松本市にある長野縣護國神社の参拝レポートです。
読み方は「ながのけんごこくじんじゃ」です。長野県出身の英霊をお祀りしている神社で、戊辰戦争から大東亜戦争までの国難に殉じた戦没者がお祀りされています。「長野県護国神社」とも表記されます。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
長野の英霊を祀る「長野県護国神社」へ
僕は生まれも育ちも長野県でありながら、これまで長野県の護国神社に参拝したことがありませんでした。お恥ずかしい限りです。
東京在住ということもありまして、靖国神社には何度となく参拝させて頂いておりますが、全国にはそれぞれの都道府県の英霊をお祀りした護国神社がありまして(一部ない地域もあります)、これまでに足を運べたのはほんの数か所。
いつか全国の護国神社に参拝させて頂きたいとは思っております。
しかしまず、自分が生まれ育った長野県の護国神社には、行っておかねば。
そんな想いもありまして、この度松本を訪れるということで、神社巡りのスケージュールに護国神社もがっつりと組み込むことに。もちろん嫁も快諾です。
季節は夏から秋へと変わる9月の終わり。
夏にコロナに感染して、お盆に帰省ができなかったため、秋に帰省することに。僕の実家は松本からは特急で30分ほどの茅野というところで、せっかくなのでたまにはちょいと足を延ばし、松本まで行ってみようかという流れです。で、神社巡りをしようと。
松本で一泊し、その後実家に帰省するという、帰省とプチ旅行の合わせ技という、初めての試みです。
まず初日に東京から松本まで直行し、松本城、松本神社、四柱神社、深志神社、松本市美術館と、観光名所と神社巡りをどちらも楽しみます。
夜は居酒屋で乾杯し、そのまま駅近くのビジネスホテルで爆睡。
そして翌日、朝イチで護國神社へと向かいます。
前日に巡った神社は、どこも松本駅や松本城の周辺だったのですが、護国神社は少々駅からは離れますので、バスにて向かうことに。
松本駅のバスターミナルより乗車し、揺られること20分弱。
「追分」というバス停を降りますと、目の前が長野県護國神社でした。
到着です。
ご由緒
ご祭神は、戊辰戦争から大東亜戦争までの国難に殉じた、長野県の出身者です。
創建は昭和13年です。
明治に建立された招魂社が前身となり、昭和13年に長野県招魂社として仮社殿が創建されました。昭和14年に現在の長野縣護國神社へと改称されています。
昭和17年には現在の社殿が竣工されます。
大東亜戦争後には、軍国主義施設と見なされることを避けるため、一時的に美須々之宮へと改称されますが、その後再び長野縣護國神社へと戻されます。
平成29年には二の鳥居、平成30年には東側の脇鳥居が、それぞれ台風により倒壊してしまいますが、再建されています。二の鳥居の再建は、クラウドファンディングにより資金が集められました。
一万坪あまりの境内は「美須々(みすず)の森」と呼ばれ親しまれ、憩いの場ともなっています。
境内案内
こちらが長野縣護國神社への入口。
鳥居の前へ。境内は森のようになっています。
一礼して鳥居をくぐります。広々とした参道と、左手には石碑。
石碑には「嗚呼戦友」の文字。こちらはニューギニア方面での戦没者慰霊碑になります。
参道を進みます。
少し歩きますと、前方に二の鳥居と社殿の姿。
右手に「拓友之碑」です。ソ連軍の捕虜となり、過酷な重労働で亡くなった、満蒙開拓青少年義勇軍の碑です。
森の中の参道を抜けると、景色はいっきに開けます。美しい。
右にトイレと、その先にも建物が一つ。
左には手水舎と、結婚式などの控室になっている建物。
ここからの景色があまりにも綺麗で、見惚れてしまいます。左右の松も美しい。
右手、トイレの前は駐車場になっています。
鳥居の右手前にご由緒書き。
左手の手水舎でお清めを。
二の鳥居へと進みます。鳥居の柱には榊。
鳥居の両脇には狛犬さんです。こちらが左の狛犬さん。
こちらが右の狛犬さん。
それぞれの狛犬さんの手前には、白い石灯籠。どちらにも鹿が彫られています。
一礼して二の鳥居をくぐります。
ここからの景色も素晴らしい。空が広いです。
左手が社務所&授与所です。
反対側、右はこんな感じで緑が多いです。
参道を進みます。社殿の後ろにも大きな木々が見えます。
左右には回廊。左には干支の虎が描かれた大絵馬も見えます。
こちらは右側。緑の多い気持ちいい境内です。
拝殿へと進み、参拝させて頂きます。
少し脇にずれますと、拝殿からは奥の本殿も見えます。
回廊には太鼓も。
拝殿を振り返りますと、こんな景色です。
こちらは社殿を左斜め前から。
大絵馬の真ん前まで行けましたので、間近で拝見。なかなかの迫力です。近くにある美須々ケ丘高校の美術部により制作された大絵馬とのこと。
こちらは拝殿を右斜め前から。
右からも本殿を。
授与所にて御朱印を頂きます。
境内を散策。二の鳥居の右手にも小路が延びていましたので、行ってみます。その先にある建物は斎館です。
途中にはさざれ石。
斎館の脇を抜けた先には、「あゝ特攻」と書かれた特攻勇士之像。百六十余名の長野県出身者が、特攻隊員として戦死されているとの説明書きも。
特攻勇士之像の先に、東参道の鳥居です。
今度は反対側、境内の左手へ。二の鳥居よりも入口寄りです。こちらには平和の像。
平和の像よりさらに入口寄りに、美須々という結婚式の写真撮影などで使われる建物です。脇には石碑も。
美須々の前は石庭になってました。
散策を終え、長野縣護國神社を後にします。
参拝を終えて
ようやく長野県出身の英霊にご挨拶をすることができ、清々しい気持ちになれました。
前日は雲が多い天気だったのですが、この日は一部雲はあるものの、綺麗な青空。
入口の鳥居から森の参道を抜け、その先に開けた美しい境内を目にした瞬間は、思わず感嘆の声が出てしまいました。
青空の広がる美しい境内の景色が、長野縣護國神社にて一番強く印象に残っています。
他の参拝者の方もほとんどいらっしゃらず、人の気配もありませんでしたので、異世界に来てしまったかのような、そんな美しい景色を独占させて頂きました。
境内は「美須々の森」と呼ばれ親しまれているとのことですが、二の鳥居の先、開けて空の広い景色と、周囲の森の緑との調和がまた美しくて。ずっとそこにいたくなるような、そんな空間でした。
拝殿の手前には、地元の高校の美術部が描いた大絵馬がありまして、そちらも素晴らしかったです。
境内には碑も多く、それぞれの前で手も合させて頂きました。
靖国や護国神社に参拝するたびに、大勢の方が命を懸けてこの国を守ろうとしてくださったんだと、そのことを思い出さずにはいられません。
そして、英霊に恥じぬように生きなければと。
身が引き締まる思いです。
そんな想いのまま、御朱印を頂くため授与所へと向かったところ、様々な種類の御朱印が用意されていまして、なんとも可愛らしいものもいくつかあり、気持ちも緩みます。
コラボ御朱印などもありまして、迷った末に通常の御朱印の他に、二つだけ選び頂くことに。
そうしましたところ、こんな可愛らしおまけが。
クリアファイルは、チャリティーの御朱印についてくるみたいです。常にかどうかはわかりませんので、授与所にて聞いてみてくださいませ。
松本にて前日には三社、この日は護国神社の一社、全部で四社に参拝させて頂きましたが、どこも素敵な神社でして、いい神社巡りができました。
長野縣護國神社のみ、駅からは少し遠いのですが、松本で神社巡りをされる方には、是非とも足を延ばして欲しい神社です。
参拝できてよかった。
護国神社を後にした僕たちは、帰り道で松本城近くにある、小松パン店というパン屋さんで牛乳パンを買い求めます。人気のある牛乳パンで、一度食べてみたいと思ってたんです。今は予約しないと買えないので、数日前に予約しておきました。
さらには竹風堂というところで実家への手土産に栗おこわを買い求め、松本駅へ。
で、松本駅近くでラーメンを食べ、実家の茅野へと向かいます。
帰省の足で決行した松本へのプチ旅行、とっても楽しかったです。こういう旅もたまにはいいもんですね。
またどこかで計画してみようと思います。今度は山梨辺りにしようかと。
御朱印
こちらが長野縣護國神社の御朱印です。
こちらは金御朱印。
こちらはチャリティー御朱印です。
上記の他、長野縣護國神社には、各月限定の御朱印や季節限定の御朱印などがございます。詳細は公式サイト内の御朱印・授与品ページをご覧ください。
御朱印の受付時間
御朱印と御守りを頂ける時間は、9時から17時までです。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は長野県松本市美須々6-1です。
長野縣護國神社の公式サイトはこちらです。
https://naganogokoku.jp/
電車
各線「松本駅」からバスorタクシーで約13分。
バスですと、お城口(東口)を出て、駅を背にして右手前方にあるバスターミナルの1番乗り場より「信大横田循環線」に乗車し、「追分」バス停下車です。
駐車場
一の鳥居の前、二の鳥居の手前の二か所に、参拝者用の駐車場があります。
トイレ
二の鳥居の脇にあります。
周辺のパワースポット
松本市の神社一覧
著者が参拝した松本市の神社の一覧です。