宮崎県西諸県郡高原町にある霧島東神社の参拝レポートです。
読み方は「きりしまひがしじんじゃ」です。霧島六社権現の一社で、西の霧島神宮とともに、東の信仰の拠点として崇敬されてきた神社です。天孫降臨の地とされる高千穂峰の山頂は霧島東神社の飛地境内で、突き刺さっている天逆鉾を社宝としています。高千穂峰の東側、御池を見下ろすの山腹に鎮座しています。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
霧島六社権現の一社「霧島東神社」へ
5月の下旬、嫁と二人で5泊6日の鹿児島旅行に出掛けました。
最大の目的は、天孫降臨の地とされる高千穂峰への登山です。死ぬまでに一度は登り、山頂に突き刺さる天逆鉾をこの目で見たいとずっと思っておりましたので、それをこの度決行することに。
そしてせっかく鹿児島まで行くのでしたら、もちろんこの機会に他にも色々回りたい。
高千穂峰の麓に鎮座する霧島神宮をはじめとして、その周辺の神社巡りは外せません。
で、事前に霧島の神社を調べましたところ、霧島の信仰の拠点であった「霧島六社権現」という六つの神社があることを知ります。そのうちの一社は明治時代に他の一社に合祀されているため、現在は五つの神社です。
六社権現には霧島神宮も含まれています。鹿児島県にあるのは霧島神宮のみで、他の四社は宮崎県になります。
こちらの記事で紹介します霧島東神社も、宮崎県に鎮座する霧島六社権現の一社です。
霧島神宮からは車で30分ほど。けっこうな山奥にあるようです。宮崎県にはなりますが、四社のうちでは一番鹿児島寄りに鎮座しています。
そのすぐ近くには、神武天皇が幼少の頃に水辺で遊んだと伝えられている御池(みいけ)もありますので、霧島東神社に足を運ぶのでしたら、ぜひ御池にも立ち寄りたいところ。
僕たちが霧島東神社を訪れましたのは、鹿児島旅行の2日目です。
この日は早朝から念願の高千穂峰登山に臨み、10時くらいには無事に登頂。天逆鉾もこの目で見ることができまして、夢が一つ叶いました。
お昼過ぎに下山し、高千穂河原にて昼食にお蕎麦を食べたり、ビジターセンターに入ってみたり、しばしのんびりと過ごします。
時間は14時を少し過ぎていましたが、この日の宿へのチェックインにはまだ早いですし、体力の方も余力がありましたので、御池と霧島東神社に行ってみることにしました。
高千穂河原を出発です。
道はわかりやすいので迷うこともなかったのですが、ひたすら山の中ですし、距離がけっこうあるので、じょじょに不安にはなってきた頃…左手に御池が現れました。
湖畔に車を停め、美しい景色を眺めます。前方の山が高千穂峰です。
かつてここで神武天皇が遊んでいたのかと思うと、不思議な気持ちにもなります。
御池は日本で一番深い火山湖で、竜神が潜んでいるともいわれているそうです。
もう少しゆっくり眺めたかったのですが、思った以上にここまで時間を要してしまったので、霧島東神社へと向かいます。
霧島東神社はさらに山奥。御池のすぐ先の少し細い山道を上がって行きます。途中、タヌキが車の前に出てきてびっくりもしました。僕たちこの前日にも宿の窓からタヌキが歩いてるのを目撃していましたので、霧島で2度目のタヌキです。
そしてその細い山道を上がること7~8分。
視界が開け、霧島東神社の広い駐車場に出ました。
到着です。
ご由緒
ご祭神は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)です。
神代七代の最後の神で、男女として現れた夫婦神です。日本の国土を作った「国産み」や、多くの神々を生んだ「神産み」を行った神様です。
創建は、紀元前の第10代崇神天皇の御代と伝えられています。
平安時代の前期には、天台宗の僧である性空上人(しょうくうしょうにん)により、別当寺である錫杖院が建立され、霧島六社権現の一つとして信仰を集めます。霧島神宮が「西霧島宮」「西御座所之宮」と称されたのに対し、当社は「東霧島宮」「霧島山大権現東御在所之宮」とも称されました。
一説には、霧島神宮が噴火により霧島山の東に遷座した後、現在の霧島岑神社と霧島東神社の二社に分けられたともいわれています。後にさらに霧島東神社から霧島西神社が分けられ、その西神社が現在の霧島神宮であるとも。
度重なる霧島山の噴火により焼失と再建が繰り返され、現在の社殿は江戸時代中期の享保12年に造営されたものになります。近年では平成9年に改修が行われています。
天孫降臨の地とされる高千穂峰の山頂は当社の飛地境内で、瓊瓊杵尊が突き立てたという天逆鉾は社宝となっています。
氏子だけで行われる祭祀の「祓川(はらいがわ)神楽」は、同じ高原町の狭野神楽とともに、「髙原の神舞(かんめ)」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。
高千穂峰の東側の山腹、御池を見下ろす位置に鎮座しています。
境内案内
駐車場の先、木々の中に赤い鳥居が見えます。そちらが霧島東神社の入口です。
右にご由緒書きと天之逆鉾についての説明書き。この後方はトイレです。
その先、鳥居の手前は少し開けています。
左手を見ますと先ほど立ち寄った御池です。素敵な景色。
右手に神習館と書かれた建物。研修などに利用されてるとのことで、かつて別当だった錫杖院があった頃は、宿坊として使われていたそうです。社務所にもなっているみたいです。
こちらが境内への入口です。鳥居は控え柱のある両部鳥居。
一礼して鳥居をくぐります。参道は山の中へと続いていて、周囲にはそこかしこに大きな木々。左手にも小路がありましたので、そちらは後ほど行ってみることに。
右手には、神龍乃泉社です。中には忍穂井(おしほい)と呼ばれる井戸があり、御池に棲む龍神が休息地とする泉といわれています。社殿の脇には水が流れています。忍穂井は女性が覗き込んではいけないとされています。ゆえに、嫁は置いて僕だけ覗かせて頂きました。
神龍の泉社の右、石段の上にあるのは天狗堂です。大津坊という霧島山の天狗をお祀りしているお堂になります。修行をしていた性空上人に斧を授けたといわれる天狗で、錫杖院の守護神でもありました。
参道に戻り、石段を上がります。
神龍乃泉社の後ろに、小さな祠があるのも見えます。
境内は森の中。
石段は右に折れ、続いています。右手に手水舎が見えます。
素敵な手水です。お清めをします。
石段はさらに上へ。
そして左に折れて続いています。左手には祓所。
その先、右には開山の記念碑です。「開山性空上人」と刻まれています。
石段を右手に折れますと、前方には御神木の大きな二本の杉です。その右が神門になります。
御神木、二本ともでかいです。
二本の御神木の間には石橋が掛けられていますので、そちらを渡って神門へ。
神門の扉には、大日輪宝の神紋です。仏教の輪宝で、錫杖院の紋だったものが使われているそうです。
神門をくぐりますと、前方に社殿です。右手には授与所。
授与所には御朱印がセルフサービスで置かれていましたので、後ほど頂くことに。
参道を進みます。左の社殿は猿田彦神社で、その先の左右には門守社( かどもりしゃ )です。
門守社の後ろには大きな杉や銀杏。
大木だらけの森です。
拝殿へと進みます。明かりのついた灯籠と、森の中の社殿の景色が幻想的です。
石段を上がり、拝殿の前へ。社殿は赤と白を基調とした建物です。
虹梁の彫刻は松と牡丹でしょうか。木鼻には獅子と白象。霧島神宮の勅使殿の彫刻と同じですね。
参拝させて頂きます。扁額には「東霧島坐」。
社殿に向かって左手には、高千穂峰への修験道口です。脇に突き立っている鉾のようなものには、「天之鉾御下降紀念」と刻まれています。高千穂峰の天逆鉾が、一度この辺りまで降りてきたという伝承があり、その記念碑とのこと。
社殿の左手には、火明尊(ほあかりのみこと)をお祀りする脇社です。
少し奥まで行きますと本殿もよく見えます。赤と白の拝殿、幣殿とは異なり、本殿は黒。ガラスというのも珍しいです。
こちらは社殿を左斜め前から。
反対、向かって右手には、火闌降尊(ほすそりのみこと)をお祀りする脇社です。
こちらは社殿を右斜め前から。
左右の脇社にも挨拶をし、猿田彦神社にも参拝し、授与所にて御朱印を頂きます。
帰り道、行きには気付かなかったのですが、石段の途中からも御池が見えました。
下から見上げる社殿の景色も素敵です。
天狗堂にも参拝し、鳥居の先から延びていた下り坂にも行ってみます。
その先には池と新しめな小さな社殿です。石碑が読めなかったのですが、池がありますので弁才天でしょうか。
一礼して鳥居をくぐり境外へ。駐車場から見える石段の先に法栄殿がありますので、そちらにも参拝させて頂きます。錫杖院の跡地に建てられたお堂で、錫杖院歴代などを祀る祖霊社とのこと。不動尊堂とも呼ばれています。
法永殿には不動明王さまのお姿も。
その先には観音様もいらっしゃいました。手を合わせ、駐車場に戻り、霧島東神社を後にしました。
参拝を終えて
高千穂峰登山の後に足を運んだ霧島東神社。
山の中に佇む静かな神社で、灯籠の明かりが幻想的で、神秘的な雰囲気のある境内でした。
まず、入口の鳥居の景色がもう美しいです。鳥居の先は深い緑の中へと参道が続いているのが見えますので、まさに神域に入って行くような感じですね。
周囲には大木があちこちに聳え、眼下には御池も見えました。
そして境内社も含め、緑の中に赤と白の社殿や神門が随所にありますので、それがまたアクセントになっていて美しいんです。
そんな赤と白に対し、本殿の黒も素敵でした。
高千穂峰の山頂は当社の飛地境内ですので、同じ日にどちらも参拝できたことになり、満足感もひとしおです。境内が高千穂峰の山腹に位置しているということを後から知ったのですが、同日に二度も天孫降臨の高千穂峰に入れたというのも、また嬉しいものですね。
到着した際には、僕たち夫婦以外に参拝者の姿はなく、その神秘的な境内を独占させて頂きました。誰一人いませんでしたので、異世界に迷い込んだ感もありました。
かなり山奥の神社ですので、来る方もあまりいないのかな~と思っていたところ、僕たちが帰るタイミングで、何組かの方がいらっしゃいました。人の姿を目にすると、異世界から現実に戻って来られたような気にもなります。
静かな山の中で、素敵な時間を過ごさせて頂きました。
高千穂河原からはそこそこ距離はありましたが、おもいきってこの日に行ってみてよかったです。
ただ一つ、心残りも…。
それなりに下調べをしてから行ったつもりなのですが、どうやら法栄殿のさらに奥に、性空上人の像があったようなんです。性空上人は霧島六社権現を整えた方でして、上人のおかげで今の霧島の信仰があると言っても過言ではないかと。ですので、あと少し奥にさえ行ってみれば、その像と出会えたのかと思うと、残念でなりません。下調べの際にもなんとなくチェックした気はするんですけどね…頭の中で不動明王像や観音像とごっちゃになってしまったのかもしれません。
霧島神宮の旧参道の先には性空上人のお墓がありまして、僕はそちらも見逃していますので、次回霧島に行く際には、その二つは絶対に回らねば。
忍穂井は女性は覗いてはいけないとか、そういうのはちゃんとチェックしたんですけどね。詰めが甘かったです。
天狗堂の伝説や、修験道口脇の石碑の伝説などは、こちらの「ふひとべのべ」さんのブログを参考にさせて頂きました。
とってもわかりやすく解説してくださっていて、霧島東神社だけではなく、僕は今回の鹿児島旅行に際し、大いに参考にさせて頂きました。
と言いつつ、性空上人の像についてもバッチリ写真付きで書いてくださっていたのに、僕は見逃してしまうという失態を犯しましたが…。
修験道口脇の鉾のような碑についても、逆鉾の化身が山から降りて来たという、面白い伝承も紹介してくださっています。
霧島東神社は天逆鉾を社宝としていて、授与所には天之逆鉾守という御守りも置かれていましたので、一つ買わせて頂きました。
授与所はセルフサービスでしたので、御朱印なども含め頂く予定のある方は、小銭の用意を。開いている日もあるのかもしれませんが。
霧島東神社を後にした僕たちは、この日の宿である霧島温泉郷へと向かいます。霧島神宮や高千穂河原よりさらに西になりますので、来た道を戻る形です。
そして40分ほどで霧島温泉郷に到着。その入口には丸尾滝という滝がありますので、そちらにもちょいと寄り道。
滝壺は乳青色で、温泉の煙も噴き出していて、美しい滝でした。
寄り道してよかったです。
宿に到着してからは、温泉にのんびり浸かり、美味い料理と美味い酒に大満足。前日は登山を控えていたためお酒も我慢したので、これが霧島での初酒でした。
早朝からの登山の疲れも、温泉と飯と酒で癒されました。
翌日は一日かけて霧島の神社巡りをする予定でしたので、早めに就寝します。
鹿児島旅行2日目も、素晴らしい一日が過ごせました。
御朱印
こちらが霧島東神社の御朱印です。
御朱印の受付時間
御朱印と御守りを頂ける時間は、9時から17時までです。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は宮崎県西諸県郡高原町大字蒲牟田6437です。
霧島東神社の公式サイトはありません。
駐車場
150台駐車できる参拝者用の駐車場があります。
高原ICやJR高原駅から車で20分ほど、霧島神宮からは30分ほどです。どちらの方面からでも「霧島バードライン御池線」を御池方面です。御池キャンプ場の入口から7~8分ほど山道を上がった先です。
電車&バス
JR高原駅からバスで「祓川」下車で徒歩30分ほどです。バスの本数がかなり少ないため、駅からですとタクシーが確実です。
トイレ
鳥居の手前にあります。
周辺のパワースポット
高原町の神社一覧
著者が参拝した高原町の神社一覧です。