足立区の初詣のご案内です。区内の各地域ごとに、初詣にお勧めの神社を一覧で紹介しています。
初詣は大きな神社に出掛けるという方も多いとは思いますが、ご自分の住んでいる地域を守ってくださっている神社(氏神さま、産土さま)に参拝することも大切です。
氏神さまに、前年を無事に過ごすことができた感謝をお伝えし、新年のご挨拶と平安の祈願をしましょう。
足立区の神社マップ
それでははじめに、足立区にある神社を地図で一覧にしていますので、参考にして頂ければと思います。
足立区内の比較的大きめな神社のみ掲載しています。
上記が足立区にある全ての神社ではありません。小さな神社や祠など、実際にはさらに多くが存在しています。
また、こちらの記事では一部を除き、基本的には神社のみの紹介で、寺院は紹介しておりませんので、ご了承ください。
次項より、足立区内の神社を、それぞれのエリアごとに、ざっくりな説明と併せて紹介していきます。
北千住の初詣
千住神社
平安時代の前期に創建された千崎稲荷神社と、鎌倉時代の中期に創建された氷川神社が明治に合祀され、西森神社となりました。その後大正になり現在の千住神社と改称されています。千住七福神の恵比寿神も祀られています。境内には「千住宮本富士」と呼ばれる富士塚もあります。北千住駅、千住大橋駅の中間にあります。(足立区千住宮元町24-1)
千住本氷川神社
下総の豪族だった千葉氏により、鎌倉時代の後期に創建された氷川神社が元になっています。明治には荒川の整備のため、近くにあった牛田氷川神社を合祀しています。千住七福神の大黒天も祀られています。最寄駅は北千住駅です。(足立区千住3-22)
河原町稲荷神社
河原町の鎮守です。また、東京都央卸売市場足立市場の鎮守でもあるお稲荷さんです。商売繁盛や出世にもご利益があるとされ、信仰されてきました。千住七福神の福禄寿も祀られています。千住大橋駅が最寄駅になります。(足立区千住河原町10-13)
橋戸稲荷神社
平安時代の前期、もしくは戦国時代の前期に創建されたと考えられています。かつては荒川で江戸に荷物を運ぶ船頭たちの信仰を集めていたそうです。足立区内では唯一、土蔵づくりの本殿を有している神社になります。千住大橋駅の南にあります。(足立区千住橋戸町25)
仲町氷川神社
元々は平安時代から牛田にあった氷川神社が、江戸時代の初期に現在の地に遷され、仲町氷川神社となりました。千住七福神の弁財天や、東都七福神の一つである関屋天満宮も祀られています。北千住駅と千住大橋駅の中間辺りに位置しています。(足立区千住仲町48-2)
大川町氷川神社
鎌倉時代の後期に創建された神社です。千住七福神の布袋尊も祀られています。境内には浅間神社も祀られているため、富士塚もあります。北千住駅、小菅駅が最寄です。(足立区千住大川町12-3)
元宿神社
安土桃山時代、この地が開拓された際に創建された神社になります。明治になり一度は千住四丁目にある氷川神社に合祀されますが、昭和5年に再び分かれ、稲荷神を合祀して現在の形となりました。千住七福神の寿老神も祀られています。北千住駅の北西、荒川沿いに位置しています。(足立区千住元町33-4)
元宿堰稲荷神社
もとじゅくぜき稲荷神社と読みます。江戸時代の中期に創建され、昭和20年には近くにある元宿神社に一度合祀されています。その後和23年に再び分かれ、千住桜木町の鎮守となりました。旧社名は千住四本煙突守護社です。北千住駅が最寄駅です。(足立区千住桜木1-15-5)
白幡八幡神社
しらはたはちまん神社と読みます。平安時代の後期、源義家が奥州征伐に赴いた際に、川の渡し場に白幡(しらはた)を立てて戦勝祈願をしたとされ、その白幡が起源となり祀られた神社です。千住七福神の毘沙門天も祀られています。千住大橋駅の北にあります。(足立区千住宮元町3-8)
千住氷川神社(千住四丁目氷川神社)
すぐ近くに千住本氷川神社があるため、千住四丁目氷川神社とも呼ばれています。江戸時代の中期、長円寺というお寺の境内に創建された神社で、現在もお隣には長円寺があります。最寄駅は北千住駅です。(足立区千住4-31-2)
柳原稲荷神社
柳原神社とも呼ばれています。創建にはいくつかの説があるようですが、徳川家康により、江戸城の鬼門除けとして創建されたともいわれています。そのため、社殿は現在も鬼門である東北の方角を向いています。境内には富士山を模した富士塚もあります。最寄駅は京成関屋駅です。(足立区柳原2-38-1)
綾瀬・北綾瀬・六町の初詣
綾瀬稲荷神社
江戸時代のはじめ、京都の伏見稲荷より御分霊を勧請し創建されました。金子五兵衛という人物が中心になりこの地を開いたため、この辺りは五兵衛新田と呼ばれ、その鎮守だった神社です。それにちなみ「五兵衛さま」とも呼ばれています。綾瀬駅のすぐ北にあります。(足立区綾瀬4-9-9)
綾瀬神社
江戸時代の中期に創建された氷川神社が元になっています。かつてこの地域が伊藤谷村と呼ばれていた頃の鎮守でした。この村にはもう一つ、第六天社が鎮守として鎮座していましたが、昭和48年に氷川神社に合祀され、社名も綾瀬神社になりました。綾瀬駅のすぐ西にあります。(足立区綾瀬1-34-26)
綾瀬北野神社
この地域がかつて普賢寺村と呼ばれていた頃に、元々あった稲荷社、天神社、第六天社、八幡社が合祀され、北野神社となりました。以来、旧普賢寺村の鎮守となり信仰されてきた神社です。綾瀬駅からすぐ東にあります。(足立区綾瀬2-23-14)
蒲原神社
旧蒲原村の鎮守です。「かばら神社」または「かんばら神社」と呼ばれています。北綾瀬駅と亀有駅の中間辺りにあり、どちらの駅からも徒歩で15分ほどです。(足立区東和3-2-13)
長門八幡神社
この地域が長右衛門新田と呼ばれていた頃からの鎮守です。西光院というお寺と隣接していて、西光院が管理をしてきた神社になります。最寄駅は亀有駅になります。(足立区中川3-21-1)
北三谷稲荷神社(田中稲荷神社)
江戸時代中期に創建された神社で、旧北三谷村の鎮守社です。地元では田中稲荷神社と呼ばれ親しまれています。亀有駅が最寄駅です。(足立区東和2-5-24)
中川氷川神社(大谷田氷川神社)
大宮にある氷川神社より勧請され創建された神社です。創建の年代や経緯などは不明です。最寄駅は亀有駅で、中川沿いにあります。(足立区中川5-7-10)
上谷中稲荷神社
安土桃山時代の末期、この地域の新田開発が進んだ際に、その鎮守として創建された神社になります。北綾瀬駅からすぐ、北側にあります。(足立区谷中4-12-11)
下谷中稲荷神社
江戸時代、長左衛門新田の開拓に伴い、その鎮守として創建された神社になります。北綾瀬駅の南側、ちょうど上谷中稲荷神社の反対側に位置しています。(足立区谷中1-12-8)
神明天祖神社
江戸時代には神明社と呼ばれていた神社で、この地域の神明という地名の由来にもなっています。明治以降になり、天祖神社、もしくは神明天祖神社と呼ばれるようになりました。最寄駅は北綾瀬駅です。(足立区神明3-18-20)
柳野稲荷神社
佐野新田の鎮守で、かつては柳稲荷と呼ばれていた神社です。現在は、柳野稲荷神社、もしくは柳野神社と呼ばれています。最寄駅は北綾瀬駅で、中川沿いにあります。(足立区佐野1-14-15)
六町神社
元々は屋敷神として祀られ、三峰さまと呼ばれていた神社です。昭和8年に、近隣にあった竹塚神社と八幡神社を合祀して、現在の六町神社となりました。平成21年に区画整理により移動し、新築されています。六町駅のすぐ東にあります。(足立区六町1-11-21)
赤稲荷神社
近隣にあった星野家という邸宅の屋敷神が、大洪水で現在の地に流れ着き、祀られるようになった神社です。屋根を赤い砥の粉で塗ったことから、赤稲荷と呼ばれるようになりました。最寄駅は六町駅になります。(足立区神明1-1-11)
辰沼稲荷神社
この地域が辰沼新田村と呼ばれていた頃からの鎮守です。現在の足立区神明にある天祖神社のにあった稲荷社から、洪水で流れついたものを祀ったのが始まりともいわれています。最寄駅は六町駅です。(足立区辰沼2-15-7)
加平天祖神社
元々はこの地を開拓した伊藤嘉兵衛という人物の屋敷神だったものを、安土桃山時代に神明社として創建した神社です。以来、この地域の鎮守として信仰されています。最寄駅は北綾瀬駅です。(足立区加平3-5-2)
六木諏訪神社
旧六ツ木村の鎮守です。元々は諏訪塚という小さな塚だったそうです。江戸時代には第六天社と呼ばれていました。明治になり村内にあった高木神社を合祀して、現在の形となりました。最寄駅は八潮駅です。(足立区六木3-26-8)
東稲荷神社
元々は金子家という邸宅のお屋敷内にあった稲荷社が、現在の地に遷されたものといわれています。古くから「東の稲荷」と呼ばれ親しまれていた神社です。八潮駅が最寄駅です。(足立区神明3-30-7)
五反野・青井の初詣
高砂神社
元々は江戸時代後期に、石川勘七家という邸宅に地主稲荷社として創建された稲荷神社です。大正2年に一度遷座した後、昭和26年に現在の地に遷されています。最寄駅は五反野駅、小菅駅です。(足立区足立1-27-17)
二ツ家愛宕神社(青井愛宕神社)
東京東部では唯一の愛宕さまになります。平田家という邸宅の屋敷神だったものが元になっている神社です。青井駅の北西に位置しています。(足立区青井1-16-13)
四ツ家稲荷神社
かつては「西の宮」と呼ばれていた神社です。この地域には西の宮と東の宮があり、現在の四ツ家稲荷神社は、東の宮が西の宮に合祀されたものとなります。最寄駅は青井駅になります。(足立区青井2-15-14)
西加平神社
この地域の新田開発に伴い、創建された神社です。明治には一度、北綾瀬寄りにある現在の加平天祖神社の摂社となりますが、昭和29年に分離し、昭和49年に現在の西加平神社となりました。青井駅と六町駅の中間にあります。(足立区西加平1-1-36)
西之宮稲荷神社
安土桃山時代に京都の伏見稲荷神社より分霊を勧請し、創建されたと考えられている神社です。元々この地域には三つの神社があり、明治と大正にかけてそれらが合祀され、総鎮守となったのが、現在の西之宮稲荷神社です。五反野駅から徒歩すぐです。(足立区足立3-28-14)
一ツ家稲荷神社
江戸時代の初期~中期にかけての創建と考えられている稲荷神社です。現在の本殿は大正時代に千住で建てられ、それを牛が荷車を引いて一ツ家まで運んだそうです。六町駅と青井駅の間にある神社です。(足立区一ッ家4-2-18)
足立氷川神社
この辺りには千住4丁目の飛び地が多く、千住には氷川神社を鎮守とする地域が多かったことなどから、現在の地にも創建されたのではないかと考えられています。五反野駅から徒歩ですぐの場所にあります。(足立区足立4-35-10)
西新井・梅島の初詣
西新井大師
神社ではなく寺院ですが、初詣に多くの人が訪れる有名な寺院ですので、ご紹介させて頂きます。正式名称は西新井大師総持寺で、平安時代の初期に弘法大師が創建したといわれています。こちらの本堂西側に井戸があったことから、西新井という地名ができました。最寄駅は大師前駅になります。(足立区西新井1-15-1)
小右衛門稲荷神社
江戸時代の初期、この地域は、渡辺小右衛門という武士とその仲間により開拓されたため、小右衛門新田と呼ばれていました。小右エ門稲荷神社は、訳あって小右エ門が討った同僚の霊を慰めるため、創建したと伝えられています。境内には小右エ門富士塚と呼ばれる富士塚もあります。梅島駅、西新井駅が最寄駅です。(足立区梅島2-24-23)
島根鷲神社
古代の海岸線に神々の船が着き、現在のご祭神である日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地を祀ったのが始まりとされている神社です。かつては浮島明神とも呼ばれていました。西新井駅と竹ノ塚駅の中間に位置しています。(足立区島根4-25-1)
栗原氷川神社
旧栗原村の鎮守です。創建年代は不明ですが、再建されたのは安土桃山時代になります。平安時代には、源頼義が奥州東征の折にこの場所で休憩したといわれています。最寄駅は西新井駅です。(足立区栗原2-1-19)
西新井氷川神社
江戸時代の初期に、大宮の氷川神社よりご分霊を勧請して創建された神社です。旧西新井村の鎮守です。大師前駅が最寄駅になります。(足立区西新井本町1-17-32)
梅田稲荷神社
平安時代末期の武将である源義広によって創建されたと考えられています。江戸時代には旧梅田町の鎮守でした。最寄駅は梅島駅になります。(足立区梅田5-9-5)
梅田神明宮
しんめい様と呼ばれ親しまれている神社です。井上正鐡という人物が伝道した禊教(みそぎきょう)の発祥の霊場です。最寄駅は梅島駅です。(足立区梅田6-19-4)
関原八幡神社
近くにある大聖寺というお寺の守護神として創建された神社です。元々は大聖寺の本堂西側にありましたが、明治の神仏分離により現在の地に遷座しています。梅島駅が最寄駅になります。(足立区関原2-35-22)
西新井天満宮(西新井北野神社)
江戸時代の初期に創建された神社です。日照りで苦しんでいた村に水を引く際、彫っていた溝から菅原道真公の像が見つかったことから、その像をご神体として創建されたといわれています。最寄駅は西新井大師西駅です。(足立区西新井5-26-1)
六月八幡神社
「ろくがつはちまん神社」と読みます。源義家が奥州征伐に向かう際に、この地で六月の炎天時に苦戦を強いられました。そこで鶴岡八幡宮に祈願し、勝利を得たことから、この地を六月村とし、八幡神社を創建したそうです。(足立区六月3-13-19)
西新井諏訪神社
社殿がピンク色の珍しい神社です。創建の年代や経緯などは不明ですが、長野の諏訪大社を勧請し創建された神社です。竹ノ塚駅が最寄駅になります。(足立区西新井4-35-1)
佐竹稲荷神社
元々は、秋田の佐竹藩下屋敷の屋敷神として創建された神社になります。「いぼ稲荷」とも呼ばれていて、願を掛けるとイボが取れるとも言われています。梅島駅のすぐ南にあります。(足立区梅田6-28-7)
雷神社
いかづち神社と読みます。新田開発により安定した生活を得た村民たちが、再び村が荒廃しないようにと大雷神を祀った神社になります。いかづち公園に隣接しています。最寄駅は大師前駅です。(足立区西新井2-27-1)
高野・小台の初詣
江北氷川神社
創建時期などは不明ですが、この辺りが沼田村と呼ばれていた頃からの鎮守で、明治になり江北村となってからは、江北村の総鎮守として信仰された神社です。荒川近くにあり、最寄駅は高野駅か江北駅になります。(足立区江北2-43-8)
高野胡録神社
江戸時代には第六天社と呼ばれていて、旧高野村の鎮守でした。明治の神仏分離により、現在の高野胡録神社となっています。鳥居には縄の蛇が掛けられている神社です。江北駅のすぐ近くです。(足立区西新井本町2-32)
本木氷川神社
室町時代の後期に創建され、江戸時代に現在の地に遷座した神社です。流れついた神鏡を祀ったのが始まりとされています。扇大橋駅の東にあります。(足立区本木西町15-6)
本木北野神社
鎌倉時代の武将である豊島清光が、京都の北野天満宮を勧請して創建したといわれています。学問の神様である菅原道真公を祀る神社です。扇大橋駅が最寄駅です。(足立区本木南町17-1)
扇三嶋神社
安土桃山時代に創建された神社です。この地を開拓した阿出川権左衛門知康という人物が、崇敬していた三嶋大明神を勧請し、創建したと伝えられています。以来、この辺りの鎮守でした。扇大橋駅のすぐ近くにあります。(足立区扇2-9-3)
興野神社
創建の年代は不明ですが、当初は八幡社として創建されたといわれています。その後に氷川社を合祀し、昭和9年に現在の興野神社と改称されています。最寄駅は高野駅です。(足立区興野2-1-4)
小台天祖神社
昭和14年に創建された、比較的新しい神社になります。小台の鎮守として創建され、昭和30年には近隣にある江北氷川神社より分祀されています。足立小台駅、小台駅が最寄駅で、隅田川と荒川の間にあります。(足立区小台2-9-1)
宮城氷川神社
南北朝時代にこの地域が開発され、守護神として創建された神社です。大宮の氷川神社より勧請されました。荒川と隅田川の間にあり、隅田川沿いに位置しています。最寄駅は扇大橋駅です。(足立区宮城1-38-6)
上沼田北野神社
瑠璃光山薬王院というお寺に隣接している神社です。江戸時代後期に創建され、元は近隣にある江北氷川神社の境外末社であったともいわれています。現在も江北氷川神社の兼務社です。江北駅の西にあります。(足立区江北3-18-22)
堀之内氷川神社
旧堀之内村の鎮守で、江戸時代に堀之内村が宮城村から分村した際に創建されたのではないかと考えられています。江北駅の西、荒川寄りにあります。(足立区堀之内1-7-4)
田中稲荷神社
この地にあった冬木屋という深川の材木商の別邸内に、稲荷神社を勧請して創建されたものが元になっています。明治になりお屋敷はなくなりましたが、その後も変わらず信仰されているお稲荷さまです。最寄駅は扇大橋駅です。(足立区本木北町14-3)
本木御嶽神社
戦国時代の末期に、戦国武将だった武蔵千葉氏の家臣が、信仰していた武州御嶽山を勧請して創建された神社と伝えられています。扇大橋駅と梅島駅の中間辺りに位置しています。(足立区本木東町12-16)
中曽根神社
戦国武将だった千葉次郎勝胤公によって築城された中曽根城内に、千葉氏が信仰していた妙見社を勧請し、創建された神社が元になっています。昭和7年には近隣にあった雷神社を合祀し、現在の中曽根神社となりました。扇大橋駅と梅島駅の中間辺りに位置しています。(足立区本木2-5-7)
鹿浜・新田・谷在家の初詣
島氷川神社
創建の年代や経緯はわかっていませんが、江戸時代にはこの地域の鎮守して祀られていたそうです。西新井大師西駅の西、荒川寄りにあります。距離的には志茂駅との中間くらいになります。(足立区鹿浜2-28-4)
新田稲荷神社
江戸時代の中期に創建された稲荷神社です。荒川と隅田川の間に鎮座しています。隅田川寄りです。川を挟むため、最寄駅は王子神谷駅になります。(足立区新田1-18-2)
糀屋氷川神社
具体的な創建の年代や経緯は不明ですが、江戸時代にはこの地域の鎮守として祀られていたといわれています。距離的には志茂駅の方が最寄ですが、荒川と隅田川があるため、西新井大師西駅からの方が近いです。(足立区鹿浜2-18-20)
押部八幡神社
具体的な創建の年代や経緯は不明ですが、江戸時代の中期には創建されていたと考えられています。この辺りの鎮守として信仰されている神社です。西新井大師西駅が最寄駅です。(足立区鹿浜7-19-3)
谷在家赤城神社
浅香藤九郎源政家という武将が、戦に敗れこの地に住むようになり、氏神である赤城神社を邸内に勧請して創建した神社です。江戸時代中期に村の神社となりました。最寄駅は谷在家駅です。(足立区谷在家2-16-17)
皿沼稲荷神社
江戸時代の前期、旧加賀皿沼村が領家村から分村した際に祀られたのではないかと考えられている神社です。舎人公園駅が最寄駅になります。(足立区皿沼3-15-10)
加賀稲荷神社
皿沼稲荷神社と同じく、皿沼稲荷神社が領家村から分村した際の、江戸時代前期の創建と考えられています。皿沼の鎮守です。舎人公園駅、谷在家駅の西に位置しています。(足立区加賀2-19-15)
東北野神社
東天神とも呼ばれている神社です。江戸時代の中期、この地域に代々伝わる獅子舞を、上野の寛永寺で披露したことを記念して、創建されたといわれています。最寄駅は西新井大師西駅です。(足立区鹿浜4-10-1)
椿日枝神社
江戸時代に堀之内村が開村され際に、この地域の鎮守として創建された神社と考えられています。西新井大師西駅の西に位置しています。(足立区椿2-10-4)
舎人の初詣
古千谷氷川神社
創建の具体的な年代や経緯は不明ですが、旧古千谷が開村したときからの鎮守だったと考えられている神社です。舎人駅からまっすぐ東に位置しています。(足立区古千谷本町2-2)
入谷北野神社
元々は八幡社であったものが、明治になり北野神社に改称されています。豊臣秀吉による関東攻めの際に白幡を立てたことから、白幡八幡とも呼ばれていたそうです。舎人駅のすぐ南にある神社です。(足立区入谷1-11-13)
舎人諏訪神社
創建の年代や経緯などは不明です。毛長川の対岸にある新里毛長神社が男神、こちらの舎人諏訪神社が女神といわれ、対になっているともいわれています。見沼代親水公園駅が最寄駅です。(足立区舎人2-15-25)
舎人天神社
創建の年代や経緯などは明らかになっていませんが、江戸時代には現在の地に創建されていたのではなかと考えられている神社です。舎人駅と見沼代親水公園駅の中間にあります。(足立区舎人5-12-4)
入谷氷川神社
入谷北野神社と同じく、元々は八幡社だったと考えられています。豊臣秀吉の関東攻めの際には、白幡を立てたことから白幡八幡とも呼ばれていました。明治になり現在の氷川神社となっています。見沼代親水公園駅が最寄駅です。(足立区入谷2-25-5)
舎人氷川神社
鎌倉時代の前期に、大宮の氷川神社を勧請して創建された神社です。江戸時代後期に造営された本殿には、細やかな彫刻が施されていることでも知られています。見沼代親水公園駅のすぐ近くです。(足立区舎人5-21-34)
古千谷天祖神社
具体的な創建の年代や経緯は不明ですが、旧古千谷村が開村して以来、その鎮守として鎮座していた神社です。舎人駅が最寄駅になります。(足立区古千谷本町1-8-3)
竹ノ塚の初詣
花畑大鷲神社
平安時代には、源義光が奥州の役に向かう際に立ち寄って、戦勝祈願をしたとも伝えられています。平安時代の中期から、酉の日に例祭が行われていたそうです。旧花又村の鎮守です。谷塚駅と八潮駅の中間辺りにあります。(足立区花畑7-16-8)
竹塚神社
平安時代の前期に、伊勢神宮を勧請して創建された神社です。源頼義の奥州征伐の折には、陣をとったとも伝えられています。竹ノ塚駅から徒歩ですぐの場所にあります。(足立区竹の塚6-12-1)
保木間氷川神社
創建の具体的な年代や経緯はわかっていませんが、安土桃山時代に創建されたのではないかと考えられています。かつては天神社と呼ばれていましたが、明治になり現在の保木間氷川神社となっています。竹ノ塚駅の東に位置しています。(足立区西保木間1-11-4)
伊興氷川神社(淵の宮氷川神社)
伊興氷川神社、または淵の宮氷川神社と呼ばれている神社です。創建の年代は不明ですが、この地域では最古の氷川神社といわれています。旧伊興村、旧竹塚村、旧保木間村の鎮守社です。竹ノ塚駅と谷塚駅の中間にあります。(足立区東伊興2-12-7)
伊興若宮八幡宮
旧伊興村では、ズシと呼ばれる生活組織が形成されていて、若宮八幡宮は、その中の横沼ズシの氏神です。竹ノ塚駅の西に位置しています。(足立区伊興2-12-22)
保木間山王神社
元々はこの地にお稲荷さまが祀られていて、お産の神様として信仰されていました。当初は「産王さま」と呼ばれていたものが、「山王さま」に転じたのではないかと考えられています。竹ノ塚駅、谷塚駅の東にある神社です。(足立区保木間4-28-10)
保木間水神宮
隠棲してた武士が釣りをしていたときに現れた蛇を殺したものの、その毒により亡くなったことから、村民が殺された蛇を祀った神社だと伝えられています。谷塚駅の南にあります。(足立区西保木間4-14-1)
隣接地域の神社
お住まいの地域によっては、足立区と隣接する・墨田区・北区・荒川区・葛飾区・川口市・草加市・八潮市の神社の方が行きやすい場合もあるかと思います。
周辺地域の初詣にお勧めの神社についても、下記にそれぞれリンク記事を貼っておきましたので、是非チェックしてみてください。
・川口市(未作成)
・草加市(未作成)
・八潮市(未作成)