藤沢市の江の島にある江島神社・辺津宮の参拝レポートです。
読み方は「えのしまじんじゃ・へつみや」です。江島神社は、奥津宮、中津宮、辺津宮の三宮から成っていて、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)をお祀りする辺津宮は、江の島の玄関口に鎮座しています。下之宮とも称されています。
序文に続き、ご由緒、境内案内、見どころ、御朱印、アクセスの順で紹介していきます。
「江島神社・辺津宮」へ
冒頭でも書かせて頂いたとおり、江島神社は三つの宮の総称になります。三宮はご祭神もそれぞれ違います。
また、奥津宮のさらに先に「岩屋」があり、その洞窟の奥には江島神社発祥の場所となった祠もあります。
ですのでこのブログでは、三の宮と岩屋を合わせた四か所について、それぞれの記事で紹介する形にしようと思います。全部まとめるとかなりボリュームがありますので、分けます。
まず最初に紹介しますのが、辺津宮です。
普通に徒歩で江ノ島を巡る場合は、順路通りに歩いて行きますと、まず最初にこの辺津宮に参拝する形となります。
それとは別に、船で直接岩屋の方に行くルートもあります。
僕はこの日、嫁と二人で朝から江の島を訪れました。
前日には鎌倉を一日掛けて散策し、二日目は江の島を散策、という一泊二日の小旅行です。
鎌倉では、五社の神社を回ってしまい、かなり山の方にも徒歩で行ったため、足にだいぶ負担を掛けてしまいました。
その結果、左膝が思うように動かなくなると言う事態に。
そんなことがありましたので、この日の江の島散策は少々不安だったのですが…。
湿布を貼って一晩休んだせいか、朝起きると膝の調子もだいぶ良さそうです。ですので予定通り江の島へと出掛けます。
徒歩で橋を渡り江の島に上陸すると、まず賑やかな仲見世通りが真っ直ぐに延びています。ここを歩いているだけで、楽しい気分になりテンションも上がります。
仲見世通りの途中には、テレビなどでも度々紹介されている「丸焼きたこせんべい」のお店に既に行列ができています。僕も嫁も、このタコ煎餅にはちょっと興味があったので、帰りに買ってみることにします。
そのまま仲見世通りを進みますと、突き当りに江島神社の鳥居。気持ち的にはそのまま江島神社への参拝に向かいたかったのですが…。
その手前に、左へと向かう別の参道があり、そちらが児玉神社へと続いてるんです。
せっかく江ノ島に来たら、児玉神社にも参拝してから江島神社へと向かいたい。そんな想いがありましたので、まず児玉神社に参拝します。そして参拝を終え、再び江島神社の入口へと戻って来たわけですが…。
児玉神社がけっこう山の上にありまして、石段を上ったり下りたりしたんです。そしたらなんと、昨日の膝の痛みが呆気なく再発してしまい。もう手すり無しでは階段がキツい感じに。
やはり40代のおっさんになると、回復力もそんなに早くはないものですね。身に沁みました。
そして、これから向かう江島神社は、石段やら坂をかなり上ることになることはわかっています。江の島には、「エスカー」というエスカレーターがあるのですが、それは三ヶ所にしかなく、島全体に配置されているわけではありません。しかも上りしかなく、下りがないんですよ。
また、僕の場合は、神社の境内はできるだけ隅々まで散策したいと思ってやって来ていますので、エスカーに乗るとそれができなくなってしまいます。
しかしながら、膝の具合にかなり不安を抱えた僕は、一応エスカーの切符を買ってしまうことに。
そして、膝が持つ限り、行けるところまで行ってみようと。
そんな調子ではありますが…
まずは江島神社で最初の社殿、辺津宮を目指し歩き始めます。
苦難の道が始まります。
江島神社の由緒
江島神社のご祭神は、奥津宮は多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)、中津宮は市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、辺津宮は田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)の三柱です。
三姉妹の女神であり、天照大神と須佐之男命の誓約で生まれた神で、宗像三女神(むなかたさんにょしん)と称されています。
創建は、飛鳥時代よりも前、第29代欽明天皇13年(552年)。欽明天皇の勅命により、江ノ島の洞窟(現在の岩屋)に宮を建てたのが始まりとされています。
平安時代末期の寿永元年には、源頼朝の命により、文覚が岩屋に弁財天を勧請します。それをもって創建ととする説もあります。
その後は戦いの神として武士を中心に信仰が広まりましたが、江戸時代になると、芸能・音楽・知恵・福徳財宝の神として、多くの庶民が参拝するようになりました。江戸時代までは江島弁天や江島明神と称されています。
長く別当が管理し神仏習合の信仰を集めてきましたが、明治元年には廃仏毀釈により仏教施設や仏像などが破壊され、明治6年に現在の江島神社へと改称されています。
明治の初期には神仏分離により、社名も「江島神社」に改められ、ご祭神も改められました。
人気の観光地である江の島内に鎮座し、多くの参拝者が訪れる神社です。
日本三大弁天の一つにも数えられています。
辺津宮のご由緒
辺津宮のご祭神は、田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)です。
創建は鎌倉時代前期の建永元年です。ときの将軍、源実朝により創建されます。
社殿は、江戸時代中期の延宝3年に再建された後、昭和51年の大改修で新築され、現在に至ります。
江の島内の玄関口に鎮座し、三つの宮の中で一番低い場所にあることから、下之宮とも称されています。
隣接する奉安殿(ほうあんでん)という八角のお堂には、八臂弁財天(はっぴべんざいてん)と妙音弁財天(みょうおんべんざいてん)が安置されています。
境内案内
江の島へと続く、江の島大橋を渡ります。ここを歩いているだけで気持ちいいです。
橋を渡り切ると江の島上陸です。入口から賑やかな雰囲気。
こちらは、藤沢市の文化財にも指定されている青銅の鳥居です。江戸時代に再建されたものになります。
一礼して鳥居をくぐります。扁額には「江島大明神」。かなり読むのが難しい字ではありますが。
仲見世通りを進みます。この通りはお店も多くテンションも上がります。途中、タコせんべいの行列もできていました。
仲見世通りの突き当りには、江島神社の大きな朱の鳥居です。ここを左に行くと児玉神社があります。児玉神社に参拝後、再びこの鳥居の前まで戻り、辺津宮へと向かいます。
鳥居の左右には狛犬さん。こちらは左の狛犬さんです。
こちらは右の狛犬さん。どちらもだいぶ古いものに見えます。
一礼して鳥居をくぐります。左手にはエスカー乗り場があります。こちらの写真は、エスカー側から見た境内。
エスカー乗り場の手前には池があり、その上には大きな岩も。
膝がヤバいのですが、エスカーには乗らずに、気合いで石段を進みます。前方の門は瑞心門(ずいしんもん)。
瑞心門をくぐる時に天井を見上げますと、天井画がありました。牡丹のようですね。壁には唐獅子が描かれていました。
瑞心門をくぐると、弁財天の像があります。手を合わせます。
こちらは弁財天から見た石段です。なかなか急です。今の僕は手すりがないと上がれません…。
梵字が刻まれた石碑も。弁財天を意味する「そ」という梵字だそうです。
弁財天の像から、右手にさらに石段が続いています。上ります。
その途中には「福石」。ここで物を拾うと幸運になれるという逸話があるそうです。
さらに上へと続く石段。膝の悲鳴が聞こえてきます。
その先に手水舎です。手水舎があると言うことは、社殿も近いはず。
手水舎には龍がいました。お清めをして先を目指します。
石段の先に社殿の屋根が見えました。あと少し。
石段を上り切ると、目の前には辺津宮の社殿。ようやく最初の社殿に到着です。
社殿の右手には茅の輪がありましたので、こちらをくぐって参拝します。
参拝させて頂きます。
参拝を終え、付近を散策してみます。社殿の左手には御守りや絵馬がありました。
さらに左の先には、弁財天が安置されている奉安殿が見えます。
弁財天にもお参りをするため、奉安殿の方に進んでみます。その途中にも弁財天と書かれた手水鉢がありましたので、お清めをします。こちらも龍がいました。
その奥に龍神様のいる池があり、銭洗い場になっているようです。こちらで小銭を洗い、池の真ん中にあるお賽銭箱に小銭を投げ入れます。僕は一発で入ったのですが、嫁はなかなか入らず苦戦しておりました。
嫁の小銭がなんとかお賽銭箱に入りましたので、奉安殿に行ってみます。外から見ると八角形の建物と周囲の幟が素敵です。
奉安殿は大人200円、中高生100円、子供50円(著者参拝時)で内覧することができます。残念ながら中は撮影禁止ですので、外からだけ撮りました。
奉安殿の中はとても厳かで、独特の空気が流れていました。
一通り散策を終え、社殿の右手にある社務所で御朱印を頂きました。(追記:現在はこちらではなく、拝殿に向かって左手にある授与所にて頂くことができます。頂ける御朱印の種類も増えています。)
参拝を終えて
徒歩で江島神社を巡る場合、順路通り歩きますと、最初に訪れるのがこちらの辺津宮になります。
仲見世通りの先には、エスカーと呼ばれる有料のエスカレーターがありまして、それに乗ると、この辺津宮の社殿がある場所まで石段などを上ることなく行くこともできます。
僕も膝の痛みがかなりひどくなっていましたので、エスカーを使うことも考えはしたのですが…エスカーに乗った場合、瑞心門や福石など、途中にある色々を全て見ずに行くことになります。
それはやはりもったいないと思ってしまうんですよね。僕はいつも神社を訪れた際には、できるだけ隅々まで散策して帰りたい性質なので…。
ですので膝の痛みを我慢して、頑張って石段を上りました。この石段がまた、けっこう長いんですよ。
手すりにつかまりながら上がりました。
今まで僕は、膝が痛い人気持ちをわかってあげることができなかったのですが、自分がその立場になってみて、ようやくその辛さがようやくわかるように。自分がそれだけ歳をとり、おっさんになったと言うことでもあるんですけどね。
膝は辛かったのですが、やはり石段ルートで行きますと、途中にも見どころが色々あって楽しかったです。
上り切って社殿に到着した際の喜びも大きいです。
辺津宮の社殿は、派手さはありませんが、美しい社殿でした。
また、隣接する八角形の奉安殿もまた違った美しい建物でした。中はとても静かで、八臂弁財天と妙音弁財天の二人の弁財天や、十五童子がらっしゃいます。独特の空気が流れている感じでした。天井には大きな龍も描かれていて、そちらもまた印象の残っています。有料ではありますが、ここまで来たら是非中まで入ることをお勧めします。
奉安殿の前には銭洗い場はありまして、そこには白い龍神様がいらっしゃいます。池の中央にお賽銭箱があって、お賽銭を投げ入れるのがちょっと楽しかったりします。僕は一発で入ったんですけどね、嫁は何度投げても入らず、結局5投目にしてようやく入りました。
一通り境内を散策し、社務所で御朱印を頂いたのですが、その際につい御朱印帳も購入してしまいました。江島神社の御朱印帳、初めて見たのですが、かっこいいんですよ。
こちらが江島神社の御朱印帳です。
裏も表もかっこいいんですよね。僕も嫁も龍が好きですので、見た瞬間かっこいい!と思い購入してしまいました。
現在は、上野にある下谷神社の御朱印帳を使っているのですが、それが終わったら、この江島神社のものを使おうと思います。
江島神社の辺津宮と奉安殿。
とても素敵な場所でした。参拝できてよかったです。
続いては、さらに山の上へと続く、江島神社の中津宮(なかつみや)へと向かいます。
御朱印
まずこちらが、江島神社の御朱印になります。右が江島神社、左が弁財天のものになります。
続いてこちらが、2019年5月より授与が開始された、辺津宮の御朱印です。
御朱印の受付時間
御朱印を頂ける場所は、辺津宮の左手にある授与所になります。御朱印と御守りを頂ける時間は、8時半から17時までです。
(※お時間やご対応等変更になる場合もございますので、ご注意ください。)
※江島神社では、頂ける御朱印が複数あります。以下の記事で詳しく紹介していますので、ぜひ参考にしてみてください。
アクセス
住所は神奈川県藤沢市江の島2-3-8です。
江島神社の公式サイトはこちらです。
http://enoshimajinja.or.jp/
電車
①小田急江ノ島線 「片瀬江ノ島駅」から徒歩15~20分。
②江ノ島電鉄 「江ノ島駅」から徒歩20~25分。
江島神社の入口から辺津宮までは5~8分ほどかかります。石段を上るのが厳しい方は、江島神社の入口から「エスカー」という有料のエスカレーターで行くこともできます。辺津宮は最初のエスカーを降りたところにあります。
駐車場
江島神社の駐車場はありませんが、島内にはいくつか駐車場がありますので、そちらから徒歩での移動になります。江島神社の公式サイト内に駐車場案内がありますので、っご確認ください。
周辺のパワースポット
藤沢市の神社一覧
僕が参拝した藤沢市の神社一覧です。
江ノ島神社巡り
江ノ島の神社巡りについては、こちらの記事で全体をまとめてあります。