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お万榎稲荷神社(渋谷区/千駄ヶ谷)の御朱印と見どころ

お万榎稲荷神社の紹介

渋谷区千駄ヶ谷にあるお万榎稲荷神社の参拝レポートです。

読み方は「おまんえのきいなりじんじゃ」です。紀州徳川家初代・徳川頼宣の生母であるお万の方に縁のある神社で、かつて境内には榎(えのき)の巨木がありました。最寄り駅はJRの千駄ヶ谷駅、副都心線の北参道駅、大江戸線の国立競技場駅になります。

序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。

千駄ヶ谷の「お万榎稲荷神社」へ

訪れたのは12月の中旬です。都内の神社に足を運ぶのは、かなり久しぶり。10月末に日野の若宮神社に行って以来です。

この日は嫁が千駄ヶ谷に行きたいと言い出しまして、それに付き合う形でのお出掛けでした。

近年うちの嫁は、マンホールカードなるものをちょいちょい収集しておりまして、これまでにも何度かお供をして出掛けています。この度も千駄ヶ谷にて、『3月のライオン』のマンホールカードをもらい受けたいと。将棋会館にてカードがもらえるらしいんです。もちろんカードだけではなく、駅の周辺には『3月のライオン』のマンホール自体が6種類もあるとのことで、そちらも写真に収めたいと。

ちなみにですが、『3月のライオン』は将棋を題材にした、アニメ化もされている漫画です。と偉そうに書いてはいますが、僕も嫁も見たことはありません、すいません…。

何はともあれ、そんな流れで千駄ヶ谷へとお出掛けすることになりました。

千駄ヶ谷といえば、鳩森八幡神社があります。大きな富士塚がある神社で、以前に僕も訪れている神社です。

せっかく千駄ヶ谷に行くのですから、鳩森八幡神社にも立ち寄ることにします。さらに周辺に他にも神社がないか事前に調べましたところ、こちらのお万榎稲荷神社と、少し離れますが、青山熊野神社があるのを見つけましたので、その二か所にも行ってみようと。

たった数か所ではありますが、久しぶりに都内での神社巡りもすることに。

そんな感じでざっくりと予定を立て、千駄ヶ谷に降り立ちます。

まずは駅周辺にてマンホールの写真を撮影。全部で6か所、6種類です。

『3月のライオン』のマンホール全6種類

マンホールは全て、千駄ヶ谷大通り商店街という通りの、歩道上にありました。両側にありまして、全部見つけるにはそこそこ遠くまで歩きました。

漫画もアニメも見ていないので、キャラとかも全然わからないんですけど、それでもマンホールを見つけますと、嬉しいものではありますね。

その後、鳩森八幡神社に参拝し、富士塚にも登頂し、境内の向かいにある将棋会館へ。

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無事、中の売店にてマンホールカードを頂きました。僕は特に将棋に詳しいわけではないのですが、売店には色んなグッズが売られていて、ついついじっくりと物色してしまいました。藤井聡太さんのとかもありました。

で、将棋会館を後にして向かったのが、こちらの記事で紹介するお万榎稲荷神社です。

将棋会館からは、歩いて5~6分でした。ですので千駄ヶ谷駅からですと、10分ほどかと思われます。

坂の途中、左手に鳥居を見つけました。

到着です。

 

ご由緒

ご祭神は、社名からの推定になりますが、食物や穀物の神様で、五穀豊穣の神様である宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)です。倉稲魂命とも表記され、稲荷神と同一です。

創建の年代は不明です。

かつて近くの坂の途中には、霊木として信仰され、祀られていた榎の巨木がありました。仙寿院(現在もこの近くにある寺院)を創建したお万の方(紀州徳川家初代、徳川頼宣の生母)がその榎を信仰したことにより、「お万榎」と呼ばれるようになりました。

江戸時代初期に大風により榎は折れてしまいますが、その後に朽ちてできた洞穴が女陰に見えたことから、そういった意味でも知られるようになったそうです。

あるとき四谷の大工が、その根元を自分の女房の女陰をそっくりに加工したところ、女房が婦人病になってしまいました。大工はそれを榎の祟りだと思い、祠を造り榎神社として祀ったところ、女房の病気も治りました。それ以来、婦人病平癒の御利益や、性的信仰、性器崇拝の対象ともなり、榎稲荷として親しまれるようになりました。遊女や女将などからの信仰も篤かったそうです。

榎の巨木があったことから「榎坂」と呼ばれた坂に鎮座していましたが、第二次大戦時の空襲により焼失してしまい、その後に現在の地に再建されました。

 

境内案内

鳩森八幡神社方面より南へと続く坂を下って行きますと、左手に榎稲荷神社の鳥居です。

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鳥居の正面へ。境内は小山になっていて、その上にも鳥居が見えます。鳥居の脇には「江戸名所 榎稲荷」という小さな社号碑で、奥には「江戸名所 お萬榎 榎稲荷」と書かれた、大きな社号碑です。

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鳥居の左手には、石仏です。手を合わせます。

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一礼して鳥居をくぐり境内へ。正面の碑には「榎稲荷大明神」と刻まれていて、その左手には洞窟のような穴があるのが見えます。木の手前には「不老門」と彫られた石の中に、白い達磨さんがいました。

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奥へ進んでみます。洞窟のように見えた場所には、岩が積まれ奥に祠がありました。参拝させて頂きます。

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祠の手前には小さな狛犬さんと、その右には牛、虎、龍が並んでいました。そしてよく見ると狛犬さんの左には、お狐さんの姿も。

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祠に向かって左に、山の上へと石段が延びています。

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石段を上がろうとしたところ、鳥居横の石仏の手前に、小さな二宮金次郎さんを発見。先ほどは気付きませんでした。

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石段の上り口、右下にも石仏です。

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山の上へと登って行きますと、社殿が見えてきます。その手前にはお狐さん。上はちょっとしたお庭のようにもなっています。

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参道を進みます。社殿に行くには、石鳥居の右手まで進み、ぐるっと回って鳥居をくぐる形になります。

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左手には、木の陰になっていて全貌は見えませんでしたが、狛犬さん、もしくはお狐さんらしき像も。

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社殿の手前には、大ライオンと小ライオンが載ってます。

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ぐるっと回り込み、二の鳥居の正面へ。ここでようやく正面からの社殿を見ることができます。

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右にあった石碑には、ご由緒が書かれていました。この碑は仙寿院と隣接する瑞円寺によって、昭和25年に建てられたものになります。瑞円寺は、かつてお万の方の甥が住職を務めていたそうです。

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右に見えるのが、瑞円寺の建物かと思われます。その向こうには、新国立競技場も見えます。

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一礼して二の鳥居をくぐり、社殿の前へ。左右にはお狐さん。社殿の右にはお地蔵さんの姿も。参拝させて頂きます。

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参拝を終え、山を下りようとしたところ、寿老人、もしくは福禄寿さんと思われる像も発見。どっちでもなかったらすみません…。

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下山をし、お万榎稲荷神社を後にします。

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参拝を終えて

久しぶりとなる都内の神社記事にて、だいぶ珍名所的なところを取り上げてしまいました。

社名の元となった今はなき榎は、かつてはかなり知られた榎だったようでして、「千駄ヶ谷の例の榎」と言っただけで、誰もがにやっと笑ったそうです。そういう意味で、まさに名所だったわけですね。

それだけ有名だった例の榎を、できれば目にしたかったですね。どれほど似ているのかと…笑。

残念ながら空襲により榎は焼失してしまったとのころで、当時の境内の様子なども含め、今となっては想像が及びません。場所も移転してしまっていますし。戦前の写真などないかとネットで探してみたのですが、一切見つからなかったです。

現在の境内は、神仏習合の要素も色濃く、寺院に勧請された稲荷のような、そんな雰囲気もありました。おそらく縁のある仙寿院と瑞円寺が、創建や遷座にも関わりがあるかではないかと思われます。

よく見ると石仏がいらっしゃったり、ライオンがいたり、二宮金次郎さんもいたり。

鳥居を入った奥、岩に囲まれた祠も、とっても雰囲気がありました。

小さな神社でしたが、山の上も気持ち良かったですし、庭園のようで手入れも行き届いていましたし、素敵な場所でした。あとは榎さえ残っていれば…。

そしておそらくこちらの神社の言い伝えを知った方は、誰もが少なからず考えてしまうことだと思うのですが…女陰に似た榎で有名で、神社名に「お万」って…と。

もちろん僕もそう思ってしまった一人ではあります。しかしご由緒のところでも書きましたとおり、こちらは紀州徳川家初代である川頼宣の生母「お万の方」に因んだ社名です。

榎とお万の方が結びついてしまったのは、完全な偶然ってことですね。

さらにですがなんと、かつて榎稲荷が鎮座していた榎坂の途中には、オマーン大使館があったそうです。笑

これだけ揃いますと、むしろその巡り合わせに神秘的なものすら感じてしまいます。

残念ながらオマーン大使館は、平成21年に広尾に移転してしまったそうです。

榎も残っていてオマーン大使館も移転していなければ、今頃はもしかして、東京の珍スポットとしてかなり有名になっていたかもしれないですね。

すみません、どうしてもじゃっかん下ネタな記事になってしまいましたが、お許しを。

たまにはこういう珍名所的な神社を訪ねてみるのも、面白いものですね。

お万榎稲荷神社、参拝できてよかったです。

続いては、もう少し南にある、青山熊野神社へと向かいます。

 

御朱印

お万榎稲荷神社の御朱印はありません。

(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)

 

アクセス

住所は東京都渋谷区千駄ヶ谷2-29です。

お万榎稲荷神社の公式サイトはありません。

 

電車

副都心線「北参道駅」から徒歩7~8分。

2番出口からが最短です。

大江戸線「国立競技場駅」から徒歩8~9分。

「A2」出口、または「A4」出口からが同距離くらいです。

JR中央・総武線「千駄ヶ谷駅」から徒歩10~11分。

駅を背にして東京体育館脇の道を真っ直ぐ進み、鳩森八幡神社の入口を左折です。少し歩いた坂の途中、左手です。

その他、銀座線の外苑前駅、JRの原宿駅からも、徒歩20分前後で行ける距離かと思われます。

 

駐車場

参拝者用の駐車場はありません。ごく短時間でしたら、神社前の道路に路駐も可能かと思われます。また、すぐ近くにはコインパーキングもあります。

 

周辺のパワースポット

 

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