下諏訪町にある諏訪大社・下社秋宮の参拝レポートです。
読み方は「すわたいしゃ・しもしゃあきみや」です。
諏訪大社は、長野県の諏訪湖周辺にある四つの神社の総称です。諏訪湖の南側にある二つが上社、北側にある二つが下社で、上社には前宮と本宮が、下社には秋宮と春宮があります。
秋宮は旧中山道と旧甲州街道の交わる場所、下諏訪駅の近くに鎮座しています。神楽殿や珍しい造りの幣拝殿は国の重要文化財に指定されています。境内には樹齢約600~700年の「根入の杉」や、青銅製では日本一大きいといわれる狛犬がいます。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
諏訪大社の下社「秋宮」へ
僕は現在東京に住んでいるのですが、生まれも育ちも、この諏訪大社のある諏訪地方なんです。上社前宮がある茅野市と言うところですね。
ですので諏訪大社は、個人的に小さい頃からとても馴染みのある神社なんです。お宮参りや七五三、七年に一度行われる御柱祭。毎年の初詣も必ず諏訪大社でした。
そして現在僕は、数年前から嫁と御朱印巡りを始め、こんなブログまで書いています。せっかく地元に諏訪大社と言う大きな神社があるのだから、これは御朱印を頂いておかねば、と。
そんなこんなで、今年の5月に嫁を伴い実家に帰省した際に、上社の前宮と本宮を訪れ、御朱印を頂きました。
上社についてはこちらの記事で紹介しています。
じっくりと上社を訪れたのは、その時が初めてです。改めて諏訪大社の魅力に気付かされました。
5月に上社を回りましたので、残すは下社の秋宮と春宮です。
同じ諏訪大社ではあるのですが、実は下社の方って、あんまり馴染みがなかったりするんですよ。
僕の実家がある茅野市は、上社なんです。で、下社は諏訪湖の反対側で、下諏訪町とか岡谷市とかの側にあります。同じ諏訪地域ではありますが、茅野からですと少し距離があるんです。
また、御柱祭も完全に「上社」と「下社」で地域によって分かれていますので、僕はまだ一度も下社の御柱を生で見たこともないくらいです。
そんなんですから、これまで下社の秋宮と春宮は、なんとなくの記憶しかないんですよね。小さい頃行ったことあるっぽいのですが、ほぼその記憶もなく、高校生の頃に春宮に行った覚えがなんとなくある程度。ですので、ほぼ「行ったことない」に等しいです。
季節は8月。例年になく雨の多い8月です。
お盆の少し前に実家に帰省し、両親の車を借ります。秋宮も春宮も電車でも行けなくはないのですが、やっぱり田舎は車の方が便利です。
まずは秋宮、続いて春宮と言う順番で回ってみることに。
カーナビの誘導に従い、お盆前で少し混雑気味の道路を走ること30分ほど。
甲州街道と旧中山道の交差点を過ぎてすぐ。
秋宮に到着です。
諏訪大社のご由緒
諏訪大社は、諏訪湖を中心にして、上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮の四ヶ所にある神社で、全国に一万社以上あるといわれる諏訪神社の総本社です。
ご祭神は、大国主命の御子神である建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)です。
本来のご祭神は、諏訪地方の土着の神々であるという説もあります。
諏訪大社の創建年代は不明ですが、日本最古の神社の一つと言われています。武甕槌命との相撲に敗れた建御名方命が諏訪の地に逃れ、以後は他の土地へ出ないことを誓ったのが起源とされています。
文献に最初に登場したのは飛鳥時代の初期で、平安時代には建御名方富命神社、須波社と称され、信濃国の一宮とされていました。古くから軍神として崇められ、坂上田村麻呂も戦勝祈願を行ったそうです。
鎌倉時代になると、源頼朝により厚く庇護され、神馬も奉納されています。この頃に武士から軍神として信仰されたことのより、全国に諏訪信仰が広まったと考えられています。諏訪社と表記されるようになったのもこの時代です。
戦国時代には武田信玄による諏訪侵攻により武田領となり、信玄により厚く崇敬されました。信玄は戦の時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に、諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられています。
安土桃山時代には、織田・徳川連合軍による武田領侵攻の際に、下社が放火されると言う戦災にも見舞われています。
明治4年には諏訪神社が正式名称となり、昭和23年に現在の諏訪大社の号が用いられるようになりました。
天下の奇祭と言われる、七年に一度の御柱祭でも有名な神社です。
四ヶ所にある宮のそれぞれの社殿は、四隅に御柱が立てられ、社殿の多くも重要文化財に指定されています。
大変歴史の古い神社で、諏訪信仰の総本社として、厚く信仰されている神社です。
秋宮のご由緒
下社秋宮のご祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)と、その妃である八坂刀売神(やさかとめのかみ)です。また、建御名方神の兄である八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ)が合祀されています。
上社の本宮と前宮が、本社と摂社と言う関係なのに対して、下社の秋宮と春宮は同格とされています。また、狩猟民族的な性格を有している上社に対し、下社は農耕民族的な性格を有していると言われています。
ご祭神が祀られているのは毎年8月~翌1月で、2月~7月は春宮に遷座します。
重要文化財に指定されている神楽殿は、江戸時代後期の天保6年に建てられたもので、正面には樹齢約600~700年の御神木である「根入の杉」、その先には青銅製では日本一の大きさと言われる狛犬がいます。
同じく重要文化財に指定されている幣拝殿は、江戸時代中期の安永10年に建てられたもので、幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿が並ぶ独特な造りになっています。
古くは秋宮と春宮の間で、建築の技が競われていたそうです。
幣拝殿の奥には宝殿があり、さらにそのその奥には御神座(相殿)と呼ばれる、御神木を祀っている重要な場所があります。上社は神体山、下社は御神木を御神体として拝しています。秋宮の御神木は一位の木、春宮の御神木は杉の木です。
また、境内にある千尋池からは、諏訪大社下社の宝印「売神祝ノ印(めがみほうりのいん)」が発見されています。この宝印は、平安時代初期の大同の時代に、時の平城天皇より下賜したと伝えられるものです。
神事や行事も数多く行われている神社で、参拝者も多く訪れる神社です。
境内案内
秋宮には大きな駐車場があるのですが、その手前の土産物屋さんの駐車場に車を停めると、そこには「専女の欅(とうめのけやき)」と呼ばれる大きな木があります。
専女の欅の奥には、秋宮の社叢である専女社(とうめしゃ)です。手前には諏訪大社の御神紋である梶の木も。参拝します。
いざ秋宮へ。夏の緑の中央に黒い鳥居があり、その奥に参道が延びているのが見えます。
入口には、諏訪大社と刻まれた大きな社号碑です。
境内の案内図がありましたので、ざっと目を通します。うっかり見逃す場所のないように。僕は大事なものを見逃して帰ってしまったことが多々あるので。
鳥居の手前、左手に手水舎です。鳥居の外に手水舎があるんですね。
手水舎には立派な彫刻が施されていました。手前には龍、奥には鳩もいます。
お清めをします。手水鉢にも小さな龍がいました。手水舎の後ろには池があるのが見えたのですが、そちらは後ほど行ってみることに。
お清めを終え、鳥居の正面に立ちます。黒い鳥居で、前宮にあった鳥居に似ています。
夏の強い陽射しの中、一礼して鳥居をくぐります。
鳥居の先、参道は緩い上り坂です。両脇の緑が気持ち良いです。
坂を上り切ると、正面には「根入りの杉」と呼ばれる御神木の大きな杉の木です。
「根入りの杉」は樹齢約600~700年で、丑三つ時になると寝入りいびきが聞こえると言われ、子供にこの木の小枝を煎じて飲ませると、夜泣きが止まると言われているそうです。
しばし杉を見上げてフリーズ。魅入ってしまいます。
根入りの杉から、参道の右手にも大きな木があるのが見えましたので、そちらにも行ってみます。
こちらの木も素晴らしかったです。なんだか木の写真ばかりになってきてしまいましたが。
その大きな木の奥にもう一つ鳥居があり、その向こう側が秋宮の駐車場になっています。手前に見える灯篭も立派です。
いったん駐車場側の鳥居を出ると、そこには「御神湯」と書かれた温泉の流れる手水鉢です。龍の口からかなり熱い温泉が出ています。
御神湯の龍の顔が特徴的だったので、斜め前からも撮影。
こちらが、駐車場側の鳥居を外から見た景色になります。この鳥居をくぐり、再び参道に戻ります。
根入りの杉の奥、参道の先に神楽殿です。大きな縄が目に留まる社殿、手前の狛犬さん、夏の緑、空の青が、全てちょうど良いバランスで調和している感じです。思わず足を止めてしまいます。
神楽殿の前、狛犬さんの下まで進みます。青銅製では日本一の大きさと言われている狛犬さんです。こちらが左の狛犬さん。笑っています。
こちらが右の狛犬さん。どちらも顔は愛嬌があるのですが、体は逞しい狛犬さんです。
狛犬さんと神楽殿の景色が素敵だったので、近くでももう一枚撮影。
神楽殿には、大きな縄が掛けられています。かなり大きくて迫力がありました。参拝します。
神楽殿の後ろが幣拝殿になっているので、神楽殿を左回りで進んでみます。
左手には遥拝所がありました。
その先には土俵があり、後ろには信州の銘酒が酒樽で並んでいます。
そのまま進みますと、左の突き当たりには「秋宮二」の御柱です。御柱は、幣拝殿やその奥の宝殿などを囲むように、四本建てられているはずです。
秋宮二の御柱の脇に、末社が三つ並んでいます。左から子安社、賀茂上下社、八坂社です。こちらは後ほど参拝します。
幣拝殿の奥の方には、「秋宮三」の御柱が見えます。
幣拝殿へと進みます。左右に延びているのが片拝殿と呼ばれる社殿です。
幣拝殿に向かって振り返ると、神楽殿がすぐ後ろにあります。幣拝殿と神楽殿の距離がけっこう近いんです。こちらから見る神楽殿も魅力的ですね。
神楽殿を背にして、こちらが諏訪大社、下社秋宮の幣拝殿正面になります。独特の造りで、魅入ってしまう社殿です。迫力もあり荘厳な空気を纏っています。施された彫刻も目を惹きます。
8月の陽射しの中、蝉の声を聞きながら参拝します。彫られている彫刻が見事です。
少し引きの絵でも一枚。幣拝殿と後ろの緑が綺麗です。
参拝を終え、境内を散策してみます。こちらは幣拝殿の右手前にあった「天覧の白樺」と言う白松。大変珍しいもので、国内には三十数本しかないそうです。
幣拝殿の右端に、「秋宮一」の御柱です。
「秋宮一」の御柱は、四本の中で一番大きな柱になります。「一」が一番太く、「四」が一番細いと言う順番になってます。
そして幣拝殿の右側、奥には「秋宮四」の御柱が立っているのが見えます。
四の御柱が見える場所には、三つの境内社がありました。左が皇大神宮社、中央が摂社の若宮社、右が稲荷社です。三つとも参拝します。この後、幣拝殿の左にあった三つの末社にも参拝。
こちらは、幣拝殿の右側を背にして見た神楽殿です。神楽殿はどの位置から見ても絵になります。
幣拝殿も素晴らしかったので、右斜め前からも激写。
さらにもっと引きで見ると、こんな感じです。
こちらは神楽殿を右横から。やっぱり縄がでかいですね。
神楽殿の右手には、祈祷者待合所と書かれた建物。こちらもけっこう古い建物に見えます。
その手前が、御守りなどの授与所になっています。御朱印もここで頂けるかと思ったのですが、御朱印は別の場所でした。
授与所の脇には大きなさざれ石です。
さざれ石の奥には参集殿がありました。
参集殿を下ったところに社務所があり、御朱印をこちらで頂きました。温泉の手水鉢の後ろにあたる場所ですね。
御朱印を頂き、駐車場の方にも行ってみます。独特な形をした石灯篭が並んでいました。御神紋の梶の木がこの奥にもありました。
温泉の手水鉢の前を通り、そちら側の鳥居から再び境内に入ります。
今度は参道の左手に行ってみます。
昭和天皇皇后両陛下の石碑がありました。秋宮に行幸されたんですね。
参道の左手には、下へと続く石段が延びています。その先が宝物殿です。
宝物殿の脇にももう一つ鳥居がありました。こちらからでも境内には入ることができます。
宝物殿も立派です。入ろうかとも思ったのですが、時間の関係で今回は断念。
宝物殿の手前にも二つの祠がありました。一つには秋葉神社と書かれています。参拝します。四隅には小さな御柱が立てられています。奥には大きな木。
再び参道に戻ります。一通り散策しましたので、入口の鳥居より境外へ。
手水舎の後ろにあった池に行ってみます。こちらは千尋池(ちひろいけ)と呼ばれる神池です。
池には三羽の鶴です。かつてこの池から、諏訪大社下社の宝印「売神祝ノ印(めがみほうりのいん)」が発見されたそうです。
千尋池の奥に千尋社です。鳥居をくぐります。
千尋社にも参拝します。こちらも四隅に御柱です。
そして今度は、池の反対側、秋宮入口の鳥居から右手のエリアに行ってみます。少し高い位置に鳥居が並んでいるのが見えます。
石段を上ります。こちらは八幡社です。鳥居をくぐり参拝します。
奥には石碑もありました。この高台は八幡山と呼ばれるエリアのようです。
大きな木が茂っていて、とても静かな森です。
もう一方の鳥居をくぐり、先に進んでみます。
こちらが恵比須社です。建御名方神の父である大國主神と、兄である事代主神が祀られています。参拝します。
恵比須社の奥にももう一つ鳥居があり、そちらからでも八幡山に入ることができます。
一通り散策を終え、秋宮を後にしました。秋宮を背にするとこんな景色になります。写真では見えませんが、この先には諏訪湖があります。
参拝を終えて
夏真っ盛りの8月に訪れた諏訪大社の下社秋宮。
梅雨のように連日雨が降る中で、この日は晴天に恵まれ、気持ち良い参拝ができました。
この記事で諏訪大社を紹介するのは、上社の前宮と本宮に続き今回が三つ目になるのですが、どれも見どころが多くて、ついつい写真の量も多くなってしまいます。整理するのが一苦労です。
秋宮は子供の頃に訪れているはずなのですが、全く記憶がないので、初めて訪れたようなものです。どれも新鮮なものとして目に飛び込んできました。
まず、秋宮に到着し、本来の駐車場ではなく、僕のミスで手前の土産物屋さんの駐車場に停めてしまったのですが。車を停めた目の前に、「専女の欅」と言う大きな木がありまして、これがまた迫力があり、すっかり気に入ってしまいました。
鳥居から参道の景色も緑が濃くて綺麗でしたし、「根入りの杉」をはじめ大きな木がたくさんあり、それだけで心地良かったです。
木々に囲まれている境内では、参道の途中に神楽殿、その奥に幣拝殿があるのですが、どちらも素敵な社殿でした。神楽殿と幣拝殿の位置だったり、幣拝殿の造りだったり、他の神社では見たことがないもので、かなり独特なのではないかと思います。
幣拝殿の彫刻も凄かったですね。
幣拝殿の後ろにはまだ社殿があり、御神木もあるのかと思うと…そちらがどうなっているのか、とても気になるところではあります。森のようになっているのが外からでも見えるのですが、そこが神域なんだろうな~と。囲むように四本の御柱も立っていました。
根入りの杉、狛犬さん、神楽殿、幣拝殿。この一本のラインがやはり一番印象に残った気がします。全体的にとても調和の取れた景色になっていて、色々な角度から楽しませて頂きました。
温泉が出ている手水鉢も、お湯の熱さにびっくりしました。龍の口から温泉が出ているのですが、その龍も特徴的な龍でした。
上社の本宮にも温泉の手水がありましたので、上社、下社に一つずつある形ですね。
他には僕は熱海の湯前神社で温泉の手水を見ていますので、これで三ヶ所目の温泉手水です。意外と温泉地の神社にはあるものなのかもしれないですね。
そして他には、鳥居の外、手水舎の後ろにあった千尋池。
こちらも神秘的な空間になっていました。かつてこの池からは、訪大社下社の宝印である売神祝ノ印と言うのが見つかったそうで、売神祝ノ印がどんな物なのか気になり調べてみると…画像ありました。
(画像出典:www.town.shimosuwa.lg.jp)
どのような経緯で池から見つかったのかはわかりませんが、いったんは失われていたものが発見されたそうです。
入口の鳥居に向かって、左手にはこの千尋池、右手には八幡山があるのですが、どちらもとても静かな場所で、池と森の空気に癒されました。
八幡山には恵比須社がありましたので、もしかしてこちらの御朱印も扱っているのでは?と思い、この後再び社務所に行き尋ねたところ、やはりありました。
秋宮では、秋宮の御朱印と恵比須社の御朱印、二つ扱っているようです。どちらも頂けてよかったです。
宝物殿にも入ろうかな~とは思ったのですが、僕たちはこの日、秋宮の後には春宮、さらには諏訪大社ゆかりの神長官守矢史料館、葛井神社と回る予定でしたので、時間的に諦めました。次回秋宮を訪れた際には、宝物殿にも入ってみようと思います。
諏訪大社下社の秋宮、参拝できて良かったです。
この後は、春宮へと向かいます。
御朱印
こちらが、諏訪大社・下社秋宮の御朱印です。
秋宮では、恵比須社の御朱印も頂くことができます。
御朱印の受付時間
御朱印と御守りを頂ける時間は、9時から16時までです。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は長野県諏訪郡下諏訪町5828です。
諏訪大社の公式サイトはこちらです。
http://suwataisha.or.jp/
電車
JR「下諏訪駅」から徒歩10~15分。タクシーで5分。
循環バスと言うのもあるのですが、下諏訪駅→春宮→秋宮→下諏訪駅と回るバスになっていますので、先に春宮から参拝するルートですと利用できます。
徒歩ですと駅から上り坂を10~15分ですので、やや距離はあるかと思います。
駐車場
入口の鳥居から右手に上り坂があり、その先が広い駐車場になっています。岡谷ICから15分、諏訪ICから20~25分ほどです。
周辺のパワースポット
諏訪大社四社参り
諏訪大社は四つの宮の総称で、秋宮もその一つです。諏訪大社の四社巡りについて、こちらの記事で詳しく紹介しています。