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神倉神社(新宮市)の御朱印と見どころ

神倉神社の紹介

和歌山県の新宮市にある神倉神社の参拝レポートです。

読み方は「かみくらじんじゃ」です。「かんのくらじんじゃ」と称されることもあるようです。熊野速玉大社の摂社で、熊野大神が最初に降臨されたといわれる地に鎮座しています。天ノ磐盾(あまのいわたて)という険しい崖の上にあり、538段の急な石段を上がらないと辿り着けない神社で、上には御神体のゴトビキ岩があります。

序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。

ゴトビキ岩のある「神倉神社」へ

嫁と二人、熊野の神社巡りに出掛けてきまして、神倉神社はその3日目の朝に訪れた神社です。

今回の旅の一番の目的は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山への参拝ではありましたが、せっかくなら周辺の神社にも立ち寄りたいと考えてしまうもの。

その筆頭が、こちらの記事で紹介する神倉神社になります。

神倉神社の御神体である大きなゴトビキ岩は、神社が好きな方でしたら、一度は何かで目にしたことがあるかもしれません。僕も嫁も写真で目にしておりました。そしていつか行ってみたい、この目で見てみたいと思っていた場所の一つです。

で、このたび熊野三山への旅を決めてから色々下調べをしていたところ、神倉神社が熊野速玉大社のすぐ近くであることがわかります。摂社であることも初めて知ることに。

これはもう、行くしかないです。

しかし一つだけ問題が。

僕は神倉神社といえばゴトビキ岩しか知らなかったのですが、どうやらとっても「ヤバい石段」を上がらなければいかんと。

何が怖いかと言いますと、この熊野旅行の少し前、嫁がヘルニアを発症してしてしまいまして、なかなかの腰痛を抱えていたんです。ゆえに、果たしてそれで登れるのか?と。

事前に動画でも見てみたのですが、石段は本当に急でして、コケたらただでは済まないやつです。

行きたい気持ちと無理をしてはいけない気持ちのせめぎ合いですね。

で、嫁と協議の上、当日の朝に腰の具合と相談し、判断することにしました。

僕たちはこの前日も、奈良の山奥にある玉置神社に参拝しておりまして、そちらでもほぼ登山ともいえる山歩きをしてきています。嫁は腰痛と闘いつつ、トレッキングポールを駆使し、なんとか歩いてきました。ですので神倉神社も、ゆっくり上ればなんとかなるんじゃないかと、前向きな方向ではいましたけれど。

そして迎えた当日の朝。

これで天気が雨だったら躊躇したと思うのですが、幸いにも晴れです。嫁もなんとか行けそうとのことなので、神倉神社への参拝を決行することに。

僕たちは前日に新宮市に入り、速玉大社にも参拝しています。その後は新宮市内に宿泊しましたので、この日もホテルを出発し、神倉神社までは車ですぐでした。

駐車場に車を停め、向かいます。

 

ご由緒

ご祭神は、天照大神(あまてらあすおおみかみ)高倉下命(たかくらじのみこと)です。

天照大神は、日本国民の総氏神で皇室の祖神です。高倉下命は尾張連(おわりのむらじ)の遠祖で、神武天皇に霊剣布都御魂をもたらし危機を救った神様です。

創建の年代は不明です。128年(景行天皇58年)頃ともいわれていますが、神話時代まで遡る古くからの伝承があります。熊野大神が初めて地上に降臨した地ともいわれています。

「ゴトビキ岩」という巨岩が御神体として祀られています。「ゴトビキ」は熊野方言で「ヒキガエル」を意味していて、岩の形がカエルに似ていることに由来しています。

景行天皇の御代、まだ社殿がなかった頃に、新しい社殿を麓に建て祀ったのが熊野速玉大社で、大社の新宮に対し神倉神社は元宮と称されます。

平安時代には修験者が神倉山に集うように。

鎌倉時代以降は、火災による焼失や動乱による荒廃などに見舞われますが、その都度再興されます。

かつては境内に末社や地蔵堂などもありましたが、明治3年の台風で倒壊し荒廃し、一度は熊野速玉大社に合祀されますが、大正から昭和にかけて再建されます。現在は熊野速玉大社の摂社となっています。

神倉山の中腹、天ノ磐盾(あまのいわたて)という崖の上に鎮座していて、源頼朝の寄進ともいわれる538段の急峻な石段が続いています。

例大祭である「お灯祭(おとうまつり)」では、松明を持った上り子が急峻な石段を駆け下ります。

熊野三山の一部であり、平成16年にユネスコの世界遺産に登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つでもあります。

 

境内案内

神倉神社は、前方の神倉山に鎮座しています。左に見える白い鳥居の神社は、出雲大社新宮教会です。右にトイレがあります。

 

こちらが入口の太鼓橋。右手前には下馬の標石。

 

太鼓橋の途中、右手に世界遺産の碑です。

 

太鼓橋を渡り、正面に見える赤い鳥居は境内社の猿田彦神社と神倉三宝荒神社(かみくらさんぽうこうじんしゃ)です。鳥居の左手前にご由緒書き、右手前にはマムシ注意の看板です。

 

右に社務所がありますが、こちらは基本的にはご不在のようです。

 

反対、左手の先が、噂の石段。

 

参拝は後ほどにしますが、猿田彦神社と神倉三宝荒神社にもちょっと寄り道してみます。手前には手水舎も。猿田彦神社は猿田彦命、神倉三宝荒神社は火産霊神と誉田別命がご祭神です。

 

社殿の後ろには小さな滝が流れていて、水の音に癒されます。

 

参道に戻ります。神武天皇も登られたといわれる天磐盾(あまのいわたて)についての説明書きと、お隣は神武天皇聖蹟碑。その向こうはお燈祭りの碑でしょうか。

 

進みます。じょじょに石段が見えてきます。

 

右に手水舎です。龍がいました。お清めをします。

 

石段へと進みます。鳥居は足のある両部鳥居。ここまで来ますと、石段がどれだけ急なのかがわかります。左手には石碑も。

 

鳥居の足元には石灯籠と、「神倉神社の石段」の碑です。

 

鳥居の正面に立ちます。写真では伝わりづらいかもしれませんが、なかなかの急さです。

神倉神社の石段

 

一礼して鳥居をくぐり、いざ石段へ。登り始めますと、上から手を使って這うように下りて来る方の姿が…。そうなってしまうほど急ということです。

 

登ります。朝だったのですが、けっこう多くの方が訪れています。

 

さっきの四つん這いのおじさんを上からも激写。

 

一歩一歩慎重に登ります。コケたら終わりです。ヘルニアの嫁も頑張って登ってます。

 

形も大きさも異なる石が積み上げられた石段です。

 

急なゾーンを抜けると少し景色が開けていて、右手に境内社です。この境内社の右手が、女坂になっていました。

 

境内社は左が火神社、右が中ノ地蔵堂。

 

石段の段差はだいぶ緩やかになりましたが、まだまだ上へと続いています。

 

登山をしている気分にもなってきます。

 

上へと登るにつれ、さらに段差は緩くなってきます。一番ヤバいのは入口付近ですね。

 

途中、右手には千穂ヶ峰という山への登山口もありました。

 

山の中にいます。

 

ようやく前方に赤い鳥居と玉垣が見えてきました。

 

右手の上は境内社でした。結びの神と八百万の神をお祀りする満山社です。

 

石段を少し上がって満山社へ。参拝は後ほどさせて頂くことに。

 

満山社の石段を下り、二の鳥居へ。

 

一礼して鳥居をくぐると、右の足元に手水鉢です。新宮城の城主だった水野重良が寛永8年に寄進したものとのこと。

 

その先、前方に社殿とゴトビキ岩が見えてきました。

 

社殿の下までは、巨大な岩盤の端を歩くような感じで参道が延びています。

 

正面へ。ずっと来たかった場所に今いることが不思議です。

 

石段を上がる前に、ゴトビキ岩と社殿を色んな角度から。

 

横からも。ここから見た方が、ゴトビキ岩の全体の大きさがわかります。

 

しばし下から眺めた後、石段を登り真下へ。近づくほどに迫力が増してきます。

神倉神社のゴトビキ岩

 

参拝させて頂きます。

 

ここからのゴトビキ岩も凄いです。

 

振り返りますと、新宮市街と海が見えます。気持ちのいい景色。

 

石段を下り、心行くまでゴトビキ岩を眺めた後、来た道を戻って行きますと…どうやら別ルートでもゴトビキ岩に近づけるようでして、歩いている人の姿が見えましたので、それに倣い僕たちも行ってみることに。

 

手水鉢のあった辺りから、斜面になった岩盤を登って行きます。

 

そうしますと、ゴトビキ岩とその手前の岩の間に注連縄が掛けられているのが見えてきました。

 

岩の間まで行ってみますと、奥にももう一つ岩があり、巨岩の結合部のようになっています。玉砂利が敷かれ、榊が供えられていました。

 

岩盤を下り、戻ります。

 

満山社に参拝し、石段を下って行きます。

 

石段という難所があるにも関わらず、多くの参拝者の姿がひっきりなしです。

 

火神社と中ノ地蔵堂にも参拝し、いよいよ一番急な石段へ。この下りが一番怖いです。手を使って登って来るおばちゃんの一団とすれ違い、しばし談笑。

 

一歩一歩慎重に。

 

行きは気付かなかったのですが、    鳥居の手前、左に見える道が女坂です。そちらも何気に険しそうではありますが。

 

無事下まで戻って来ました。猿田彦神社と神倉三宝荒神社にも参拝し、境内を後にします。

 

参拝を終えて

いつかこの目で見たいと思っていたゴトビキ岩を、間近で見ることが叶いました。

神倉神社に限ったことではありませんが、写真や映像でしか見たことがなかった場所に、自分が実際に立っているというのは、なんだか不思議な感覚にもなるものです。

それに、いったいどれくらの時代をまたいで、どれくらいの人がこの巨岩を見てきたのだろう、とかも考えてしまいます。

生で見るゴトビキ岩は、迫力もあり神秘的でもありました。

そんなゴトビキ岩までの道中が、噂通りなかなか凄い石段でして、まずその景色にも圧倒されます。

まずですが、車を停め境内へと向かって歩いていたところ、太鼓橋の手前に一人のおじいちゃんがニコニコしながら座っていたんです。で、少しお話をさせて頂きましたところ、毎日ここまで来て座っているのだと。つまり神倉神社の石段に挑む人たちを、おじいちゃんは毎日そこで見送っているわけです。まるで神倉神社の守り神様とお話をしたような気分にもなってしまいましたし、「行ってらっしゃい」とおじいちゃんに見送られ、気持ち良く出発できました。

石段は、鳥居をくぐってしばらくの、最初の方がかなり怖いです。途中からはだいぶ緩やかになりますので、難所は最初ですね。

僕たち夫婦がいざ上ろうとしたところ、上から後ろ向きで四つん這いで下りて来るおじさんがいまして…余計にその急さを実感してしまいました。あんなふうになってしまうのかと。

過去には石段で転落死亡事故も発生しているようですので、一歩一歩確実に登りました。特にヘルニアで腰を痛めている嫁は、トレッキングポールを使ってですので、より慎重に。

参拝者の姿も多く、たまに外国の方もいらっしゃいましたが、ほとんどが日本人でした。登山のような感じで皆さん挨拶を交わしてくださいますので、そんな気持ち良さもありつつの、石段登りに。

石段は大変ではありますが、楽しみつつ登ることができました。

そんな試練があったからこその、ゴトビキ岩はまた格別です。ようやく辿り着いたという感動も加わりますからね。

真下から見るゴトビキ岩は大迫力でしたし、振り返った景色も気持ちよかったですし、とってもいい時間を過ごすことができました。

何よりも、無事に戻って来れたことが一番ですけど。

太鼓橋の絵も素敵でしたし、猿田彦神社と神倉三宝荒神社の後ろの滝にも癒されました。

帰り道には出雲大社新宮教会にも参拝します。

 

こちらが社殿です。ご祭神は大国主大神。

 

境内には、三柱稲荷神社もお祀りされています。玉置神社の境内社である三柱稲荷神社の分祀です。

こちらも小さな神社ではありましたが、緑も多く静かで心地よい空間になっていました。

太鼓橋の手前には、行きにお話したおじいちゃんがまだ座っていまして、無事に戻ってきましたよ~と声を掛けたところ、ニコニコしておかえりなさいと。おじいちゃんにも癒されました。

熊野旅行の三日目、その最初に訪れた神倉神社。

素晴らしかったです。

参拝できてよかったです。

続いては、新宮市を後にし北上して、熊野市にある産田神社へと向かいます。

 

御朱印

こちらが神倉神社の御朱印です。

神倉神社の御朱印

 

御朱印の受付時間

神倉神社の御朱印は、熊野速玉大社の授与所にて頂くことができます。御朱印を頂ける時間は、8時から17時までです。

(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)

 

アクセス

住所は和歌山県新宮市神倉1-13-8です。

熊野速玉大社の摂社になりますので、熊野速玉神社の公式サイト内に紹介ページがあります。
https://kumanohayatama.jp/?page_id=18

 

駐車場

参拝者用の駐車場があります。第1駐車場と第2駐車場があり、第1には7~8台、第2には12~13台ほど駐車できます。

神倉神社の駐車場

 

電車

JR新宮駅が最寄り駅です。徒歩ですと約15分、バスですと約7分で「神倉神社前」降車です。

 

トイレ

太鼓橋の手前にあります。

神倉神社のトイレ

 

周辺のパワースポット

 

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