいいです。桜の木も並んでいましたので、きっと春にはまた違う景色が楽しめるんでしょうね。
参道では野点茶店が開かれていました。休憩している人がちらほらいます。
右手に神輿庫です。
左手が神楽殿。この神楽殿は毛利家より寄贈されたものだそうです。
社殿の姿もじょじょにしっかりと見えてきました。右手には大きな楠が何本も茂っています。
右手に吉田松陰先生の像です。明治23年に製作されたものとのこと。
像の向かい側、参道の左手が手水舎です。
お清めをします。手水舎の後ろには、松蔭神社道の道標や、明治から昭和にかけての思想家である徳富蘇峰が植樹した碑などがあります。
参道に戻ります。社殿とその前に並ぶ燈籠、大きな楠など、全体的に素敵な景色になっています。
月命日の例大祭限定御朱印の案内も出ていました。
拝殿はけっこうでかいです。手前の楠もでかいです。
拝殿へと進みます。五瓜に卍の神紋が印象的です。
吉田松蔭に想いを馳せつつ、参拝。
拝殿の中、右手には大きな虎の絵である「松下虎図」が掛けられていました。これは松蔭の名前である寅次郎に因んでいるようです。
拝殿から参道を見ますと、こんな景色になっています。
境内を散策してみます。拝殿を右斜め前から、大楠越しに。
右手には大楠が何本も聳えています。石碑があり休憩できるスペースもありました。
境内の右奥が、松下村塾を模した建物のあるエリアです。行ってみます。
実際の建物と同じ造りになっているとのことで、テンションも上がります。
入口には、実際の松下村塾にあった瓦が展示されていました。
こちらにも松蔭先生の像です。
建物の左手から中を覗いて行きます。
手前の部屋が「講義室」と書かれています。こういう部屋で松蔭は教えていたんですね。下に見える石を紐で結んだものは、結界のような役割のものらしいです。
講義室を正面からも。奥には松蔭が描かれた掛け軸もありました。
突き当たりには記念碑です。
その奥には、松下村塾に関する説明が書かれていましたので、目を通します。
松下村塾の前から社殿の方を見ると、こんな景色です。楠が凄いですね。
再び拝殿前に戻ります。拝殿の左手、画像では正面に見えるのが社務所です。
授与所にて御朱印を頂きました。例大祭の日の御朱印は書き置きのみとの案内も出ていました。
拝殿を左斜め前からも撮影。
参道を少し戻ると、境内に奉献されている燈籠の案内がありました。そうそうたる名前が並んでいますね。
左右にこんな感じで燈籠が並んでいます。こちらは参道の右手です。そちらにはひときわ大きな楠も。
楠をしばらく見上げ、ボケ~としてみます。
時間を掛けて燈籠を一つ一つ見てみます。挙げたらきりがありませんので一部だけ紹介します。字が薄いのですが、左上が伊藤博文、左下が桂太郎、右上が山県有朋、右下が乃木希典です。
右手の燈籠の奥には、何の石でしょうか、長方形に切られた石が並んでいました。
左手にも道が延びていて、その先にお墓があるようです。行ってみます。
途中、木の根元に大黒天さまが祀られていましたので、手を合わせます。
墓域の入口にも鳥居があるのが見えます。
一礼して鳥居をくぐり、墓域へ。
右に折れると、もう一つ鳥居です。こちらが木戸孝允が寄進した鳥居です。
突き当たりに吉田松蔭のお墓がありました。手を合わせます。
手前には徳川家から奉納された燈籠がありました。一度お墓を破壊したお詫びとして、奉納されたそうです。
右の奥には長州藩の戦死者招魂碑です。この他にも周囲にはいくつか墓碑がありました。
お墓参りを終え、戻ります。境内の左手前にあたる場所が駐車場になっていて、そこには立派な参集殿がありました。
一通り境内を散策し、松蔭神社を後にします。
来る時には気付かなかったのですが、鳥居の左手、駐車場の入口には大きな木と、何故かトーテンポールがありました。
参拝を終えて
松陰神社は見どころがたくさんで、どれもこれも目を惹くものばかりの神社でした。
僕は勝手ながら、訪れる前にはそんなに大きな神社を想像してなかったんです。なんとなく小さな神社なんだろうな~と。
ところがどっこい、思っていたよりも大きく、境内も広かったです。
まず入口には黒い大きな鳥居があり、その姿がなんだかかっこよくて印象的でした。そこから真っ直ぐに延びる参道も素敵です。
境内には大きな桜や大きな楠が何本も茂っているのも見えて、それらの緑もとっても綺麗でした。
この日はGW前の平日だったのですが、参拝者は多かったです。もしかしたら月命日というのも関係あるかもしれませんが、鳥居をくぐる人の姿が途切れませんでした。
参道の突き当たりには、大きな屋根の拝殿があります。その中にあった「松下虎図」という虎と松の絵は迫力があり、見逃さずに良かったな~と。僕はそういうの、うっかり見逃すタイプですので…。拝殿の中、右手にありますので、是非見てみてください。
そして、個人的に一番テンションが上がってしまったのが、松下村塾を模した建物です。
実際の松下村塾は山口の萩に当時のまま保存されているとのことで、東京にあるのはそれを模したものです。
しかしレプリカとは言え、松下村塾というのがどんな感じだったのかはわかりますし、当時の光景などを色々と想像してしまいます。この場所(実際には萩ですが)で高杉晋作や伊藤博文が吉田松陰に学んだなんだな~と思うと、不思議な気持ちにもなります。
松下村塾は中に入ることはできませんが、外からじっくりと観させて頂きました。嫁と一緒にバッチリ記念撮影もさせて頂きました。
もう一つテンションが上がってしまったのが、燈籠です。僕は全然気付かなかったのですが、一基一基の燈篭に名前が刻まれているのを嫁が発見。薄く刻まれているので見えづらかったのですが、よく見ると伊藤博文、山縣有朋、乃木希典などの名前が。吉田松陰に学んだ人たちが、皆さん寄進したものなんですね。時間を掛けて一つ一つ確認してしまいました。
お墓のあるエリアは最後に訪れたのですが、そちらは周囲を緑に囲まれた静かな場所でした。突き当たりに墓碑が並んでいて、吉田松陰と、彼と関わりが深かったと思われる方々の墓碑が並んでいました。
お墓にはお花がお供えされていまして、それを見た時点で自分たちが手ぶらで来てしまったことに気付き、反省。お花を持って来ればよかったと…。申し訳ないです。次回訪れる際には、お花を用意して行きますのでお許しを。
授与所では、月命日限定の、お姿が入った御朱印を無事に頂くことができました。
御朱印と一緒に、こちらの栞も頂きました。吉田松蔭の栞、嬉しいですね。
拝殿への参拝、松下村塾、燈籠、お墓などなど、かなり時間を掛けて境内を散策させて頂いたので、いざ後にするとなると名残惜しいような、そんな気持ちになってしまいました。
もし吉田松陰がいなかったら、明治維新はどうなっていたんだろう?とか、今の日本は全く違う国になっていたのかな?とか、そんなこともあれこれと考えてしまったり。
そして、吉田松陰についてもっと知りたくなりました。学びたくなりました。
ちゃんと勉強したら、また改めて訪れてみようと思います。お墓にお供えするお花も忘れずに。
松陰神社、参拝できて良かったです。
この後僕たちは世田谷線に乗り、世田谷八幡宮へと向かいます。
御朱印
こちらが松陰神社の御朱印です。吉田松陰の月命日である毎月27日限定の御朱印で、書き置きのものを頂きました。
御朱印の受付時間
御朱印と御守りを頂ける時間は、9時から17時までです。また、神社自体の開門時間は7時から17時までです。
社務所の休務日がありその日は受け付けていません。休務日は公式サイトのトップページで案内が出ていますので、確認してみてください。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は東京都世田谷区若林4-35-1です。
松陰神社の公式サイトはこちらです。
http://www.shoinjinja.org/
電車
①世田谷線 「松陰神社前駅」から徒歩3~4分。
駅の出口を出て目の前の松陰神社通り商店街を左(北上)に歩くとすぐです。
②世田谷線 「若林駅」から徒歩7~8分。
豪徳寺方面の出口を出て東に真っ直ぐ進み、突き当りを左折です。
駐車場
境内に20台停められる参拝者用の駐車場があります。利用可能時間は7時~17時です。
周辺のパワースポット
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