稲城市の百村にある普寛神社の参拝レポートです。
読み方は「ふかんじんじゃ」です。木曽御嶽信仰に基づいた御嶽講の神社で、普寛教会、普寛神宮とも称されています。戦時中には徴兵除けの祈祷でも知られていました。最寄り駅は京王線の稲城駅になります。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
稲城にある「普寛神社」へ
季節は4月の中旬です。世の中はまさに新型コロナウィルス一色で、緊急事態宣言も発令された真っ只中。
不要不急の外出は控えるようにとのお達しもあり、僕たち夫婦の趣味でもある神社巡りも、当然そういったくくりの中に入るものではあります。今どうしてもしなきゃいかんものじゃないですからね。
僕は2月に肺の手術を終えたばかりですし、嫁も持病がありますので、コロナウィルスによる重症化のリスクも大きい可能性があり、ずいぶん前からかなりの対策は徹底してはいました。
現在も買い物と散歩以外は一切外出しておりませんし、歯医者や美容院なんかもキャンセルしてしまいました。また、買い物してきたものは全て消毒したりなどもしています。
散歩は運動不足解消のためではありますが、マスク着用ですし、人の多い場所には行きません。
そんな感じで毎日を半引きこもりで送っていました。
しかしです。誰もいない場所に、道中ほぼ人にも会わず行けるのなら、別に出掛けてもいいのではないかと。つまり、自分たちが移される、自分たちが移してしまうという、感染のリスクさえないお出掛けなら、セーフなはずです。
そして僕たちは、そんな条件の揃う、まず誰もいないであろう神社へと、お出掛けしてみることにしました。
手水舎の柄杓とか、参拝時の鈴緒とか、そういうのにも一切手を触れないことにします。公共交通機関も使わない、徒歩でのお出掛けです。
僕たち夫婦は嫁の実家である稲城で引きこもっておりまして、稲城って基本的に人は少ないんです。夜とか歩いてる人もほとんどいないですし。東京とは思えないくらい、田舎なんです。
で、稲城でまだ行ったことがない神社がいくつかありまして、そのうちの一つが、こちらの記事で紹介する普寛神社です。嫁の実家からはおそらく歩いて30分ほどで、少し遠出ではありますが、運動不足解消にはちょうどいいくらいです。
御朱印対応などある神社ですと、人との接触が発生してしまうのですが、こちらの普寛神社は御朱印もありません。また、事前に調べた限りでは、おそらく普段はほぼ人がいないであろうことも推測できます。
そんな流れで、久しぶりの神社参拝に出発です。もちろんマスク着用で。
のんびりと歩いて行き、京王稲城駅を過ぎて5分ちょっとくらいでしょうか、旧鶴川街道の坂の途中にお地蔵さんと祠を発見します。
こちらはとても小さな神社ですが、白山神社でした。お地蔵さんは赤坂地蔵と呼ばれるもので、元は庚申塔だったそうです。背後には竹がぎっしりと茂っていました。
白山神社にお参りさせて頂き、そのまま坂を上って行きますと、景色はどんどん山の中へ。
どこかの観光地に来てしまったような感覚になりつつ、木々の中を進んで行きますと、目的地の普寛神社に到着です。
ご由緒
ご祭神は、天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天照大御神、歴朝皇霊神、天神地祇、国常立尊、大国主命、少名彦命、饒速日命、底筒男命、中筒男命、表筒男命、伊久大神、豊受大神、倭姫大神、以上十八柱の神様です。
創建は明治時代になります。
普寛講(ふかんこう)という木曽御嶽信仰に基づく御嶽講の団体の本部となっていて、開祖は修験者の松浦利平という人物です。松浦は木食普寛(もくじきふかん)と名乗り、修験者として諸国をまわり祈祷など行っていて、それが普寛教の始めとされています。
病気回復や悪疫退散などの他、戦時中には徴兵除けの祈祷でも知られていました。
普寛教会、普寛神宮とも称されています。
境内案内
白山神社から少し坂を上った先、木々の茂る奥が普寛神社です。
春の緑の中を歩くのは気持ちいいです。右手の先に神社らしきものが見えてきました。
神社の手前、右手にも鳥居が見えましたので、まずこちらから行ってみることに。
鳥居をくぐるとその先には、石碑が二つありました。正面は「中教正神垣道入彦命」、右は「神垣道入彦命」と刻まれていました。
鳥居を出て再び歩き始めると、右手に普寛神社の社殿です。
左手に大きな銀杏が聳えていて、思わず見上げてしまいます。
反対側、社殿の手前にも大きな木。何の木かわからなかったのですが、「さわら」と書かれていました。こちらは稲城市の保存樹木にも指定されているようです。
さわらの木をしばし見上げます。
さわらの先に、御祭神が書かれたものがありました。どうやら普寛神社には、たくさんの神様が祀られているようです。
こちらが普寛神社の入口になります。鳥居の前には中央にランプが提げられていました。これは大変珍しい形です。
入口の脇にも石碑が一つ。
一礼して鳥居をくぐり境内へ。鳥居の後ろには左右に灯籠がありました。
左手の灯籠の奥は、少し広くなっていて、そちらにも大きな木が茂っています。
参道を進みます。参道はすぐ右に折れています。
右に折れますと、もうすぐ目の前が社殿です。
右手に手水舎。その左後方に見える木が、先ほどのサワラです。
こちらが手水鉢です。刻まれている神紋は、もしかしたら僕は初めて見るものかもしれません。
社殿へと進みます。障子というのも珍しいのではないかと。
社殿前に進みますと、左手に大きな木がありまして、思わず立ち止まって見上げてしまいました。こちらはカヤの木かと思います。
参拝をしようと前に立ったところ、「二禮四拍手一拝」と書かれていました。「禮」は「礼」の正字らしいです。
二礼四拍手一拝にて、参拝させて頂きます。お賽銭箱や紋幕には、手水鉢と同じものが刻まれています。
こちらは社殿の左手です。奥は森のようになっています。
奥にも背の大きな木が聳えているのが見えました。
こちらは社殿を右斜め前から。やはり障子が目を惹きます。
社殿を振り返ると、こんな景色です。左に折れたところが入口の鳥居です。境内にてしばしのんびりと過ごし、普寛神社を後にしました。
参拝を終えて
コロナで外出自粛が続く中、久しぶりの神社参拝はとても気持ち良かったです。
予定通り、誰にも間近で接することなく、何にも手を触れることなく、家まで帰ることができました。神社やその周辺は僕たち夫婦以外誰一人いませんでしたが、その道中もほぼ人とすれ違うこともありませんでした。
このたび訪れた普寛神社は、少し変わった神社でした。
普寛講という講(団体)の本部となる神社でして、昔からあるものではなく、明治に創設されたもので、いわゆる新興宗教に属するようなものだそうです。木曽御嶽信仰である御嶽講というのは、御嶽神社でよく目にするのですが、普寛講も御嶽講の団体の一つとのこと。
新興宗教といいますと、どうしても怪しいとか、そんな偏見を持ってしまいがちではありますが、そういった類のものではないようです。
稲城というのは、都心へのアクセスが悪くないわりに、ほんとにけっこう田舎です。で、今回も普寛神社の周辺は、おもいっきり田舎の山の中のような感じでして、どこか遠くに旅行に出掛けたような、そんな気分にもなれました。
春ですし新緑の季節ですので、木々の緑が心地よかったです。
境内には大きなサワラの木、カヤの木が聳えていました。どちらもとっても立派でして、存在感が大きかったです。
その他にも木が多く、森の中のようでした。
鳥居の手前にはランプが提げられていまして、僕は神社では初めて見るものでした。
また、二礼二拍手一礼ではなく、二礼四拍手一拝でしたので、そういった点からも、他の神社とは異なるものが多かったかと思います。
社殿は障子の扉で囲まれていまして、どことなく古民家のような、そんな雰囲気もありました。
神紋もおそらく僕は初めて見るものでした。
人の気配が全くなかったので、静かな空間の中、嫁と二人、しばらくのんびりと過ごさせて頂きまして、森の空気に癒されました。
ずっとコロナで引きこもっていましたので、余計に森の空気が清々しく感じられた気がします。
今回のような感じでの外出だったら、人とも会いませんし、何も手を触れませんので、今後も特に問題ないかと思います。ですのでまた近々、神社参拝を検討してみようと思います。
久しぶりの神社巡りで訪れた、稲城の普寛神社。
森の中に静かに鎮座する神社でした。
参拝できてよかったです。
御朱印
普寛神社では御朱印は扱っていません。
(※ご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
アクセス
住所は東京都稲城市百村201です。
普寛神社の公式サイトはありません。
電車
京王線 「稲城駅」から徒歩7~8分。
改札を出たら右、南口を出て、向陽台・公園通りを右に進みます。三沢川を渡ったら左折。少し細い坂(旧鶴川街道)をまっすぐに進んだ先になります。
JR南武線の「稲城長沼駅」からも行くことができすが、徒歩ですと25~30分ほどかかります。
駐車場
参拝者用の駐車場はありませんが、短時間でしたら神社前の道路に駐車可能かと思われます。
周辺のパワースポット
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