港区の麻布台にある飯倉熊野神社の参拝レポートです。
読み方は「いいくらくまのじんじゃ」です。正式名称は熊野神社のみですが、旧飯倉村の鎮守であり、飯倉熊野神社と称されています。港七福神の恵比寿神の神社でもあります。日比谷線の神谷町駅、大江戸線の赤羽橋駅、都営三田線の御成門駅の中間辺りに位置しています。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
麻布台の「飯倉熊野神社」へ
飯倉熊野神社は、この日僕たちが訪れる4ヶ所目の神社になります。
3ヶ所目の西久保八幡神社は、桜田通りという大きな通り沿いにありまして、次に向かう飯倉熊野神社も同じ通り沿いです。地図で確認しますと、西久保八幡からそのまま道沿いに南下すれば到着するみたいなので、迷う心配もなさそうです。
季節は8月の下旬、時間はお昼の少し前、気温はおそらく30度を超えているくらいで、歩き回ると汗だくです。
そんな中、桜田通りを足早に歩き、飯倉熊野神社へと向かいます。
なぜ足早かと言いますと、それは社務所の「お昼休み」にかかってしまうのでは?という懸念が故です。
神社巡りを始めた頃は、そんなこと全く考えたこともなかったんですけどね。
大きな神社でしたら、授与所には常に何人かいて、お昼休みも交代で取っているはずですので、特にこちら側も時間など気にすることはないかと思います。しかしながら小さな神社ですと、その時間に呼び鈴を押してしまうと、おもいっきりお昼休みの邪魔をしてしまうことになりかねないわけです。中には12時台は受け付けてないと明記して出しているところもあります。
そういったことを意識してしまうと、御朱印を頂ける小さな神社には、なるべくお昼休みには行かないようにしようと、自然とそうなります。巡るルートの都合上、どうしてもちょうどお昼どきになってしまう場合には、僕たちもどこかでランチをして、時間をずらして行くことにしています。
もちろん神社によっては、お昼でも普通に対応してくださるところもあるかとは思いますけれど、できることならそこは外した方がベターではないかと。
そしてこれから向かう飯倉熊野神社は、事前に画像など見た限りでは、おそらく小さな神社です。
3ヶ所目の西久保八幡神社を出た時点で、時間は11時45分。あと15分で12時です。
故に、早足に目指すことになった次第です。
この日は全部で5ヶ所の神社を回り、帰路に就く予定でした。ここまで3ヶ所を回り、4ヶ所目が飯倉熊野神社、5ヶ所目がさらに麻布寄りにある狸穴稲荷神社です。
このうち事前に調べたところ、狸穴稲荷神社には御朱印がありませんでしたので、時間を気にする必要はありません。御朱印のある神社で残っているのは、飯倉熊野神社のみです。
そのような状況ですと、できればお昼前に飯倉熊野神社への参拝は終えておきたいところ。そうすると、何かと時間に縛られずに、その後の予定が組みやすくなります。ですのでなんとしても、お昼までには御朱印を頂くというところまで終えておきたいわけです。
桜田通りを早足で歩き出した僕たちは、西久保八幡神社より5分ほどで、下り坂の途中、右手に鳥居を発見します。
時間は11時50分。
飯倉熊野神社に、12時前になんとか到着することができました。
ご由緒
ご祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)の三柱です。
素戔嗚尊は日本神話の神様で、ヤマタノオロチを退治した英雄です。伊弉諾尊は日本神話の男神、伊弉冉尊は日本神話の女神で、二神は夫婦でもあり兄妹でもあり、天照大御神や素戔嗚尊など、多くの子を作った創造神でもあります。
相殿には、塩竈大神(しおがまのおおかみ)、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)、火之加具都知大神(ひのかぐつちのおおかみ)が祀られています。
創建の具体的な年代や経緯はわかっていませんが、奈良時代の前期に芝浦の海辺に勧請され、創建されたのが始まりといわれています。
その後何かしらの理由で現在の地に遷座し、戦国時代には太田道灌により再建されています。
江戸時代までは、熊野権現、熊野宮と称されていましたが、明治維新後に現在の熊野神社へと改称されています。
明治に塩竈大神と三田稲荷神社、平成に愛宕神社と太田稲荷神社を合祀しています。
現在の社殿は、第二次大戦時の焼失後、昭和27年に再建されたものになります。
港七福神の恵比寿神をお祀りしている神社でもあります。
大変古い歴史を持つ神社です。
境内案内
こちらが飯倉熊野神社の入口です。桜田通りという大きな通り沿いです。
石鳥居の先は、参道が少し右斜めに延びていて、その向こうに社殿が見えます。
一礼して鳥居をくぐり境内へ。境内は左右を高いビルに挟まれています。
広くはない境内ですが、木々の緑も。
数段の石段を上りますと、社殿の正面が見えます。
石段を上った右手には、ところどころ欠けてしまっている石像がありました。
左手に授与所です。ビルの一階に社務所が入っている形ですね。
授与所の先に手水舎です。ビルの一部と一体化した手水舎ですね。お清めをします。手水舎には、「敬神生活の網領」と書かれた黒い扇子がありました。
参道に戻り拝殿に向かいます。
拝殿は白を基調とした建物です。白というよりは、少しクリーム色っぽい感じでしょうか。
石段の右手、おみくじの結び所になっている木の奥には、塚のような石。
拝殿へと続く石段を上っていますと、正面のお賽銭箱に、熊野のシンボルである八咫烏(やたがらす)の紋章があるのが目に入ります。
拝殿の正面に立ちます。左右に提げられた提灯にも、八咫烏が描かれています。
参拝させて頂きます。
拝殿を振り返るとこんな景色です。前の道路が桜田通りです。
こちらは社殿を左斜め前から。授与所にて御朱印を頂き、飯倉熊野神社を後にしました。
参拝を終えて
お昼前に、と急ぎ足で到着した飯倉熊野神社。
小さな神社でして境内も広くはありませんでしたので、しっかりと参拝をしてから、無事に御朱印を頂くことができました。間に合いました。
境内は、左右をビルに挟まれています。左は大きなマンションでして、その一階が社務所になっています。手水舎も社務所の先、そのマンションの一部に埋め込まれているような形で、一体化してました。
元々はもっと広い境内を有していたそうですが、飯倉小学校(現在は廃校)の用地になったり、桜田通りの拡張だったりで、削られていき小さくなってしまったみたいです。
かつての境内がどんな感じだったのか、その景色も見てみたかったです。
飯倉熊野神社は、総本社が和歌山県の熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三つの神社の総称)です。
熊野では、八咫烏(やたがらす)という三本足の烏が神に仕える存在とされていて、熊野のシンボルにもなっています。飯倉熊野神社でも、提灯やお賽銭箱にその姿がばっちり刻まれていました。また、御朱印にも八咫烏の印が捺されています。子烏もいて、可愛い御朱印でした。
八咫烏は日本神話において、日本の初代天皇である神武天皇を、熊野国から大和国まで道案内したとされていて、導きの神としても信仰されています。
このたびお賽銭箱や御朱印の八咫烏を改めてじっくり見まして、なぜ八咫烏は三本足なんだ?と今さらながら疑問に思ってしまいました。今までちゃんと調べたこともなかったので、この機会にちゃんと学習しようとググってみたところ、どうやらその理由には諸説あるみたいです。
- 三本の足はそれぞれ、天・地・人を表している。
- かつて熊野地方で勢力を持っていた、榎本氏・宇井氏・藤白鈴木氏の熊野三党の威を表している。
- 古来より太陽を表す数が三とされていてきたことに由来する。
- 中国神話で太陽に棲むといわれている三足烏と融合したため。
ざっくりまとめますと、こんな感じではないかと。
つまり、ちゃんとした理由はわかってないってことですね。きっとこれからも謎のままだとは思いますが、上記の諸説を覚えておこうと思います。
三本足のその姿には、何かしら惹かれるものがありますからね。
境内では八咫烏の他に、手水舎の黒い扇子も目を惹きました。手水舎の扇子というのは、僕はこちらで初めて見ましたね。
参拝を終え御朱印も頂き、境内を後にした僕たちは、神社の反対側のビルの間に、東京タワーが聳えているのを発見します。
行きは足早に神社まっしぐらで歩いていたので、気付かなかったです。
赤と白の素敵なフォルムをしばらく眺め、続いては、麻布寄りにある狸穴稲荷神社へと向かいます。
御朱印
こちらが飯倉熊野神社の御朱印です。
この他に、元日から成人の日までの間のみ、港七福神の恵比寿神の御朱印も頂くことができます。
御朱印の受付時間
御朱印と御守りを頂ける時間は、9時から16時までです。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は東京都港区麻布台2-2-14です。
飯倉熊野神社の公式サイトはありません。
電車
①大江戸線 「赤羽橋駅」から徒歩5分。
赤羽橋口を出て、桜田通りをまっすぐ北(駅から地上に出ると大きな交差点が目の前にありますので、地上に出たままの方向)に進むと、左手にあります。
②日比谷線 「神谷町駅」から徒歩7分。
2番出口を出て、そのまま大きな通り(桜田通り)を右に進み、「飯倉」交差点を渡って少し坂を下った右側です。
その他、御成門駅、芝公園駅、麻布十番駅からも徒歩圏内(10~15分)です。
駐車場
参拝者用の駐車所はありません。近くにコインパーキングがいくつかあります。
周辺のパワースポット
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