高千穂町の五ヶ所にある祖母嶽神社の参拝レポートです。
読み方は「そぼだけじんじゃ」です。「うばたけさん」としても親しまれています。山幸彦として知られる彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)が暮らしていた宮居跡とも伝えられている神社です。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
高千穂の「祖母嶽神社」へ
海幸彦と山幸彦の兄弟の物語は、日本神話の中でもよく知られたお話の一つですが、その山幸彦さんが実際に暮らしていたかもしれない、そんな場所が残っているとは。
日本神話の里、高千穂ならではですね。
そういう言い伝えがあるというだけで、興奮してしまいます。
4月の中旬、嫁とともに飛行機とレンタカーにて高千穂にやって来ました。この日は曇り空ではありましたが、気温は高めで暖かく、春のポカポカ陽気です。新緑も気持ちがいい季節ですし。
この日の予定としては、熊本方面から高千穂の神社をいくつか回りつつ、高千穂郷の総鎮守である高千穂神社を目指す感じです。初日にしてなかなかの数の神社をピックアップしてしまったので、果たして全部回り切れるのかどうか。
高千穂にてまず最初に訪れたのは、熊野鳴瀧神社です。
熊野鳴瀧神社では、いきなり200段以上ある長い石段と、大きなイチョウとの対面から始まりました。
その景色に圧倒され、身が引き締まるような思いもしましたし、神の里である高千穂の洗礼を受けた気分です。
続いて向かいましたのが、こちらの記事で紹介する祖母嶽神社です。
熊野鳴瀧神社と祖母嶽神社は、同じ県道8号線沿いにありますので、道的には一本で、とってもわかりやすいです。
しかし、祖母嶽神社を目指し車を走らせていますと、景色はどんどん山の中へ。
少々不安になり始めた頃、前方に集落が見えまして、その手前、左手に鳥居が現れました。
熊野鳴瀧神社からは、8~9分くらいだったかと思います。
祖母嶽神社に到着です。
ご由緒
ご祭神は、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)、大日霊女貴命(おおひるめのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)、天津湯彦命(あめつゆひこのみこと)の五柱です。
彦火火出見命は山幸彦として知られる、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子です。豊玉比売命は彦火火出見命の妻。大日霊女貴命は天照大神の別称。菅原道真公は学問の神様。天津湯彦命は天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)で、天照大神の玉から生まれた神々の一柱です。
創建の年代は不明です。
宮崎県と大分県にまたがる祖母山は、神武天皇の祖母である豊玉姫をお祀りしていることに由来し、古くから霊峰として崇敬されてきました。
宮崎県と大分県にまたがる祖母山は、神武天皇の祖母である豊玉姫をお祀りしていることに由来し、古くから霊峰として崇敬されてきました。
神武天皇の船が台風に遭い転覆の危機に陥った際、祖母山を望み海難が去ることを祈念したところ、海が穏やかになったそうです。以来、祖母嶽大明神をお祀りしたといわれています。元は山頂に鎮座されていました。
江戸時代前期の寛文の時代に、延岡領主だった有馬左衛門佑康純公により、再建されたといわれています。
山幸彦として知られる彦火火出見命が暮らしていた宮居跡とも伝えられている神社で、祖母嶽大明神と称されてきました。また、「うばたけさん」として親しまれています。
明治には神原神社と改称されますが、後に現在の祖母嶽神社へと改称されています。
豊玉比売命は愛の神様ともいわれ、親子愛や家内安全の御利益があるといわれています。
境内案内
こちらが祖母嶽神社の入口です。鳥居は銅製でしょうか。鳥居の前には石灯籠と社号碑です。境内の杉の木も目を惹きます。
一礼して鳥居をくぐり境内へ。
右手にご由緒書きです。車はこの後方に停めさせて頂きました。
左手には、ざっくりなご由緒書き。
左手の杉がどれもでかいです。
前方に社殿です。境内は広々しています。
歩を進めますと、左手に社務所がありまして、その向こうにはひときわ大きな杉の木です。木のでかさ、伝わるでしょうか。
大きな杉の近くまで行ってみます。木には注連縄が掛けられていました。御神木です。
杉の大きさに圧倒されます。
社殿の後方にも背の高い杉がたくさん聳えているのが見えます。
境内の右手に手水石。
拝殿へと進みます。
右手には神楽殿です。
参拝させて頂きます。
上には大蛇の彫刻です。龍のようにも見えますが、祖母山に伝わる伝説の大蛇です。
拝殿を振り返りますと、こんな景色です。
こちらは社殿を左斜め前から。
奥まで進みますと、本殿にはいくつかの彫刻が施されているのが見えます。
木鼻には獅子と、象でしょうか、獏でしょうか。
妻飾には龍です。
脇障子は松と滝でしょうか。
社殿をぐるっと一周まわってみます。本殿の後方は杉の森です。
こちらは本殿右側の彫刻。妻飾は波でしょうか、雲でしょうか。
脇障子は、鷲、もしくは鷹ですね。かっこいいです。
右の木鼻も同じく獅子と獏です。
こんなふうに獅子に肉球がある彫刻は、もしかしたら僕は初めて見たかもです。
こちらは社殿側から見た神楽殿。
神楽殿のお隣にも、一つ建物がありました。
最後にもう一度御神木の杉を眺め、祖母嶽神社を後にします。
参拝を終えて
高千穂にて二か所目に訪れた祖母嶽神社。
まず、鳥居の左手に聳える何本もの杉も大きいのですが、境内を進むと見えてくる、社務所の先にある御神木の杉が、めっちゃでかいです。
写真でどこまで伝わるかわかりませんが、とにかくその存在感は圧倒的でした。
最初に訪れた熊野鳴滝神社のイチョウもでかかったですけど、こちらの杉も凄いです。
まだ高千穂に来て二社目ではありますが、おそらく高千穂という地は、巨木が当たり前のように至るところに聳えている場所なのではないかと、そんな予感しかありません。
そして何よりこちらの祖母嶽神社、冒頭でも書かせて頂きましたとおり、なんとあの山幸彦さんが暮らしていた跡地であると、そんな言い伝えもある神社なんですよ。
山幸彦と海幸彦の物語は、浦島太郎の元になったお話といわれていますし、日本神話でも有名なお話かと思います。
ちなみに山幸彦さん(彦火火出見命)は、天孫降臨の瓊瓊杵尊の子であり、日本の初代天皇である神武天皇の祖父です。
そんな山幸彦さんが暮らしていた場所に来られるとは。
もちろんその言い伝えが本当なのかとか、そんなことはわかりません。ただ、そう思うとロマンがあって楽しいですよね。山幸彦さんが暮らしていたのと同じ場所に、今自分がいるんだと思うと、それだけでテンション上がっちゃいますもん。
さらにですが、祖母嶽神社という社名にも由来している、霊山である祖母山は、山幸彦の妻である豊玉姫命をお祀りしている山です。神武天皇が東征の際、山に向かって手を合わせると、祖母である豊玉姫命が現れ、荒れる海を鎮めてくださったことから、山の名も祖母山になったそうです。
こういうあれこれを知りますと、まさに自分が今、神話の里にいるんだな~と実感しまして、嬉しくなります。
すみません、山幸彦さんの話ばかりになってしまいましたが、祖母嶽神社は社殿の彫刻も見どころです。
まず拝殿には、大蛇が彫られた額が掛かっていまして、これがまたかっこいい。龍かと思いきや、祖母山の伝説に登場する、祖母嶽明神の化身である大蛇です。
そして本殿には、龍や鷹の彫刻。
脇障子にも立派なものが彫られていまして、個人的には右の脇障子に彫られていた鷹(もしくは鷲)の彫刻が一番印象に残りました。あとは、木鼻の獅子の肉球ですね。
ゆっくりと彫刻を眺めたり。御神木を眺めたり、杉に囲まれた山の中の境内を、満喫させて頂きました。
彦火火出見命や豊玉姫命がいたかもしれないその場所に、自分が立てたということが、とっても不思議でもあり、感慨深いものがありました。
祖母嶽神社、参拝できてよかったです。
続いては、国道325号に戻り、田原熊野神社へと向かいます。
御朱印
祖母嶽神社の御朱印はありません。
(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は宮崎県西臼杵郡高千穂町五ヶ所1662です。
祖母嶽神社の公式サイトはありません。
駐車場
境内に駐車できるスペースがあります。境内には鳥居の右から車で入れます。
トイレ
ありません。
周辺のパワースポット
高千穂の神社巡り
高千穂の神社マップや神社巡りについては、こちらの記事でまとめてあります。
高千穂町の神社一覧
著者が参拝した高千穂町の神社の一覧です。