江東区の永代にある紀文稲荷神社の参拝レポートです。
読み方は「きぶんいなりじんじゃ」です。江戸時代の豪商だった紀国屋文左衛門により創建された神社です。紀国屋文左衛門は巨万の財を築いた材木商で、紀州から江戸にミカンを運んだ人物でもあります。最寄駅は門前仲町駅ですが、越中島駅や清澄白河駅からも徒歩圏内です。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
門前仲町の「紀文稲荷神社」へ
紀文稲荷神社には、6月の中旬、梅雨の合間に訪れました。
同じく門前仲町にある富岡八幡宮に、東京十社巡りの御朱印を頂くため朝から参拝し、その足で近くにあった深川不動堂にも参拝。
どちらもとても素敵な神社、お寺でして、見どころも満載で、ついつい長居をしてしまいました。
僕は普段この辺りを訪れる機会がなかなかりません。門前仲町駅と言うのも、長年東京に住んでいながら、おそらく下車したのは今回が初めてです。今後頻繁に訪れる予定もありませんので、この機会にせっかくなので、周辺の神社巡りもしたいところです。
地図で確認しましたところ、この辺りにはたくさんの稲荷があるのを発見。江東区は稲荷神社が多いんですね。
できる限りたくさんの稲荷を回ってみたいところではありましたが、富岡八幡宮と深川不動堂でかなり長居をしてしまったため、地図上で見つけた全部の稲荷はとても回り切れません。
ですので門前仲町駅周辺の神社に絞り、時間の許す限り回ってみることにしたんです。
深川不動堂から、黒船稲荷神社、於芳稲荷神社、永代出世稲荷神社と三つの稲荷に参拝し、次に向かったのが、こちらの紀文稲荷神社です。
これだけの稲荷を連続して回るのも、なかなかないですからね。思わぬ形での稲荷巡りになってます。
先の三つの稲荷は比較的近い距離にあったのですが、紀文稲荷神社はやや徒歩ですと距離がありそうです。しかしここはおもいきって行ってみることに。既に陽が傾き始めていましたので、紀文稲荷を最後にこの日の神社巡りは終わりにする予定です。
嫁と二人、早足で地図を見つつ紀文稲荷神社を目指します。
そして永代出世稲荷神社からは10分ほどだったでしょうか。
永代通りと言う大きな通り沿いを歩き、途中橋を渡り、右に折れて川沿いを歩いていますと…
緑が茂る一角に、神社が見えてきました。
無事、紀文稲荷神社に到着です。
ご由緒
ご祭神は、穀物や食物の神様である宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)です。倉稲魂命とも表記され、稲荷神と同一です。
創建は江戸時代中期の元禄年間です。当時の豪商、紀国屋文左衛門が京都の伏見稲荷神社より分霊を勧請し創建したのが始まりです。紀国屋文左衛門は、材木商として巨万の財を築き、紀州からミカンを江戸に運んだ人物でもあります。社名の「紀文」は、紀国屋文左衛門を略した通称です。この辺りに紀国屋文左衛門の船蔵があり、航海の安全と商売の繁盛を願って祀られました。
その後、この付近一帯は荒れ果ててしまい、紀文稲荷も荒れたまま放置されていましたが、昭和初期にこの辺りに疫病が流行した際に、放置されたお稲荷様を祀れば疫病は治まるとのご神示があり、荒れ果てた祠が発見され、現在の社殿が建立されました。そうしたところ、疫病は平癒したそうです。
再建の際に、富士浅間神社の御霊を拝受して、浅間神社と龍神様も祀られるようになりました。
元の境内は現在地より少し奥まった場所にありましたが、昭和62年に現在の地に遷座しています。
境内には名前の刻まれた力石が多くありますが、これは付近にあった米問屋や肥料問屋などで働く力自慢の男達が持ち上げた石に、自分の名前を刻んだものだそうです。
境内案内
川沿いの道を歩いて行きますと、緑が茂る一角に、赤い鳥居らしきものが見えてきます。
紀文稲荷神社に到着です。鳥居が三つ連なっています。鳥居は赤ではなくオレンジ色っぽいですね。奥に祠も見えます。
一礼して鳥居をくぐり、境内に進みます。
左手には柑橘系の実が成っている大きな木がありました。蜜柑の木でしょうか。
二つ目の鳥居をくぐった左手に手水舎です。水が出ませんでしたので、手をはたいてお清めをします。
祠の左手には、紀文稲荷神社のご由緒。
ご由緒の手前には、かなり古いものではないかと思われる石灯篭がありました。
祠へと進みます。
祠の前には一対のお狐さんです。こちらが左のお狐さん。
こちらが右のお狐さん。どちらも少し怖い顔をしていますね。
参拝します。とても静かです。
祠の左奥には木が何本か茂っていて、緑が心地良いです。その奥には大きなビルがあるのですが、このビルの建設時に、紀文稲荷は現在の場所に移転したようです。
祠を背にして入口を見ますと、こんな景色です。
祠に向かって右手が少し広くなっていますので、そちらにも行ってみます。
紀文稲荷の祠の右隣りに、境内社である富士浅間神社です。こちらにも参拝します。
さらにその右に、龍神様が祀られています。こちらにも参拝。
龍神様を背にしますと、力石が並んでいるのが見えます。かつで米問屋や肥料問屋で働いていた男達が持ち上げたと言われている石です。
一通り境内を散策し、紀文稲荷神社を後にしました。
参拝を終えて
紀文稲荷神社は、とても静かな神社でした。
境内だけでなく、その周囲にも人の気配がなく、いるのは僕と嫁だけ。ひっそりとした空気の中、参拝させて頂きました。
境内も広くはないのですが、木が何本も茂っていて、遠目に見ますとちょっとした森のようになっています。静かで落ち着く場所でした。
入口にミカンらしき実が成っている木があったのですが、紀文稲荷神社を創建した紀国屋文左衛門は、紀州から江戸に蜜柑を運んだ人物だそうですので、もしかしたらそれに因んだものなのかもしれません。
近くには隅田川が流れていて、元々は航海の安全と商売繁盛を願って創建された神社とのことで、きっと当時は船乗りたちが参拝した神社なんだろうな~と。
その後一時期は荒れ果ててしまったことがあるそうですが、こうして再建され維持されていますので、僕たちも今回訪れることができました。
紀文稲荷神社、富士浅間神社、龍神様、どれも時間を掛けてお参りさせて頂きました。
ここに龍神様が祀られていることも訪れて初めて知りました。僕も嫁も辰年の生まれでして、龍神様にはいつも勝手に親近感を抱いてしまっているんです。なので龍神様が祀られている神社には率先して行くようにしているんですけどね。偶然こうして出会えて良かったです。
境内には力石も並んでいて、かつてはここで力比べが行われていたんだと思います。石には持ち上げた人の名前が刻まれているのですが、きっとみんなマッチョだったんでしょうね。
当時の光景とか見てみたくなってしまいます。
また、祠を護っているお狐さんが怖い顔をしていて、近付き難い雰囲気だったのも印象に残りました。
たまに怖い顔のお狐さん、いますからね。
そんなお狐さんの横を通る時って、いつも緊張感を持ってしまいます。見られてるな~と。
きっと悪いものが近付かないように、怖い顔で護っているんだと思います。
少し足を延ばして訪れた紀文稲荷神社。
参拝できて良かったです。
この後僕たちは、帰路に就くべく門前仲町駅を目指したのですが、途中で於三稲荷と言う、民家の中にあるお稲荷さんを見つけてしまい、そちらに立ち寄ることに。
なかなかすぐには帰れません。
御朱印
紀文稲荷神社では御朱印は扱っていません。
(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は東京都江東区永代1-14-14です。
紀文稲荷神社の公式サイトはありません。
電車
①東西線 / 大江戸線 「門前仲町駅」から徒歩10~15分。3番出口からが近いです。
②JR京葉線 「越中島駅」から徒歩15~20分。1番出口からです。
③半蔵門線 / 大江戸線 「清澄白河駅」から徒歩15~20分。
駐車場
参拝者用の駐車場はありません。短時間でしたら神社前の道路に、ご迷惑にならぬ範囲で路駐しても問題ないかとは思います。近くにはコインパーキングもあります。
周辺のパワースポット
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